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人の動きから考える認知症 3つの分類とアプローチ 谷口式2

09-24,2012

以前にも認知症の分類を書きましたが、より動きに特化して認知症を分類してみました。なぜ動きと言われるかもしれませんが、生活とは動きの集まりです。どんな動きの傾向があるかによって生活が作られるわけです。ですから動きにアプローチすることは生活そのものをアプローチすることと同じです。動きは精神も、身体も、環境も、感情も分けることはできません。活動、行動、行為、ふるまい、態度、色々な言い方はありますが、これらは動きを別の言い方で表現したものです。

まず動きの認知症分類をしてみましょう。

1.動きの混乱化タイプ

以前であれば若さやありあまる筋力を使ってできることでも、老いてからも同じ方法で行うことによって無理が生じます。社会の価値観も影響していると思いますが、いつまでも自分は若いと思い込みたいため、何にでも無理して若い頃の方法で行おうとします。しかし現実的に体は違うものですから、できることとできない事を把握できていないために、無理やり動く事になります。そうすると頭の中の若い自分と、現実の筋力の衰えてる自分とのズレが大きくなっていきます。地図を見る時、まず自分の現在地を確認して状況を理解するように、この世界は自分を基準に認識しています。ですから自分の認識がズレると徐々に自分や周りの解釈が歪んでいきます。こういった人は繊細にゆっくり動く事が苦手な場合が多いです。がさつに大きく動く方法しか知りません。一番良い頃に戻るというのはこのタイプの傾向です。人はこうでなくてはいけないという思い込みが強い人は、自分の老いを受け入れることができず、無理に若者のような優秀で活発な動きをします。一つの価値観にしばられて自分で自分を必要以上にいじめているのです。柔軟に動けないということは、思い込みに囚われているということでもあるのです。


2.動きの習慣化タイプ

毎日のほどんどを習慣的に過ごし、ほぼ自動的に時間が過ぎていく状態です。物事に対して習慣的な動きや行動を何も考えなくても行います。それは一見良い事のように思えますが、度を超えている場合です。ある種習慣化したパターンは多くの注意力を必要としないので、簡単に行うことができます。それは人間として必要な能力ですが、逆に習慣とは違うことができる能力も大切です。これが無いと同じことを何も考えず行うロボットのようになります。つまり過度に習慣化した生活のパターンが考える力を徐々に奪っていくのです。ひどくなるとほんとにロボットのように同じ動きを繰りかえします。動き方も固定的で慣れた反復的な動きや同じような行動を繰り返します。俗にいう常同行為です。人は毎日そういう違いのある生活を送れるわけではありませんが、大切なのは人は同じように過ごす毎日の中に小さな違いを感じ、喜んだり、悲しんだりします。常に同じように毎日が過ぎているわけではないのです。しかしこのタイプの生活はただ漠然と毎日が過ぎていきます。自動的に動き、自動的にご飯を食べ、自動的に寝る。このような反応です。色々とたとえもあり、個人によって違いますが、ご飯も食べるという行為さえも楽しむより、口に物を入れる行為に近い状態だと言えます。


3.動きの縮小化タイプ

最初は外出しないから始まり、部屋にこもりだし、ベッドにこもります。最終的には自分自身の中にこもってしまいます。そして手足を動かすことでさえしなくなります。これらの傾向としてあきらかに動きが減少しています。多くの場合なんらかの動くことに対する障害やストレスから始まっていることが多いです。文字通り動けないという障害、それだけなく、動くのがおっくうになる。動く事が単純にしんどい。何か動きたくない、行きたくない理由がある、出て行く理由がないなど色々な理由があります。これらに共通するのは動く事が少なくなり、それが徐々に目立つようになっていることです。最初は行動が、最終的には小さな動きさえも少なくなる。それはいきなり始まるものではなく徐々に悪循環として起こります。一つのきっかけがさらにより動く事がない状態へと導きやすいのです。


このように考えると
実は動きを変えることによって認知症にアプローチができます。
それを各タイプ別に見ていきます。

1.動きの混乱化タイプ

このタイプはゆっくりと動いたり、行動する機会を提供していくことで自分が何をしているのかを実感してもらいましょう。つまり生活の中に落ち着いて過ごす時間を提供します。落ち着いた動きになる環境を用意するとも言えます。リラックスできる雰囲気、そのままのあなたでいいですよというありのままを認めてくれる関係なども含まれます。本人が混乱しているのは、多くの場合、現実には老いた自分を若いまだまだやれる自分にこだわるから混乱します。あきらめろというわけではありません。老いた状態でもよりよくできる方法や動き方はたくさんあります。筋力がなくても、楽に落ち着いて、洗練して動くことは可能です。老いと戦い若者のような動きをするのではなく、成熟した落ち着いたゆっくりとした動きを獲得していくことで自分の可能性を違う方向で見つけることができます。そうすることで今の自分をよい意味で認め、「昔」を生きるのではなく、「今」を生きるころができるでしょう。


