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僕が思う生活リハ

03-01,2010

how to use the japanese styele toilet
Original Update by Yuya Tamai

僕はリハビリの仕事をしてます。
あんまりリハビリにこだわりはないんですけど
たまにはリハビリの事でも書こうかと思います。

僕はリハビリの仕事でも専門は生活リハかなと自分では思ってます。
生活リハ生活リハとよく言われてますが、なんでも自分ですることが生活リハと
呼ばれているのはなんか違和感を感じます。
もちろん自分でしている事は大切ですけど、自分でさせられているような。


障害とは何かと考えてみますと

それは環境に適応できていない状態が障害ではないのかなと思います。

個体が今ある環境に適応できていない事すべてが障害だと考えられます。


それは健康な人間にも言えることで、僕らは食事をするとき適した机やいすの高さ
があるから環境に適応して食事がスムーズに行えるわけです。

机の高さが3メートルくらいあって椅子が25センチの高さであれば、充分に食事をとる活動ができません。

個体の機能低下があるから障害というものでなく、いかに環境とその個体が適応できているのか。
いいかえれば環境に適応できていない事が障害だと思います。
環境に適応できなくなれば、生活自体が悪循環になります。
この例で言うとご飯を食べることができなくなり、それが個体の活動性を低下させる。
活動性が低下すれば、外に出かけることも難しくなり、足腰含めた機能低下がさらにおこる。
動作が動きにくくなれば、動くこと自体が労力になりトイレも我慢するようになる。
トイレを我慢することで感染症などかかり・・・
きりがありません。(笑)
これはあくまでも一例です。

環境に適応できない事は活動を低下させ、それが体の機能を低下させる悪循環をつくります。
そしてより環境に適応しにくくなる。

環境に適応することで活動がスムーズに快適に行えることが大切です。
しかし「個体の機能低下=環境に適応できない」かと言えばそうではありません。
機能低下が起こっても環境側が適応することにより活動がスムーズに行えれば、
上で書いたような悪循環は起こりにくいです。その人は健康に過ごせます。

個体の機能低下は環境に適応するには大変になりますが、その分環境が適応しやすい状況
だとそれは問題にならないと思います。

環境に適応しているという事は活動がスムーズに行えることであり、
それは体の機能を維持したり向上させていきます。

人を援助するということはうまく環境に適応できる状態を作ればいいのではないかと思うのです。

それにはただ自分でできているからいいというわけでないと思います。
食事であってもただ自分で食べられるから環境に適応しているわけでもなく、
(もちろん自分で食べれるということは素晴らしいことだと思います)
本人がその活動を満足して行えているのかという質の部分が大切だと思います。

例をあげれば、
自分が年をとってコンビニの弁当を一人うすぐらいぼろアパートで食べる食事か
たとえ障害をもって少し介助してもらいながらかもしれませんが、温かい家族に囲まれて食べるお鍋か
どっちがいいとは決めかねると思います。
まずいご飯ばかり毎日食べてたら嫌になりますし、気分も下がりません?

また
同じ「一部介助」という状態でも
職員が早く食べさせて帰りたいと思いながら、「はよたべーな」と言われながら食事介助されて食べる食事と
すごくその人の事を大切に思いながら、おいしく食べてほしいという食事では
その後のその人の健康についての違いがすごくあるように思います。
好きな人に「あーん」といいながら食べさせてもらった事ある人もいるでしょう。
それでもずっと自分で食べないといけませんか?

