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他人や自分にも思いこみを押しつけている

06-23,2011

■どこかに大切なものを忘れていませんか?
 私たちはとても豊かな国で生活しています。例外はあるかもしれませんが、きれいな水をいつでも、どこでも飲む事ができます。インターネットは発達し、町にでればギャンブルや娯楽などがあふれています。テレビをつければ何かしらの情報や誘惑が常にあります。僕たちの住んでいるこの日本は少なくともこの世界の中でみると裕福な国であると思います。経済大国であることに変わりはありません。

 しかしなにか窮屈ではないでしょうか。何か満たされない気持ちももって生活していませんか。生き生きとしている人と自分を比べてため息をしたことはありませんか。確かに娯楽もあるし、死ぬリスクは限りなく低くなっています。だからといって本当に楽しく生きているのかといわれると疑問を持たれる方も多いのではないでしょうか。その違いはなんでしょうか。

もっと楽しく生き生きと毎日が過ごせたらと思いませんか。私自身がそうでした。何か違和感というか満たされない気持ちで生きていました。ただ生きるためだけに便利なものや娯楽などまですべてそろっているはずなのに。なぜ生き生きと過ごすことができないのでしょうか。どうすれば生き生きと毎日を過ごすことができるんでしょうか。私たちはいつのまにか何か大切なものを忘れているのではないでしょうか。

■昔よりも閉塞感が強くなっている日本
日本は今、閉塞感に溢れているように思います。閉塞感の中で生きにくさを感じている人がたくさんいます。世の中の学者やコメンテーターは経済が原因だとか、デフレに経済の悪化、消費の低下、少子化が原因だとか言われていわれています。確かにどうにもならず経済的な苦しさが閉塞的な状況を作り出すことはあるでしょう。

 だけどその理解ですべて解決するのでしょうか。僕らがこれから生き生きと過ごすための答えは経済的な豊かさなのでしょうか。他の国はどうでしょうか。日本より物質的に豊かでない国はたくさんあります。まがりなりにも日本は先進国の1つです。先進国ではない国に住んでいる人は日本人よりも閉塞感を抱えているのでしょうか。昔発展途上国だったころの日本は閉塞感は今より少なかったのでしょうか。先進国の人のほうが本当に幸せなんでしょうか。

 現在の日本のは昔の日本よりも閉塞感は強くなっていると思います。うつ病や、自ら命を絶つ者も増えているのはなぜでしょうか。個々によって理由は様々ですから、もちろん経済的に苦しい人もいるでしょう。逆に経済的な理由だけでは日本は昔に比べてずっとそのような人が少なくなるはずです。しかし現実はそうではありません。むしろ増えています。どうやら経済的な理由以外にもう一つしっかり知っていなければいけない事がありそうです。これから先、生き生きと生活していくためにも閉塞感っていうものの正体を見極めていかなれければいけません。


■閉塞感は実態がない
閉塞感とは何なのか。閉塞感というのは苦しさ、生きにくさ、動きにくさという人の感覚や価値観なのです。同じような状況でもそこに対して閉塞的なのかどうなのかを判断するのは、そこにいる人が個々で判断することです。もちろん経済的に豊かな事は大切な事です。お金がないとご飯も食べれません。食べれないと当然死んでしまいます。お金が必要ではないと言っているわけではなく、お金だけでは解決できないと言っているのです。経済的に豊かであっても、そうでないにしろ、その状況の中でどのように感じるかはその人の思うところに左右されます。今の日本は他の国に比べると豊かだと思います。まともに水さえ飲めない国もあるし、まともに医療を受けれない国もある。そういう国に比べるとどれだけ恵まれているでしょうか。あくまでも状況だけをとらえると日本人は生き生きと過ごしていると考えれます。だけど現実にはそうならない。なぜかそのような一見めぐまれた状況の中でも閉塞感を感じてしまいます。


