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ほんとにそれ自分で決めてますか

07-04,2011

■あなたはすでにマインドコントロールされているかもしれない。
あなたは知らないうちに何かに影響されていると思った事はあるでしょうか。言い方を変えましょう。あなたは洗脳されているでしょうか?またいきなり変なことを聞くなぁと思ったかもしれませんが、いつものことです(笑。まあ少し考えてみてください。

このような場合、どのように考えますか?

テレビで事件を起こした宗教なんかでよく信者にインタビューをする場面がありますよね。そのインタビューでコメンテーターなり評論家なりがこういうわけです。

「その人はまだマインドコントロールにあっている。」
「マインドコントロールを解く必要がある。」

今は宗教関連の話題は少なくなりましたが、一時期はよく、このような発言を耳にしました。マインドコントロールというのは日本語にすると洗脳です。確かにその信者はその宗教の教えを盲目的に信じ洗脳されているのでしょう。洗脳されているときというのは自分自身が洗脳されていることに気づいていないものです。自分が洗脳されている事に気づかず、その宗教団体の影響を受け思い通りに行動していきます。多くの信者はその教えが正しいと盲目的に信じるのです。洗脳されたものだと気づいていません。あくまで信者はその考えを自分で正しいとと思っているのです。多くの場合けっして押し付けられたという意識ではなく、信者自信がその価値を信じ従っています。つまり自分の意思でその道を選択したと思っているのです。そりゃそうですね。気づいていれば洗脳なんてやめる事ができますから。


ここで一度考えて欲しいと思います。では僕たちはどうでしょう。マインドコントロールにあっていないのでしょうか。洗脳されていないのでしょうか。ちょっとゆっくり考えて欲しいと思います。多くの人は当然、洗脳なんてされているわけがないと思いますよね。「そんなのあたりまえじゃないか」と思う人もいるかもしれません。ただほんとにそうでしょうか。僕は何度となく書いてますが、「あたりまえのことを疑う」ことは大切な事です。

ちょっと待ってください。ここで1つ疑問が生じます。さっき洗脳されている人は洗脳されている事に気づいていないといいました。という事はあなたの今の状況にぴったりあてはまるのではないでしょうか。あなたも誰にも洗脳されていないと思っているのではないでしょうか。

「いや、まさかそんなはずはない」
「自分でこれが正しいと決めているんだ」
「俺は俺だ」「私は私よ」

という反論が聞こえてきそうです。
でもその反論も同じようにあやしい宗教にはまっている人は同じような事を言いそうです。自分がその宗教を信じているのだ。その宗教こそ正しいのだと。そういった人に今のような話をしてみるとどうでしょう。同じような反応だと思います。「まさなそんなことはない」「あなたこそ間違っている」「私は私だ」「その考えはやめて一緒に行動しよう」とか。まさに一緒ですね。そして今のあなたに洗脳されていいるから、今の考えをやめるべきだと言われても「この人はいったい何をいっているのだ」と思うでしょう。たぶん今読んでるあなたに私が「洗脳されているかやめましょう」といってもわけのなからないことを言っていると思うでしょう。お互いに価値観をぶつけ合っているだけですね。


影響を受けている事に気づく
実は洗脳されていないと思っている多くの人は誰かに洗脳されています。洗脳という言い方は少しショッキングかもしれません。言いかえると私たちは知らないうちに誰かの影響を受けているのです。そしていつの間にか影響を受けているものを信じきっています。それが良いのか悪いのかという話ではありません。私はあまり宗教に関しては熱心ではありませんが、宗教が人を幸せに導くこともあるでしょう。肝心なのは私はたちは生きていくうえで常にだれかの影響を受けているという事です。それは周囲の友達かもしれませんし、自分を育ててくれた親かもしれません。またテレビや雑誌、インターネットなどもあるでしょう。そのような周囲の環境がいつの間にか自分自身の考え方や決定などすべてに影響をあたえています。よく自己決定なんて大層な言葉がありますが、自分で決定しているという形ばかりにこだわってしまって、いろんな価値観を比較できなければ、そんなものは自己決定でもなんでもありません。上記に書いたように洗脳しているのと大して変わりはありません。前にも書きましたが形にこだわると本質が見えなくなります。


あたりまえのように自分で決めている物事も実は誰かの影響を受けているのです。いろんな影響を受けながらも自分で選ぶということはできますが、それが影響を受けているものだと人は気づいていません。選ぶ価値基準は誰かに影響を受けながら作られてきたものです。これは環境とともに過ごす人間は逃れらないものなんです。書いている私自身も周りの影響を受け、また誰かに影響を与えています。


