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挨拶を例に無意識のメッセージを考える

06-28,2011

■普段なにげなくしている挨拶の意味を知っていますか?
 人に挨拶するという事は、言葉が違ってもほとんどの国で行っていることではないかと思います。言葉の内容ではないということですね。言葉以外と定義した無意識のメッセージを解説するにはよい例です。皆さん普通に普段挨拶をしていると思います。また後輩や、自分の子供に挨拶をするようにとアドバイスをしたりもしています。しかしなぜ愛西をするのか、挨拶はどういう意味があるのか考えてみたことはあるでしょうか。

 「おはよう」と声をかける行為の中にも言葉の内容以外にも大切な意味合いが含まれています。なぜ挨拶を大きな声でされると気持ちのよいものなんでしょうか?逆にあいさつをしたのに無視をされるとなぜ嫌な気分になるんでしょうか。また少し読むのをやめて考えてみてください。どのような答えが浮かんだでしょうか。



■人は常に自分が存在している事を感じようとしている
 普段意識することは少ないのですが、人は当たり前のように自分は今、ここに存在しているという認識や実感をもっています。あまりにも存在していると言う事があたりまえすぎてそんな事は考えることありませんが、この実感は実は私たちが安定して生活するうえでとても大切な感覚なんです。人は自分がその場にいる事を感じるからそこに存在しているという無意識的な認識を持ちます。生まれたての赤ちゃんは自分の手や足を自分のものだとと上手く認識できていないそうです。そのため赤ちゃんは自分の手や足を動かしたり口にはこんだりするなかで自分の足なんだ、自分の手なんだという認識をしていくわけです。環境の中で動いたり、探索することで自分の認識を強めていきます。床に触れたり、手を押し付けたり色んな動作をします。環境の中で動かすことで自分自身を感じようとしているんですね。逆に環境を通して感じる事をしないと自分の認識が薄れたままで上手く作ることができません。


また少し考えてみてください。
あなた今パソコンもしくは携帯電話をみていますよね。身近にあるものを何でもいいので動かしてみてください。なんでもいいです。動きますね?


 では次もイメージしながら読んでみてください。次に先ほど触ったものを手で物を動かそうとしても何も触ることができずスカッと通り過ぎてしまいます。現実にはおこりませんが手がその物を触わる事ができず通り抜けるイメージです。何を触るにしてもスカスカして動かすことはできません。いったいどうしたんだと驚くはずでしょう。そこで近くにいる人に助けを求めますが、相手はまったくこちらに気づきません。一生懸命焦って話しているのにまるで知らん様子です。少しイメージしてみてください。

何を触っても触った感じがしない。いくら動いても物体1つ動かすことなく、周囲は静まりかえっている。人に話しけけても相手は何の反応もしない。自分の体もなんだかフワフワしている。直感的に自分の存在が半透明になっていくような感じがしませんか?これは何かに似てませんか?透明で生きているように思えない。そうです。幽霊みたいですね。存在しているかどうかはわかりませんが幽霊というのはそういう直感的なイメージから生み出されたものかもしれません。そのうち目が見えなくなって周囲の音も聞こえなくなったらどうでしょう。自分はここに存在しているという認識に変化はおこるでしょうか。自分が動いていることも感じられなくなったらどうでしょう。きっと動かされてもまったくわからなくなります。触れたり、動いたり、見たり、聞いたり、すべての感覚がなくなると自分がどこにいるかさえも、自分がほんとに存在しているのかもわからなくなります。



■人は環境から情報を受け取ることによって、さらに自分の認識を深めていきます。
私たちは手や足、体を使って僕らは環境に働きかけることができます。例えばティッシュの箱を動かそうとして手を使って動かします。すると当然ですが、ティッシュの箱は動きますね。当たり前ですが、これが重要なことなんです。ティッシュの箱が動くことで、様々な事を感じる事ができます。手はティッシュを押したときの抵抗感、腕の重さ、筋肉の緊張、視覚からはティッシュの位置の変化した事など上げだしたらきりがないくらい様々な感覚を感じるわけです。


 つまり環境側に働きかけることによって、より自分を感じる事ができます。そういう環境の変化を自分の身体で感じることで赤ちゃん同様に自分の存在を認識しています。逆に環境が無いと人はほとんど自分を感じることはほとんどできないでしょう。そもそも環境がないと空気や重力もないという事なんでその中で生きているという事自体がありえませんが、環境が単調だったり、ベットで寝たきりの生活や、家からでず引きこもりの生活をしていると環境が減るという事は言えると思います。


