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案外自分の事を分かってないジブン

06-24,2011

■世界はかなりのスピードで変化している
私たちのすんでいる社会は良くも悪くも確実に変化しています。じっとしていても、その変化を感じなくても確実にこの世界は変わってきているのです。日本でも一昔前と今では仕事のあり方も大きく変わっています。終身雇用や年功序列が崩壊しているばかりか、パソコン・インターネットの発達により国と国の境目が薄くなり、また情報も2剰の世界になって急速に世界はこれまでに見た事がないスピードで変化しています。道具はますます便利になり、この社会はどのような進化をとげるのか予想もできません。それは悪い事なのか、よい事なのかはわかりません。ただどちらにしろ実際に世界は急激なスピードで変わっているもの事実です。まともに変化についていける人はごくわずかでしょう。閉塞感に満ち溢れた今の日本ではある一定の環境や考え方になれすぎているので世界の人に比べるとより適応しにくいかもしれません。


■ただ生かされているという状態になっていませんか
これから先、たしかにより便利になるでしょう。よりすべてが早くなるでしょう。便利は時に人を助けるものですが、時に人の感覚を鈍くしていくものでもあります。これからの未来はより何も動かず、考えることもなく多くの物事ができてしまうわけです。1日中ボタン1つで住む生活を想像してみてください。果たして便利だけどそこに自分が生きている実感を持つことはできるでしょうか。便利な世の中になっていますが、そのまま常に受身になることでいつの間にか人は環境の中で生きているのではなく、環境の中で生かされていくようになります。ただ生きることのできる水槽の中で飼われているような、そんな印象を受けます。世界は発展していっているのかもしれません。しかしその発展が人を退化させる事だってあるのです。今も環境の中でただ生かされている人は周りにいませんか。何かあれば周りが悪い、何かしてくれないからだとかと自分は何もすることなく周囲への不満や不平を言いいます。なんとなくご飯を食べて毎日なんとなく仕事する。自分の行動は自分が選んでいるのにそれさえも気づかず、誰かにさせられていると思っていたり。そこに自分で生きているいう感覚が希薄になっている人はいませんか。いつの間にか生きるのではなく、この環境の中で生かされている。やはり水槽の中で飼われている魚のようになっているような気がします。魚と違うところは人は本当はみずから仕切りなんてものはないのに、便利でそれなりに死なずに暮らせるためそこから動かなく、仕切りがあると思いこんでいるということでしょうか。

 よくロボットが人工知能を得て人間を襲うなんて映画がありましたが、確かにその想像は外れてはないように思います。ただ違うのは人間はより何も考えず、感じず現代のロボットに近づいています。生きているというよりかは毎日作業しているように思いませんか。ロボットが人間になるではなく、人間がロボットに近づいてきているようにも思います。

 便利が悪い事ではありません。世界が発展するのも悪い事ではありません。自分がどのように行動するのか、自分がどのようにあるのか(存在するのか)が重要です。便利も使いこなせればより人は色々な世界を見ることができます。飛行機が開発され僕らはそれに乗ることで気軽に海外にもいけるようになりました。日本中飛び回ることだってできます。インターネットを使って普段は購入することができないものも買うこともできます。インターネットで海外の友達を作ることだってできます。それはまた新たな体験をつくるでしょう。それは便利なくしてはできないものです。もう一度言います。便利は悪いことではありません。ただ便利だからと言ってなにも考えず流されてしまう事が受け身の状態を作るのだと思います。便利は使いようです。今のまま、ただその場に生かされていることで自分が本当に満足できるならそれは1つの選択肢です。ただ便利をうまく使ってより主体的に生き生きと過ごすことを選択することだってできるのです。




