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好かれたいという行動は逆効果!?

07-03,2011

■認められよう、好かれようという行動はどういうメッセージを相手に送るのでしょうか
多くの人は人に好かれたいとか、認めて欲しいとかいう欲求をもっているものです。私自身も当然もってます。人に認められたときは気持ちのよいものです。多くの人は誰かに認めてもらおうと必死になったり、誰かに好かれたいと思って行動しています。私自身もそういう気持ちはよくわかります。しかしあまりにも人に好かれようとする事は個人的にお勧めできません。なぜ人に好かれようとする行為をお勧めしないのでしょうか。多くの場合、そういった行為は好かれたいとか認められたいという自分自身の欲求のために行動しているからです。その行動は結局無意識のメッセージとなり相手に伝わります。相手にしてもそれは結局自分のためではなくあなたのためにやっている事だと無意識的にも認識します。だから単純にすかれようとする行為、例えばデートの時、気に入られようとして彼女に重くもない小さいカバンを必要以上に持とうとする行為には、意識上ではやさしい人だと認識するかもしれませんが、どこか無意識的に裏があると考えてしまいがちです。逆に本当に困っているとき、つらそうな様子をみて彼氏がカバンをもってあげると彼女は素直にうれしいものです。


いつも好かれたいと思っているということは周囲の事ばかりいつも気にしている状態です。「好かれたい症候群」と個人的に呼んでいます。だからといってバカにできるものではありません。少なくとも私自身もそういった要素をもっているし、ほとんどの人はそういた要素を少なからずもっているのだと思います。私は違うと思っていても、自分が尊敬する人には認められたくないでしょうか。好きな人には好かれたいと思わないでしょうか。すべての人に好かれたいと思う人もいますが、ある特定の自物に好かれたいという欲求はすべてとはいいませんが、ほとんどの人がもっている欲求だと思います。それは自然なことだともいえるでしょう。しかしです。多くの人は好かれたいと思うあまり行動しますが、逆の結果を招くような行動をしているのです。案外自分がしている行動はどういう意味があるのかわからないものです。



■好かれたいという行動をすると相手や自分との関係がうまくいかない
好かれたい症候群になりますと、常に私はあの人や周囲に認められているのか?興味をもたれているのか?ばかりを気にするようになります。好かれようとするあまりにいつの間にか今度は自分自身の気持ちでさえ犠牲にします。自分の気持ちを殺してでも周囲(あるいは特定の人)に好かれようとします。それはとてもしんどい事です。そういった行動をしても上手くはいかないものです。その時は自分を認めてっーという欲求しかありません。それは誰のためでしょう。やはり結局相手の為というよりも自分のために行動している状態です。そして相手に対してではなく自分に対して常に方向性やベクトルが向いている状態です。みんなが喜んでいるかより、自分が好かれているか、みんなが楽しんでいるかより、自分が楽しいと思われているか。そんな思いながら行動します。あまりにこの行動になれてしまっている人は行動している本人も気づかないことが多いのですけどね。


そういった気持ちが態度に出てそして無意識のメッセージとして周囲に届きます。皮肉なもので、結局人のために行動しているようで、相手や周囲には自分のためにしか行動していないという内容の無意識のメッセージが届きます。メッセージの受け手も無意識的に感じるだけで意識化する人は少ないです。だから「いいひと」とは思うけど、知人どまりで友人等それ以上のより親しい関係には発展することは少ないです。(しつこいようですが、もちろん受け手が最終的にメッセージの内容を判断するので例外もあります。)そしてつらいことに最終的により好かれようとして、相手の行動を優先し自分自身でさえ犠牲にしてしまいます。人に好かれたいという思いばかりが先行してしまって自分自身が今本当にはどういう状況なのかさえみれなくなってしまうのです。そういう人はすごく大変な思いを本人はしていますが、本人が出しているメッセージは本人の意図とはまったく逆のメッセージを出していることが多いのです。常に自分ばかり気にしてますよ、大切にしてほしいんですよとうメッセージを周囲に送っている訳ですからあまり好かれません。