■知らないうちに誰かの価値観に影響されている
今まで日本はがんばってきました。頑張って、努力し発展し先進国になり、物が豊かになってきました。逆にいえば頑張りさえ行えばいいのです。これまで私たちは頑張ってさえいれば社会が自分たちの事を守ってくれました。何も考えなくてもただがんばっていれば家族を持ち、家を購入しマイカーを手に入れ、子供を大学に入れることができたのです。そして老後も国が年金によって補償してくれていました。だからこそ自分のためではなく会社のために生きることができました。そしてそれが正しいという価値観が社会の中にあふれていました。

しかし時代は変わりつつあります。会社のためにがんばっても会社がつぶれたり、リストラにされることも珍しくない時代になりました。何も考えなくて生きるということができない時代になりつつあるように思います。しかしがんばってきた日本で私たちは成長して大人になってきました。成長していく中で無意識的にも意識的にもそういった社会の価値観に影響されて僕ら自身の価値観を作り大人になっていきます。いつもまにか、私たちの深いところにそういった価値観が影響されています。

「こうしなければいけない」
「こうすることが正しいことだ」
「失敗してはいけない」
「楽をするな。人間努力しなければいけない」
「無理してでも続けろ」
「歯を食いしばって努力したやつしか成功できない」

というような事を一度は言われたり、思ったりした事はありませんか?


■自分にも他人にも思いこみを押しつけている
 私たちが成長している間に無意識にか作られた価値観が閉塞感のある日本を作りあげています。今の日本はお互いが閉塞感を押し付けあっているような気がしてなりません。お互いに正しさを押し付けて生活をしているように思います。また多くの人は正しさやこうしなければいけないという事を無条件に、そして疑う事もなく信じています。自分の持っている考え方がまるで世界中変わらないあたりまえの事のように思っているのです。だから他人も同じだと思いこみます。それは他人ばかりではなく自分自身にも閉塞感を押し付けています。そう自分自身にもです。今ここでしっかり考えてみてください。がんばると言う事は本当によい事なんでしょうか?それが正しいことなんでしょうか。

がんばる事がいけないことだは言いません。それは人それぞれです。また状況によって変わるものです。人それぞれの目的に向かっていけばいいのです。しかしがんばりすぎて体調をくづして人生をうまく生きれない人もたくさんいます。また一日中楽しくて仕方がなく仕事をしている人には、いやだと思って歯を食いしばって仕事をしている人はかないません。また自由であれば人を傷つけてもいいとも言いません。人は本来自由ですので、相手の自由を侵すといことは、人の自由を尊重していないわけです。つまり自分は自由ではないということになります。わがままと自由は違います。自由とは本来お互いを尊重するなかで存在するものです。

 生き方というものに答えがあるわけでなく、あるとしたらそれは雄一自分の生き方しかありません。しかし自分の生き方がよくわかわからず、今まで当たり前だと思い込んでいた常識や考え方を疑うことさえする人が少ないのが現状です。いつの間に影響された価値観を自分の価値観として無理にでも取り組んでしまいます。またどこかの本にでも書いている事をそのまま鵜呑みにしたり、本に正解があると思っている人も少なくありません。もちろん参考するのはいいですが最終的には自分で決めるものなんです。自分で決められないと人からこうすべきだという価値観を違和感がありながらも自分を抑え込んで納得しようとします。そしてそういうものだとまた同じように人に押し付けてしまいます。他人の価値観で生きると言う事は自分の人生を他人にゆだねてしまう事になり自分で考えなくなります。

私たちは色々な価値観を押し付けられ生きてきました。しかしその価値観のおかげで深く考えなくても、人とは何か、自分とは何かを考えなくても生きていくこともできたのです。そして何も考えなくても社会が発展し生活ができてきました。ただ同時に自分の感じた事よりも優先してしまうので、窮屈さを感じます。考えなくても動くことができるのでより考えず、自分よりも周囲の価値観に合わせて生きるようになります。つまり他人の価値観や正しさばかりを自分に無理に押し付け本来の自分の感じた事や考えを自分で否定したり奪う事が閉塞感を感じる原因なのではないでしょうか。