■もしかして自分の事わかっていると思ってませんか?
 私たちはどのように行動していけばいいのでしょうか。闇雲に思うがまま、思い込みに任せて動けばいいのでしょうか。人は自分が思っているよりも案外自分の事をわかっていないものです。どこかで自分のことを知っていると思っていますが、実際しらないことのほうが多いのです。またわかっていると思っている人はそれ以外の自分の可能性を見なくなります。それ以上の自分を発見することはできません。自分のことをわかっているという思い込みが自分に注意を向けなくなり知らない自分自身を発見することなく自分を固定化しています。もっとよい部分があるかもしれないのに、自分とはこのようなものだと思い込むことで自分の可能性を閉じてしまっています。もっと色んな一面が自分にはあるかもしれないことを、わかっていると思いこんでいるばかりに自分の違う一面を見ようとしません。自分らしさという思い込みの中で自分の可能性を否定しています。多くの人はこんなことを言われるまで「わかっている」のか「わかってないのか」さえ考えることもしません。多くの人は無意識的に「わかっている」という前提で考えてしまうので限られた自分から抜け出せずいきずまってしますのです。

 何か問題が起こった時、私たち自分以外の他人や環境など外を変えようとします。しかしその時変えることができるのは自分自身です。物質的な限られた範囲で変えることや、新しい環境に自ら行動することはできますが、完全に世界を思いどおりにできるのは仮に存在するのであれば神様しかいません。自分以外の人を思い通りに変えることはとても難しいものです。すべて自分の思い通りに環境が変わるというこはできません。人が唯一楽に変えられるのは自分の行動だけです。どうにもならない状況の中でよりよく生きたい時、状況の変化が大きい世の中で一番目をむけなればならないのは自分自身です。自分に目を向けるためには、自分を知り、人を知る必要があります。自分を知ることできれば、変化する世の中で自分をよりよく使うことができ、より柔軟にこの世界や世の中とうまく付き合っていくことができます。そしてより柔軟に環境に適応することで人はよりよく生きることができます。人が生き生きと過ごしているとき、それは環境に適応している時なのです。

世界は変わります。そして予測なんてだれにもできません。そんなことができれば私は今頃株でも買って大金持ちです。よく未来をイメージして行動する考え方がありますが、それは実に危ないことです。夢を持つことはいいのですが、それに執着するあまり、今を大切にできなくなってしまいます。そしてもっとよい状態の自分というものが発見できなくなるのです。夢をあきらめろといっているわけではありません。今をよりよく生きることが夢につながることもできるんじゃないかという話です。夢を追いかけている今が幸せならばそれはそれでかまいません。プロ野球選手になりたい子供は、今野球する事がすごく楽しくで夢中になれればそれを続けていけばいいんです。自分は無理だからと思う必要もありません。言いたいことはただよりよく今を生きていこうということです。

そして夢はその中で同じでもいいし、変わってもいい。夢をかなえるということは夢を実現することで自分がよりよく生きるための手段です。夢をかなえても自分が不幸になったら意味があません。俳優になろうが、金持ちになろうがそれは自分が幸せになるための手段です。そこを勘違いして金持ちになる手段を夢にして、家族を犠牲にしたり、友達を裏切ったり金持ちになったけど孤独で幸せでないということに意味はあるのでしょうか。もちろん価値観はひとそれぞれなので、そういう人生でもいいというのなら否定しません。だけど金持ちになりたいあまり、自分を不幸にしていることでさえ気づいていない人は、もう一度自分が幸せに生きる選択もあれば、より自分が納得できるほうを選ぶことができるでしょう。金持ちは不幸という話ではありません。金持ちになって幸せになる選択もあるのです。だけど本当になにを望んでいるかを案外人は気づきません。いつの間にか目的と手段を入れ違ったまま行動している人も多いのです。


世界は変わっています。どんな環境や状況になるかわからない今だからこそどこにでも生き生きと適応できる自分を発見していかなければならないのです。自分を知り、その環境に適応する鍵となるものが新しい体験の中で自分の思い込みに気づき、新しい自分や考え方を発見する。そうすることで人は新しい選択に気づきより自分で生きることができます。自分で主体的に選択することで私たちはこの変化にとんだ世界の中でより自由に豊かに生きることができます。情報が氾濫している今だからこそより「自分が何を感じ何を思うのか」という自分に注目することが大切になってきます。