■好かれようとする行為は報われない
ではどうすればいいのか。それは好かれようとするのではなく、自分が相手の事を好きになる事だけをすると発想を切り替えます。同じように思いますが大きく違います。好きになるだけなら、好かれているかどうかはあまり気にしなくてよくなります。だからこの人は自分の事をどう思っているのかとう事を気にする必要はありません。誘って嫌われたらどうしようとか思う必要もありません。たとえ断られても別にあなたは好きでいればそれでいいのです。相手がどう思おうが好きでいると言う事は相手に迷惑をかける可能性があると思われがちですが、それはまったく逆です。好かれようとするほうが相手に迷惑をかけます。多くの人は好かれたいという気持ちはもっていますから、純粋に好かれるだけならば悪い気はしません。しかし相手の気持ちや行動を変えたい、自分に向けたいという押し付けをしたとき、とたんに迷惑になります。


好きでいようとか認めようとかという気持ちではなく、好かれようとしてする行動の極端な場合がストーカーです。興味をもってもらうために嫌がらせをしたり、待ち伏したりします。それは実は相手のためにしているのではなく、自分のためにしているのです。好かれたいという思いを押し付けているのです。好きになってほしいと相手をコントロールしたいのです。相手の気持ちが思い通りにならないためにより執拗に迫ってきます。思い通りに行かない事に対して怒り出す人もいるかもしれません。実はストーカーというのは好きという気持ちが強くなったものではなく、自分の事を好きになってほしいという気持ちや、自分の興味を満たすための行動をします。結局相手の事を好きでいるようで実は自分のほうにベクトルが向いているのです。純粋に好きでいるだけであれば自分の問題なので話したり、誘ったりはするかもしれませんが、好きな人に対してわざわざ嫌がることはしないものです。好かれようとするから、自分がどう思われていいるかばかりになり、そして相手の事を見なくなります。もちろんだれでも好かれたいという気持ちはあります。ただバランスを崩して好かれたいという気持ちばかりになる時に自分の事ばかりを気にしてしまい、相手を見なくなります。そして独りよがりな行動をとります。そして自分で自分を苦しくしてしまいます。


余談ですが、恋愛の場合はより好きでいてほしいという気持ちが高まるのではないかと思います。特に若いころはその傾向が強くなるのではないかと思います。だから束縛したり、相手の行動を完全にコントロールしたがるのではないかと思います。きっとお互いが相手の事を好きになる気持ちをもてば自然に相手を尊重できよい関係になるのではないかと思います。



■好かれたいのではなく、好きになる。認められたいのでなく、認める
誰かに好かれたりとか興味をもってほしいという気持ちはだれもがもっている欲求です。そしてそれは当然の欲求です。私自身も好きな人や尊敬する人には好きになってほしい、認められたいという気持ちはあります。だけどそれらは人をコントロールしようとするものでもあります。普段そんなことを意識的には考えません、むしろ「好き」や「認める」というポジティブな言葉のイメージにつられてコントロールしようとしている、つまり無理やり変えようとしているという認識さえ持つことは難しいものです。人に対して「必ず」好きになってもらうことも、興味をもってもらう事もできません。それは相手の気持ちですから。完全にコントロールできるのもではありません。多くの場合無理気持ちを押しつけてしまって逆に引いてしまう事も少なくありません。好きになるのも興味をもってもらうのも相手次第です。だからもうコントロールしようとすることはやめましょう。ではどうしようもないのかと言うとそうではありません。逆に自分にしかできないことがあります。その自分にできることとは、そういったコントロールしようという気持ちをやめて率直に行動してみたらどうどうでしょう。というかそれかしかできません。しかし大切なことです。例えば、好かれようとしなくても好きな人や尊敬する人と過ごすとき、ただ自分が楽しんだり、尊敬するだけでいいのです。好きな人や尊敬する人といると自然に楽しくなったりうれしくなったりもするでしょう。尊敬してますという無意識のメッセージも自分から出ているでしょう。そのとき、認められたいという自分にベクトルが向く態度になると結局こいつは自分のために行動しているというメッセージになるでしょう。一見、同じような行動ですが、無意識のメッセージもまったく質が違うものになります。形にこだわると本質が見えなくなります



