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be do have 人を認めるという事

03-13,2010

pink hat baby
original update by CharlotteSpeaks


僕は結構分野問わず本を読んでる事が多いのでビジネス本とかも読んでいるんですけど
時々「be,do,have」の考え方を紹介している本を見ます。

この「be,do,have」が何かと言いますと、人のとらえ方です。

「have」はその人の持っているものを表します。
この人はお金もちだからすごいなぁ。とかこの人は役員だからえらいんだとか。

「do」はその人のしている事を表します。
こんな事ができた。俺はこんな能力があるとか。

「be」はその人の存在している事を表します。
存在している事を大切だという考え方です。

僕はこれは僕らがする援助でも生かすことができるのではないかと思いました。
よく僕らはこんな声掛けをしてませんか?
「できましたね!」
これはdoに対してのほめ言葉

「いつもがんばってますね!」
これもdoに対してのほめ言葉

「昔こんなことやってたんですか。すごいですね」
これはhaveに対してのほめ言葉

別にいいんです。それはそれで喜ばれると思います。別にいいんですけど、じゃあ
できなくなることが増えてくる人はどうすんのか。
いくらがんばってもできない人はどうすんのか。
そもそもがんばらないといけないのか。
人間ずっとがんばていないといけないのか。
がんばらなければ、何かを獲得できなければ認められることはできないのか。
とか思うわけです。
haveやdoだと人は常に何かもっていないと認められない。何かしていないと認められない。
という事になります。

昔からほめることについて難く思ってました。そういた声掛けに対しては何か昔から違和感を感じてました。
なんか表面的な感じといいますか。なんか体がこそばくなるというか。

僕らはこの社会で成長してきました。その中で知らない間にがんばるのが立派だという無意識的な認識をもたされたり、人間は自立して一人前にならないといけないなどという価値観を教育されてきていると思います。
本当にそうある必要があるのか疑問に思いました。そうできる人もいるけどそうできない人もいるのに。自立といっても完全に一人でできる人なんていないのに。そもそも完全に自立しようとなればご飯を食べるという事の自立は畑づくりからはじまります。いやそれ以前からかもしれません。ぼくらは多かれ少なかれ人に依存して生きているんです。がんばらなければ認められないと事は何か矛盾しています。

そこで出てくるのが、
beの登場です。beというのはその人の存在を認めることです。
あなたが私の隣にいてくれるだけでうれしいです。
たとえ何もできなくても私はあなたを認めますという事です。

「できましたね」「すごいですね」
それ自体言うのは悪いことではありません。
haveやdoを認めていくのも大切です。
しかし根本の「be」の部分がないとうまくいきません。

存在という根本の部分を認めることで、がんばる必要もなく、楽に生きてもいい。どんな自分でもいいという安心感を持つことができたり、自分に正直に自由に生きることができます。
(そこでがんばらないとダメなんじゃないの?というそこのあなた。それはあなたの価値観ですよ。自分ががんばりたかったらがんばったらいいんです。無理して病気になる人もいるし、何が正しいのかは自分で決めていくしかないんです。がんばらないといけない事もないし、がんばらない必要もありません。)


beが認められないままだと、すごく自分自身について自信がもてなくなります。
その状態で人は何か認められる事をしなかったり、地位や名誉など何ももってないと不安になる。自分の存在が不安定だと、いつも誰かにほめられたり、何かをする事によって認められようとしてしまいます。
よくありますよね。いいこちゃんでいようとして自分自身を殺してそのようにふるまう子とか。
それは親がいい子であるという事(have do)しか認めてなく、あなたがいてくれるだけでも私は嬉しいという(be)の部分をしっかり伝えてないからです。
それらがなくなった時自分自身を自分で認める事ができなくなります。自分を殺すというのは文字どおり自分で自分の事を否定してしまっているという事です。いくらhaveやdoが認められてところで根本的な解決にはなりません。

じゃあどうやって「be」を認めていけばいいのか。その人の存在を認めていけばいいのか。
相手の行為や持っているものばかりに目を向けるんじゃありません。
その人の存在、ありのままのその人を認めていくことが大切です。

それにはまず自分がどうい態度なのかを振り返らなければいけません。
自分が相手の事を大切に思っているかどうか。
そして本当に相手の存在を認めているのか。

何かをしてくれるから好きという態度ではhaveやdoであって本人自身を認めていることになりません。
そういう態度を見直していく必要があります。

相手の事を大切に思ってないと言葉の内容よりももっと非言語的(言葉以外の部分)なメッセージに出てしまいます。
自分の無意識のうちに相手の存在を否定してしまいます。
自分の価値観で相手を見ていませんか。

自分の価値観ばかりだとそれ以外の行動をした時は認めることができません。
それが態度にでます。その態度が相手に伝わります。
もっと柔軟に自分自身がなる必要があるかもしれません。
そして相手の存在を認めていく。

それが無意識のものであるかもしれないですけど、別に無意識でもかまいません。
この人と一緒にいて楽しいと思いながら接すると、相手は自分は楽しい存在なんだという認識を持ちます。
本当に存在自身が大切だと思った時、それは態度にでます。意識しようが意識しなくても。
よいコミュニケーションをするには相手にどう思ってもらうかよりも、まず自分が相手とどのうように接するかが大切です。

態度は突き詰めると動きです。
どんな動きを相手にするか伝えるかが大切になります。
たとえば触り方にしても腕をがっとつかんで引っ張ると
自分は物のような存在なんだという認識を持ちます。
物と同じような扱い方をするとそのように相手に伝わります。

逆に大切な人だと思いながら触れば、
私は大切に扱われている。自分は大切な存在なんだとい認識ができます。
それは多くの人の場合言葉よりもダイレクトなメッセージになります。
無意識に赤ちゃんなんか抱く時はそういう優しい気持ちで触りませんか?
いつのまにかやさしく触ってますよね。

一度試してもらったらと思うのですが、
言葉は乱暴でも介助はかなり相手の動きを尊重した介助を行う。
逆に言葉は丁寧でも介助は乱暴にする。
どちらが嫌な印象を受けると思いますか。
たぶん後者はいろんな場面で見られると思います。とくに介護現場とか(笑)

体はダイレクトにメッセージを受けます。
自分の体は自分が思っている以上に気持ちを感じています。
もちろん触りかただけじゃなく、声を出すのもすべて動きであるので、声の質やトーン、表情などもすべて動きに含まれます。
しかし存在を認めるのに一番いいのはやはり相手に触る、触れることだと思います。
握手でもいいし、相手が受け入れてくれる触れかたをすればいいのではないでしょうか。

触れなくても全身であなたといると楽しい、幸せだというメッセージを送るといいと思います。
そうすることで相手の人は「自分は楽しい存在だ、自分の存在があなたを幸せにする」という自分の存在を認めることができます。そして相手の人も幸せになったり、楽しい気持ちになる。
次はあなた自身が「私は楽しい存在だ、私の存在があなたを幸せにする」と自分の存在を認めることができるのです。
また次は相手の人が・・・

と続いていきます。すてきな循環です(笑)



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