多くの人は影響されている事に気づいていないのです。私たちは成長する中で色々な価値観や習慣などありとあらゆることから無意識的にも意識的にも影響を受けてきました。そしていつのまにかその影響を受けたことを自分の価値観だと信じきってしまっています。また後の章で書きますが、自分自身の性格さえも最初からもっていたように思い込んでいます。さきほどもあたりまえのことを疑うことは大切だといいました。あたりまえのことを疑えないということは、すでにいつの間にか根拠もなく当然のように、あたりまえの事を信じきっています。あたりまえだと思いこんでいる。いや正確に言うとあたりまえだと思いこまされてきたのです。それは成長していく中で洗脳されているといってもかまわないように思います。私たちは絶えず成長し、また成長して年をとる中でいろんな人やものに影響を受け自分の価値観や思い込みを作っているのです。ほとんどの人は無意識的にあたりまえだと思い込んでいます。



あたりまえはほんとにあたりまえ?
世界であたりまえだと証明できるものはほとんどありません。実験で科学的に証明されているじゃないかといいますが、科学というものは実は非常にあいまいなものです。100回実験して100回成功すれば、それは1つの法則として確実に判断できるでしょうか?実はできません100回実験しても101回目には違う結果になるかもしれないし、101回目がうまくいっても102回目は違うかもしれない。100回して100回成功する法則は事実ではなく、あくまでも仮説です。また世の中同じ実験は一度として行えません。実験器具も一度使えば劣化しますし、実験する人間も時間がたつほどに年をとり変化します。気流や観測できない量子レベルの微妙な変化もあるでしょう。よく似た状況は作れますが、完璧に同じ状況なんてものはありません。世の中はほとんど仮説によってなりたっています。そして当たり前だと人々が信じきった「常識」でさえも時に大きく覆ることがあります。価値観や常識なんてものは怪しいものです。今あなたが常識だと思ったことを、あなた以外がすべての人があなたと反対の意見だとどうでしょう。それでもあなたはそれが常識だとおもいますか?


昔、ロボトミー手術を考案した人がノーベル賞をとりました。これはすばらしいと、その手術はまたたくまに世界中で行われるようになりました。ノーベル賞とう世界の権威が認めたわけですから、すばらくないわけがありません。しかし今そのような手術をしている人はほとんどいません。行えば世間や社会から強いバッシングをされるでしょう。その手術といったいどのようなものでしょうか。この手術は脳の前頭前野(感情や思考、人間らしいさをつかさどる脳の部分)を切除するものでした。どのような人に実施したかといいますと、主に精神に障害をもっている人に行っていました。それも欝などの比較的経度のものまで。軽度の頭痛でも実施しています。さまざまな人に行われたのでしょう。手術を行えば行動は減りますが、自発性や笑顔なども同時になくなって、まるで生きているか、死んでいるのかわかないような人間に代わりました。(人によってさまざまですが、多くはよい結果を招くどころか、悪い結果ばかりを招いてしまった)ロボトミー手術とは人格を壊す手術だったのです。だから今は非人道的であり、効果も疑わしいという認識にかわり、今はほとんど実施されていません。


こういった例は少ないと思っておられますか?医療の世界では実は白が黒に変わることや、黒が白に変わることなんて頻繁に起こっていることです。権威が白といえば盲目的に影響され、白しかみえませんし、逆に黒といえば黒としかみえないものです。もちろんすべての人がそうではありません。だからこそ白が黒にひっくりかえることもあるのでしょう。文化が変わると常識とされているものも変わります。例えばブラジルと日本では多くの常識が異なるでしょう。しかし常識を正しいと思い込んでいるたくさんいます。そして他の誰かに常識を押し付けています。文化が変わると、常識なんてもものは変わります。常識はそのときによって変えていくものではないのでしょうか。いつのまにか人は常識や価値観に影響され、人とはこうあらなければいけないと思い込み自分をその枠に押さえ込んでいます。押さえ込んでいることさえ意識せすに。



さて少し話を戻しましょう。もう一度考えてみましょう。あなたは誰かに影響されていることを気づいているでしょうか。もちろん尊敬する人の影響を受けた。なんていう認識はあるかもしれませんね。しかし実際はそんなものは一部にしかすぎません。もっとたくさんの影響を無意識的に受けているものです。生きている限り無意識のメッセージを受け取ると前に書きました。実はその無意識のメッセージすべてが実は影響されている要因です。また例を出すと、よく観察してみるとわかるのですが、立ってしゃべってる集団がいます、その中で一人がしゃがむと、みんな合わせたかのようにしゃがんでしゃべりだします。それは意識してやっているのではありません。話に夢中でそんなことには意識がいかないものです。しかし無意識的に一人が座ったという情報を受け、無意識的に反応しています。こういったことが常に日常茶飯事に起こっています。