■自分も楽に、相手も楽に
結局認められようとするとそれは自分のために相手を思い通りにコントロールしたいというメッセージを伝えていることになります。それを皆無意識に感じます。だからもう自分がどう思われているのかなんてやめることです。ただただ自由にいればその方が相手も自由にいる事ができますし、ただ楽しく過ごすだけで相手にも楽しく過ごしてもらいやすくなるのです。常に気を使われると逆に窮屈な場合もあります。相手が自分が自然にいるとき、一緒にいて快適に過ごしてくれたらお互いが楽です。だから自分がどう思われているなんて思うだけ無駄です。無駄というよりよけいな事です。自分がしたいように楽に過ごしてください。そのほうが必ずではありませんが、結果望んでいるものが手に入りやすいです。好かれたいなら、好きでいる。認められたいなら、相手を認める。それ以上でもないし、それ以下でもありません。もちろんそれもあなたがしたいならそうしてください。無理にしても、無理にしていることが相手に伝わるだけです。


相手を認めているうちに、あいても自分の事を認めてくれるようになります。人は自分の事を認めてくれる人を認めます。しかしそれはあくまでも結果であって必ずではありません。僕らにできる事は自分が相手に興味をもつ。興味をもてば自然に話しける。話しかければ自分に話しかけてくれた人に興味を自然にもつかもしれません。だけどやはり興味をもってもらおうとして話しかけると、それは逆に自分にベクトルが向いていることになるなり無意識のメッセージとして相手に伝わるのです。不思議なものですが、相手には無意識的にそのメッセージを感じ取ります。相手をコントロールできないのなら、自分は好きになる事しかできません。だけどそうすることによって無意識のメッセージによって相手の反応が変わります。好きになることで必ずではないですが、多くの場合人から好かれる場合が多いです。普通に考えれば自分の事をよく思ってくれている人の事を嫌いにはなりにくいでしょう。気持ちを押しつける人は好きになりにくいですが。



■必ずという発想は捨てる
ここまで長々と書いていきましたが、いくら好かれようという気持ちをやめて自分が楽しそうにしたら相手が「必ず」楽しそうになるとい発想は危険なんです。この「必ず」ということがポイントです。この「必ず」の中にはやはりおもったように人をコントロールできるという考えが入っています。また完全に支配したいという欲求があります。そしていくら自分が楽しくしようとしても結局相手の反応ばかり見ている状態になります。なんども言いますが結局他人を完全にコントロールする事は不可能です。しかし自分の行動はコントロールできますから、そんな事考えず楽しく過ごせばいいのだと思います。そうすることで逆に周囲にあなたといると楽しいというメッセージを送る事になります。認めてほしかったら認めればいいんです。結果人が集まりやすくなります。どうしても無理な人もいるでしょう。そういう時どちらかが悪いのではなく、ただ相性の問題です。無理なら仕方がありません。できないものはできません。すべて完全にできる人なんていませんから。




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COMMENT

自分を認めることって難しいですね。
メールってどう送ったらよろしいですか?

悲しいかな、この記事を読んで当てはまるとことがとても多く
2011/03/16(水) 23:12:40 |URL|カミジ #- [EDIT]
少しづつでいいと思いますよ。
僕自身も少しづつ変化しています。
メールは右のフォームから送れますよー。
2011/03/16(水) 23:47:23 |URL|ぐっさん #- [EDIT]
すごく前に書かれた記事ですが、たまたま見つけて、コメントさせていただきます。
無意識でやっていた好かれようとする心が逆効果だったんだって、気付かされました。
考え方のプロセスに感激しました。
明日からまたいい方へ自分を変化させれそうです。ありがとうございました。 21歳 大学4年生より
2015/07/04(土) 23:08:19 |URL|のあ #tHX44QXM [EDIT]
久しぶりに読みました。

文章は改善の余地ありですが、
我ながらよいことを書くもんだ笑
2015/07/05(日) 22:49:37 |URL|管理人 #- [EDIT]

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