■自分を知ることで人を知り世界を知ることが出来る
人は普段意識していないだけでただ普通に生活しているだけで、無意識のメッセージを周囲に常に発しています。それを受け取る側も意識する、しないにしろ影響を受けて生活してます。多くのひとはそれに気づいていません。時々直感的にわかる場合はありますが、意識をしている人はあまりいません。もちろんスピリチュアルなものでありません。どちらかと言えばそれを解明するためのものです。興味があれが少しずつ解説していくので読み進めてください。無意識のメッセージは言葉やジェスチャーと同様、もしくはそれ以上に周囲に与える影響は大きいものです。人間は生きている限り常に無意識的なメッセージを放ち、絶えず無意識的なメッセージを受け取っています。つまり生きている限り切っても切れないものなんです。その無意識的なメッセージをとらえ上手く使うことができれば、もっと生きやすくなります。

またその無意識のメッセージによって自分のセルフイメージが形成されています。セルフイメージとは自分はこうであるという認識です。詳しくは後で書きますね。よく自信をもてという言葉を聞きますが、自分を信じるとはどういった状態をさすのでしょうか。自信とはなんでしょう。実はどんな自分でも自分だという状態を持てることが自信なんです。イケてる自分、イケてないない自分色んな自分がいます。あたりまえです。完璧な人間なんていません。イケてる自分だけ自分だと認めてしまうと途端に窮屈になります。だってそんなの無理ですから。だからどんな自分で自分だと受け入れる。それが自信なんです。そしてそこにセルフイメージが大きく影響されてます。

自分を新しい視点で考える事ができれば、他人についても同じように考えることができます。自分同様に新しい視点で他人をとらえる事ができます。ある人の事を頼れるとか、この人ステキとか自分と同様なんらかのイメージを持っているわけです。だけど相手を信じるというのはそのイメージ通りに行動してくれることを望むのではなく、やはり変化する自分を認めてあげるのと同様、どんなあなたでもあなたですよ。という事が相手を信じるという事になるのではないでしょうか。このように自分に対して考える事は、逆にいえば他人の事を考えるための基礎になります。ですから自分に対して知らない事を相手に対してできるわけがありません。

このように自分を知れば、そして自分を通して人を知れば、この世界の色々な事について考えられるようになります。考えてみればあたりまえの話です。世界は常に変化していますが、自分は常にそこにいますから。人は自分を通じてでないとこの世界を見る事はできません。自分の体験は自分の体験ですが、相手の体験はやはり相手のものなんです。しかし自分の体験を通じて世界をみることはできるのです。自分というフィルターを磨けばより世界を、世の中を細かくみれるかもしれません。

 セルフイメージと無意識的なメッセージを変える。これを言いかえると「自分との付き合い方を変える」という事だともいえます。自分というものを決まり切った思いこみをせず、もっと自由に自分自身と付き合っていってもいいんです。本来人はもっと自由です。それを自分自身でおもしをつけないでください。自分で自分の足を引っ張るのは馬鹿らしいことです。悲しい事でもあります。そして同じように他の人の足を引っ張るのはとても情けない事だと思います。自分が自由でいるという事は他の人も自由でいるという事です。何度も言いますが人に好き勝手に危害を加えたり、自分の価値観を相手に押し付けたりする事は相手の自由を損なう行為です。同じように相手にされればそれは自分自身も自由を奪われるでしょう。そしてそれが分かれば自然に他人に自分の価値観を押し付けることも減少するでしょう。



2章 あなたは知らないうちに影響しあっていると気づいてましたか
>>>次のページへ 普段意識しないからこそ無意識のメッセージ
>>>表紙に戻る






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