ただ単に環境に適応している=自分で行っているとう事は言えないと思います。
もちろん自分で食べれたほうがだれにも気を使わずおいしく食べれます。
しかし時に自分の大切な人に食べさせてもらう食事もありじゃないかなと思います。

同じしている活動でも
自分でしているのか、それともさせられているのかでは大きく意味がちがってきます。

よく生活リハ、生活リハと言われて動く事を強制してしまっている場合がたくさんみられます。
リハビリだから自分で車いすをこがせされる。トイレにいかせられる。
レクをさせられる。幼稚なレクが問題でなく、幼稚なレクをさせられる事が問題だと思います。
幼稚なレクでも本人が楽しんでたらそれでいいじゃないかと思います。
それをだめというなら僕は価値観の押しつけではないかと思ってます。

もっと言うと好きな人とレクすればどんなものでも楽しいかもしれませんが、
嫌いな人と同じレクをしてもつまらないと思います。

そして僕は言葉を作りました。「しているADL」、「できるADL」というのはよく聞く言葉なのですが
僕は「させられているADL」というのもあるのじゃないかなぁと思います。
「できるADL」から「しているADL」に変わってそれが「させられているADL」ならば
あんまり意味がないかもしれません。
それをFIMだがなんだかしりませんが、ただ点数をつけて判断する評価と言われるもの
には疑問がたくさんあります。
同じ一部介助で3点だとしてもその中身によって今後の生活が大きく左右されるかもしれないのに。

するしないでなく、まずしたいという気持ちや動きを引き出すことが必要なのでないのかと思います。
それをうまくサポートしてく。

生活リハとは僕はうまく環境に適応した状態を作ることだと思います。
そうすることで活動の質があがり、自然とよい循環ができあがるのではないかと思います。
食事と排泄はつながっていますし、もちろん入浴や余暇活動などもつながっています。
食事を食べなければ便もでませんし、余暇を楽しもうとしても楽しむ元気をもてません。
逆に楽しみがなければ、食欲がでないかもしれません。
活動はすべてつながっています。
1つの活動が変われば、他の活動も変わります。
そうしながらよい循環を作り上げていくことが大切ではないのかと思いました。

生活とは環境と個体とのつながりだと思います。
僕らは人を援助する上での環境です。
僕らが変わることで生活が変わり、個体の変化につながります。
なにも相手を無理して変えることはせず、自分が変われば相手は変わります。

お年寄りは何十年も生きてきて今更環境に適応するように変化するのは難しいことです。
今更生きてきた人生を変えるという野暮な事はあんまりしないほうがいいです。
介護報酬や医療報酬をもらっている僕らが変わらないといけないんじゃないでしょうか。

視点を変えると
僕らはまだ若いので環境が変わらなくても自分が変化することで、環境に適応することができます。
しかしそれはストレスの伴うことが多いです。
仕事でも最初は環境に適応できず、苦労してストレスためてご飯もおいしくなくなる。
でも徐々に慣れていくことで仕事がおもしろくなり、ご飯もおいしくなる。
生活はつながっているので、苦労しているときに大切な人とおいしいご飯を食べると元気になります。
そうすることで明日仕事がんばっていこうという気持ちも持てるのです。
嫌な事があった時風呂にゆっくりつかることで、気持ちが切り替わり明日もがんばろうとか。

1つの活動がより適応できれば、他の活動に影響がでる。
さっき言った事と一緒ですね。
僕らもお年寄りも関係ありません。

ストレスで元気がないのも障害だと言えるかもしれません。
僕自身も内面では環境に適応できていないのかもしれません。
だからこそ環境に適応する方法を知りたいと思います。。
そしてそれは気づいてないだけで、あたりまえの生活の中にあふれているものです。
元気がない時は無意識にしているあたりまえの活動を大切にして自分をいたわってあげる。
食事・入浴・排泄などそれがどれだけ自分に力を与えてるか普段あたりまえすぎ
感じないと思います。
しかしそれも生活リハです。

結局自分のためかいって感じですけど。

でも自分が幸せになることで、周りも幸せになっていく。
それが一番理想だと思います。

おつかれした。
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COMMENT

特養でOTしてます。
記録システムの入れ替えに伴い、改めて介護職員が口にする「生活リハ」という言葉に立ち返った際に、このブログを見つけました。
・・・すごく感動してしまいました。
最初、OTが書いていると思わなくって(失礼)。
うれしい衝撃です。
休日の出勤で、元気もやる気も減退し、特養での実践を夢見ていても、ここに青い鳥はやっぱりいなかったなって落ちていて、認定OTの研修を受けても、OTの将来なんてあるのかしらって落ち込み・・・
そんな連続の時期に、このブログは私に元気をくれました。