影響されていることに受身でいるか、主体気にいるか
マインドコントロールされている人間が、コントロールされていると自覚しているものでしょうか。みんなそんなものにはかかっていない。結局誰かに影響されている事に気づかず「私は私だ」と思う人がマインドコントロールにかかっている人でないでしょうか。「自分らしさ」にこだわっている人ほど、影響されていることに気づいていません。あなたの今している行動はほんとにあなたの意思ので全て決めているでしょうか。あなたの意思で行動しているのでしょうか。質問を変えましょう。逆にあなたの意思のみだけで行動する事は可能なのでしょうか。ためにしに動いてみてください。何をしても回りの人だけじゃなく、ものを含めて影響されていることに気づくでしょう。たとえ何も考えずうろうろしても、床が固いから体はバランスをとりうろうろできるのです。実は環境に影響されないことは不可能なことなんです。僕らは成長していく中で様々な価値観を植え付けられています。いつのまにか、これが正しくてこれが間違っている。これが良いことでこれはどうでもいいこと。など社会の価値観に影響されています。生きていく上で影響される事は逃れらない事です。影響されている事が洗脳されている事ではありません。洗脳されている状態とは最初にいったとおり「洗脳されている事に気づいていない」「影響されている事に気づいていない」という事です。人は常に影響されることから逃れることはできません。そして影響されることに気づいてないので、何に影響されるかということを自分で選んでいないということです。いつの間にか価値観をつくらされ、常識をもたされ、選択されされているのです。


あやしい宗教で洗脳された価値観を、新しい社会の常識という価値観に洗脳させても洗脳されている事にはある意味で大きな違いはありません。あやしい宗教も、社会の常識や価値観も受身的なんです。自分で影響を受けていることさえ気づかず、他の価値観と比較できず、主体的に選択できません。そして常に影響されていることに気づかなければ、結局また違う価値観に受け身的に洗脳されていくでしょう。影響からの逃れることはできませんが、一番危険なのは影響を受けていると自覚できない状態です。それはテレビでみたマインドコントロールされている人と多くは変わらないのではないでしょうか。僕らはいつのまにか今自分がいる社会に影響を受けているのです。そんな人は沢山います。そしてあなた自信も影響されている事に自覚がなければそれこそ今現在マインドコントロールを受けていると言っても過言ではありません。


あやつり人形から卒業しよう
影響されている事を知れば、違う価値観に影響されることも自分で選択します。ですが、それに気づかなければいつまでも影響されっぱなしです。言われるがまま、されるがままに。生きている限り人は何かに影響されますし、誰にも影響されないということは不可能です。しかしそれにまったく気づかないのと、気づき自分で行動する場合ではまったく違います。影響される事をなくすことはできませんが、あやつられていると気づくことができれば、たとえあやつられた状態だとしても少しづつ調整しながら自分の足で歩く事ができます。あやつられる事から唯一対処できる方法は、影響を受けているということに気づく事です。気づき自分で違う価値観に主体的に触れていくことです。そして比較し、自分で選択するのです。あやつり人形はあやつられている事に気づいていないから思い通りにあやつられてしまいます。途中ではっと気づくことができればあやつり人形はあやつられながらも自分の動きたい方へ調整するでしょう。そしていろんな選択をその場にあわせてできるとき人は自由になります。そのときあなた自身があなたを操っているのです。


またあなた自身も存在している事自体が周囲に何かしらの影響を与えている事をお忘れなく。あなたはあやつられる側でもあるけど操る側でもあるのです。それはあやつろうとする意思があろうがなかろうが関係ありません。たとえ相手の事をあやつる意思がなかろうが相手には無意識のメッセージとして相手に影響を及ぼしてしまいます。よいも悪いもあなたの生き方自体が誰かに影響を与えています。もちろん良い、悪いも価値観であり、物事が良いか悪いかも自分で決めたらいいのです。しかし人を尊重することだけ忘れないでください。私もあまり善人ではありません。良い自分、悪い自分もいます。時に柔軟に使いわけるでしょう(笑。私のアイデアは善人になることが目的はありません。みんなが生き生きと過ごすことです。敬うというのはあこがれるとかではありません。違いを認めることです。人の自由を尊重しなければ、あなた自身も尊重しなくていいとなりますので、最低限人を尊重するといことは大切です。自由はすばらしいですが、人の自由を奪えば、あなたも自分の自由を奪っていいということになりますよ。


影響を与えることに言いも、悪くもなく起こるものです。その起こったことに対して受け身にみなるか、気づき主体的にかかわるかの違いです。常に世の中は誰かに影響され、また誰かに影響を及ぼしています。そうしながら社会ができあがっているのです。僕らは無意識的にその中で過ごしていますが、影響されている事に気づけば影響されている事に折り合いをつけながら自分で動くことができます。時に影響されている事さえも味方につけながら。そうすることでより自由になることができます。
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