多くの人が思っている価値観や常識、正しさなんてものは思い込みにしかすぎません。人は自分の思い込みで自分を縛りつけ、また他の人まで縛りつけます。これから少しずつ思い込みを検証していきたいと思います。こんなことまで思い込みだったのかと驚きますよ。



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COMMENT

閉塞感は、文明(価値)の進歩が人間の能力の限界に近づいていることが原因ではないでしょうか。文学でも哲学も音楽でも技術でも、長続きする様な画期的な新たな発見が難しくなってきている(範囲が少なくなってきている)ことでしょう。何か発見しても直ぐに越され飽きられることにみんなが気付き始めたことでしょう。自分の価値に閉塞感があることでしょう。価値の方向性を変えることが必要でしょう。成熟した欧州と行け行けの途上国で価値観が少し違う様に、価値の方向性は世界規模で変化してゆかなければならないと思う。 閉塞感は感度の高い日本だからこそ気付き始めたことと思う。 閉塞感を前向きに捕らえて、閉塞感を無くすのではなく、閉塞感を閉塞感とみなさない価値観の変化が求められていると思う。
2011/01/06(木) 01:34:41 |URL|HAHAHA #- [EDIT]
確かにそれはある意味、行き詰まっていることへの気づきかもしれませんね。またその文明の進歩が人が体を使って現実を感じる力を奪って、頭の中で生きようとさせていているような気がします。便利になった反面、便利な事でまるで人間のほんらい生き生きと過ごせる能力を奪っているような気もします。なんでもかんでも誰かが用意にしてもらった世界に生きているような感覚があります。まるで水槽にいる魚のような感じです。ただ実際に水槽に入っている訳ではなく、水槽に入っていると思いこんでいるだけです。そういう考え方(価値観)を変えることで実はもっと生き生きと泳ぐことができるかもしれないと思ってます。思いこみの水槽をやめてしまって自由に泳げばいいし、みんなにもそういったきっかけを作りたいと思ってます。今の状態でも生き生きと過ぎしている人は水槽に枠なんて作らず、逆に今の便利な文明を自分の充実した体験ができるように自由に泳いでいるのでしょう。どちらにしろ僕も新しい価値観がこれからもとめらると思ってますし必要になると思ってます。そういう提案ができるようになりたいと思ってます。
2011/01/06(木) 20:18:10 |URL|ぐっさん #- [EDIT]
「私の思考探求」という番組もあるようです。そうですね、水槽は「私(の思考)」ですね。私が私の思考から自由に泳ぎだすには、思考だけの産物が認知されない状態になれば、自ずと思考のみから離れ泳ぎ出せる様になるかもしれない。電子メールの抜けのない思考文化から、口を滑らして恥を書いても良いよ、という大らかでいい加減でも良いよという価値感への変化も一つの手かもしれない。メールではなくて電話などでコメントを音声(音質は変えて)でUPできると、思考+少し体になって、何か変化があるかもしれない。
2011/01/06(木) 23:56:08 |URL|HAHAHA #- [EDIT]
文字だけでは伝わらないものがありますよね。声の出し方などによっても伝わるものは確実に僕も変わると思います。水槽の枠組みをなくすにはに自分が今までしていない新しい体験をすることが大切だと思ってます。そうする事で今までの思考の枠組みから抜け出し新しい発想を学ぶことが出来る。だからこそ僕は体験型のセミナーを行いたいと思ってますし、まずその入り口として自分の仕事であるリハビリや介護などの体を使う体験を通じたセミナーをしていきたいと思います。主に相手の人の立ち上がりや寝返りなどを手伝ったりする練習を行うのですが、実は介助というのも、人と触れる、一緒に動く、人に動かされるのを許す、相手の動きを感じるなどコミュニケーションの根本といえる様々な事を体験できます。また人を助けるとはどういう事なのかという哲学的な話にもなります。介助するその奥には人と人との豊かな関わりがあると思ってます。今その勉強を深めているところでもあります。(キネステティクスというものです)今年の春にはコースを開催出来る予定です。
NHKの番組も知りませんでした。おもしろそうなので見てみようと思います。
2011/01/07(金) 21:00:32 |URL|ぐっさん #- [EDIT]

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