何かのきっかけになれば、と書いてありましたが大きなきっかけをありがとうございます。

またお邪魔させてください。
熱いコメント、ごめんなさいね。
2011/10/30(日) 13:34:37 |URL|kei #- [EDIT]
今日山形から兵庫にかえってきました。コメントうれしいです。ありがとうございます。

熱いコメントいいですね!僕もついつい書きすぎてしまいます。

僕もOTの今の流れに青い鳥は発見できてません。
人をデーターや評価表だけで、また障害を中心にとらえる考え方には限界があると感じます。
また詰め込み型の教育方法なども疑問に持っています。
障害関係なく人の多様性を理解していかなければOTに未来は難しいかもしれません。
障害の理解の前に「人とは何か、生活とは何か」の理解がないと
せっかくの知識も役に立たない気がしています。
知識に生なましさがないというか。

昔、無理矢理動かし、動かせさせられるリハビリに嫌になっていました。その割に効果もなく、年だからとか、なおらない障害だからと利用者さんのせいにしていまう自分の状況に納得がいきませんでした。よっぽど生活を直接支える介護として働こうと思っていたぐらいです。しかしキネステティクス®に出会ったことで、動きにも生活の質と同様に動きに質があることは自分の盲点を知りました。

今は利用者さんを障害をもっている人ではなく、その前に一個人であるのと同じで、OTであるまえに自分という一個人として何をするかを大切にしていきたいと思ってます。僕自身OTにこだわりはなく、手段として自分のやりたいことに使えればいいかなと思っています。そういう意味で自分のやりたいことを助けてくれるOTになってよかったとほんとに思ってます。だからOTが書いているように思えなかったのかもしれませんね(逆にうれしいことです)

同じようにリハビリや福祉の状況に同じような悩みをもっている人がいてくれてほんとうれしく思います。
いつでもいらしてください。

仕事大変なようですが無理なさらないようにしてくださいね。
keiさんが自然に元気であることが利用者さんの元気になると思いますから。
2011/10/30(日) 22:51:26 |URL|susumu #- [EDIT]
早速のお返事ありがとうございます。
山形にいらしたんですね!
実は私は山形でOTをしているんです。
すごい偶然に、驚きました。

環境と適応すること
生活は、環境と人とのつながりであるということ。

この二日間、とても心に残っています。

キネステティクスについては、勉強不足でよくわからないのですが、
これを機会に勉強してみたいと思います。

今後ともよろしくお願いしますね。
2011/10/31(月) 18:34:02 |URL|kei #- [EDIT]
それはすごい偶然ですね!実は約一ヶ月先にも後3日間のうち1日コースが残ってますのでもう一度山形へいく予定です。

ブログを役立ててくれればうれしいです。
環境と人をより考えるヒントをくれるページがあります。
http://awareness.secret.jp/indexnews.shtml「学習と理論のコーナー」 
最初は少しわかりにくいかもしれませんが、サイバネティクスやシステム論はおすすめです。(一般意味論も読んでほしかったのですが、出版によって順次サイトは縮小されるそうです)あまり知られてはいませんが実はICFのもとになっている考えでもあります。

キネステティクスを学習するなら、教師によって相性や教育の質の差があるので、http://ameblo.jp/lcmac/entry-11030831862.htmlに僕の記事とさあさん(キネステティクスの翻訳をされたお医者さん)のホムペのリンクがありますのでよかったら参照してください。

色々とのせてすみません。ただ純粋によいものは人に勧めたいので。
強制する気なんかはさらさらないですからねー。いきたい時にいけるタイミングで行けばいいと思います。

長くなってごめんなさい。ついつい興味のあることは書きすぎてしまいます。

2011/10/31(月) 19:40:10 |URL|susumu #- [EDIT]

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