2.動きの習慣化タイプ

このタイプには新しい体験をする機会を提供し、新しい自発的な反応を引き出すことです。そういった機会を生活の中にもうける必要があります。ただ無理に何かをさせるのではなく、よく相手を観察しながら、反応を引き出し「違い」を積み重ねていきましょう。このように関わったらこんな反応がでた、じゃあ今度はこうしてみようという積み重ねです。1日の生活を観察し習慣化されたパターンに小さな変化がでればよい兆候です。ただそこで安心するのではなく、またそのかかわった方法がが習慣化されたパターンになってしまえば効果が薄くなります。だからこそ積み重ねる必要があります。つまり一度相手に変化があったからといって、その手法を繰り返すのではなく、常に援助者側も習慣化しないようにその変化を敏感にとらえ関わり方をかえるように注意しなければいけません。過去に成功したアプローチでもそれを習慣のように繰り返すと、新しい習慣を作るだけです。ですからそのアプローチを繰り返しても本人の習慣化を強めるだけなのです。プログラムなどを立てる必要もありません。常に柔軟に反応をみながらやり方を変え反応を引き出してください。例えプログラムを立て成功したとしても、関わり方を反応に応じて少ずつ変える必要があります。ここで大切なポイントは大きく変わる必要はありません。毎日の生活が大きくかわれば逆に習慣化のパターンが強い人はついていけません。そしてついていけないために、より今の習慣化のパターンにこだわります。ほんの小さい変化を積み重ねればかまいません。こちらからしたら小さな変化でも、本人にしたら充分大きな変化です。相手を変えようとしないこと。相手をかえるのではなく、自分が相手の小さい変化を発見できる能力や、援助者が習慣化していないかが大切です。


3.動きの縮小化タイプ

このタイプは無理なく、行動範囲を拡大していきましょう。行動や動きの拡大が好循環を生みます。ここも無理に引き出すのではなく、相手が自発的に楽に動けるようにかかわっていきましょう。そして少しずつ新しい場所を見たり、なじみの空間を動く事によって増やしていきます。楽に安心して動ける空間をとりもどすと同時に、楽に動ける動きを援助します。ここで重要なのは相手の反応を引き出すことであり、時間が要する場合が多いです。つまり援助者はすぐに結果を求めるのではなく、「待つ」という過程が必要なのこともあります。相手が止まっているときは、動き出すまでの必要な準備をしているのかもしれません。待つことができず、結果を求めてばかりいるといつのまにか、それは強要になり、より動きの縮小化をすすめていくことになるでしょう。また楽な動きを援助者が知っていることも大切です。楽に立ち上がるには、楽に起き上がるにはどうすればいいか?などそれらを知っているとよりよい提案ができるでしょう。


最後に

ここであげたのはすべて相手を変えるのではないということです。すべて援助者の行動や動きを変えることで、2次的に相手がかわります。もしそれで思ったような反応を得られない場合、相手をかえるのではなく、また援助者自身の行動や動きを変える必要があります。相手を無理に変えようとした場合失敗します。人は変えられるのではなく、自ら変わるものです。厳密に相手を変えることはできますが、多くの場合受け身にしたり、受動的にすることができるのみです。主体的にその人の人生を自らで動いてほしいと思う時、それを手伝うには援助者自身、つまり自分が変わることが大切なのです。

ということはまず、自分の動きや行動についてより知っていく必要があります。自分はどのような傾向があるか、どのような事を相手にしているのか。相手を助けようとして、相手の邪魔をしていることはよくあります。例えば相手のためだと思っても、動きや行動を強要した場合、多くの場合人はここで上げた3つのタイプの反応を示します。抵抗してもかなわず、強制されている自分を認めない(動きの混乱タイプ)、抵抗することをあきらめて、何も考えずそのまま強制されたことをする(動きの習慣化タイプ)、抵抗するのをあきらめて、自分の殻に閉じこもり反応が鈍くなる(動きの縮小化タイプ)

これらの分類は言ってみれば、3つの動きや行動の反応のパターンです。たかがか動きだと思うかもしれません。しかし動きの積み重ねが生活になり、人生になります。だからこそ動きを理解しアプローチすることはとても重要です。むしろ動きなくしてはアプローチでできないと思います。心と体はつながっています。そしてこれらと環境が合わさったものが動きなのです。動きを支援することは体を支援することはもちろん、同じぐらい心も支援するのです。もちろん完全によくなるものではないかもしれません、しかし動きを引き出すことはその人の可能性を引き出すことでもあります。また動きが良くなるということはよりよく生きることでもあります。その人の人生は動きの集まりだからです。だからこそ、認知症にかかわらず、動きを支援する意味があるのだと思います。私達は認知症をよくしたいと思うことと同様に、よりよくその人に生きてほしいという思いでかかわるのですから。

ここであげた分類も大切なのですが、動きを通じて自分は相手にどんな影響を与えているのかを見つめることがもっとも大切だともいます。自分を見つめながらこの分類を生かしてくれれば嬉しいです。それはきっと援助者自身の認知症の予防にもなり、またよりよく生きることにもつながるでしょう。
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