つまり人は動いて環境に働きかけることによって、感覚を使って感じることで自分の存在を認識しています。動けないと環境の変化は少ないですから、自分がしっかりそこに存在しているという感覚も減りますし、環境が動いたことを適切に反応しない場合も感じることは減りますので自分が存在している認識が薄くなっていきます。よ引きこもりや寝たきりは認知症の高リスクになるといわれていますが、結局自分の認識が薄くなっていくことが度を越えると、自分の認識がうまくいかず、自分の認識がうまくいかなければ、周囲との環境とも適切に関係することはできないので、また自分の認識が上手くいかないわけです。また病院に高齢者が入院したとき環境があわずに認知症の兆候が現れるというのもなれない環境や病院の生活の中で、適切に自分を認識することが難しくなっているのです。



■人は無意識のメッセージで自分の存在を確認している
 人は感じる事をしないと自分の認識が薄れていく。人は環境があるから感じる事ができる。人はなんらかの行動をして環境に働きかける事によって環境が反応します。逆に環境から働きかけられることに反応する事もできます。どちらか一方の矢印になるのではなく常に矢印が「人」←→「環境」と相互に影響しているイメージです。環境と人が相互に反応をしてるわけです。その反応を感じることによって自らが存在しているという認識を持つ事ができます。それは絶えず行われているものです。環境に働きかけ、自分を認識する事の繰り返しを死ぬまでしています。常に環境と人が適応している積み重ねが人生と言ってもいいでしょう。そして上手く適応できれば生き生きとして人生を送ることができます。


さて今まで感じるといってましたが、いったい何を感じて自分を認識しているのでしょう。それこそが無意識のメッセージです。目や耳、体全体を使って無意識のメッセージを感じています。私たちは環境の変化を無意識のメッセージとして感じそれが一体どういう意味を持つのか判断しています。そのメッセージを判断することで自分の認識に反映させていきます。それはほとんどの場合無意識におこることであり、認識することは稀です。しかしそう言った無意識のメッセージを受けることにより不安を抱いたり、時に安心したり大きな感情の変化を生みます。大きな深刻な問題にもなることもありますが人はなぜそのようになったのか適切に判断できることは少ないでしょう。引きこもりや、寝たきりで認知症になったのであれば、当然生活を変えてより質のよい無意識のメッセージが本人に受けてもらえるような生活にしなければ元気になりません。脳も問題としてだけとらえ薬をだせばおしまいではないのです。脳はたえず環境と適応するように働いてます。脳を考えるのであれば、環境も考えないと上手くいきません。



■結局挨拶とはなんでしょうか
さあ、あいさつの話に戻りたいと思います。なぜ挨拶をすると相手は気持ちいいのか、なぜ挨拶を無視されると自分は腹が立つのか。「おはようございます」と大きな声で挨拶されるのは気持ちのよいものです。人は常に環境から何かを感じています。それは実に様々なものです。挨拶される側になってみましょう。挨拶という行為自体は環境からの無意識のメッセージとして考えることができます。言葉の内容じゃありません。言葉以外の行為が重要です。気持ちよく相手にあいさつをするいう行為はは相手の存在を認めてますよというメッセージを相手に送っている。ということなんです。厳密にいうと挨拶をされる事で自分を確認するきっかけをもらえたという事です。挨拶をしてもらう事で環境が反応しているわけですから、自分の存在をしっかり認識する事ができます。


 挨拶を大きな声で相手にして無視されるとうのは、環境側からの反応がないと言う事ですね。環境側から何も反応がなければ、人は環境に働きかけている事で自分の存在自体を感じているわけですから、先ほどあげたティッシュの例と同じで自分の存在を否定された気持ちになります。つまり相手からはあなたの存在は存在してませんよというメッセージを無意識のメッセージとして相手に送っているのです。ここで注意しなければいけないのは環境に適応しようとはしているけども、環境に依存しているわけではないということです。挨拶を返してくれないのは確かに自分の存在を確認できず、不安になりますが、だからといって挨拶してもらうように働きかけなければいけないわけではありません。ひとつの環境にこだわるのは逆に環境に依存してしまいがちです。自分の存在が確認できないのであれば、自分のやり方をかえて挨拶の方法ややり方を変える、挨拶する人を変えるなど上手く環境に適応できる方法を柔軟に探していけばいいのです。


また相手は人ですので、人から受けるメッセージはよりその認識を強くします。また積極的に働きかけたのに環境からの反応が得られないのはより否定感を強めてしまいます。いじめで無視をされるというのは完全な存在否定なんですね。文句を言われるより時に残酷です。何もしていないから相手に何もメッセージを何を出していないかというとそういう事ではありません。相手に存在を認めませんよというメッセージを出しているのです。

挨拶とは声をかける行為の中で、お互いの存在を認めあう無意識のメッセージを送る事だといえます。だから世界中で挨拶があるのかもしれませんね。ハローでもボンジュールでもアニョハセヨでもナマステでもすべて言葉は違うけど意味すると事は一緒です。きっと存在を認めあえる行為であれば言葉はなんだっていいんです。挨拶っていいもんですね。




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