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専門性について考える

07-02,2010

人間は常に1つの部分で語れることはできないと思います。人間の体は、というか心も完全に分けることはできないのです。 人間の体を考えた時には人間の心も考えなければいけません。人間の体と心を考えた時にはこれにかかわる環境も考えていかなければならい。もっと考えるならばその人が過ごしてきた過去(どういう風に今まで心と体を使っていたかとか)や文化(例えば家庭でどのような事を教えられてきたか、習慣化するようになっているのか)なども踏まえていかなければ実は体の一部といえど考えることができないのだと思います



ある種専門的な勉強をしている人ほど人をその専門だけでとらえようとします。 専門の勉強を生かそうとする事は大切なのですが、、その専門の中に人間を納めてしまいそうになるのです。 医者は人間を病気の有無や状態としてとらえ、リハビリは人間を体の機能としてとらえ、 看護は病気の症状としてとらえ、介護は目の前の業務でとらえてしまうような傾向があります。 もちろんすべての人がそうでなく、そういう傾向がありますよ。という事です。

人間というのはそんな専門の枠組みとらえられるほど単純でなく、わからない事がたくさんあります。
そういう専門性をもっている人ほど何か人についてわかっているという感覚をもってしまいがちです。初対面の人だけでも体をみるだけて分かってしまう気分になるとか。

専門性は「人とういうものもがなにか」というとらえ方が土台としてしっかりあってこそ発揮されるものではないかと思います。また介護とリハビリとかきっちり分けれるものでもないし、それぞれがある程度かぶっててもいいのではないかと思います。
むしろ人の生活の豊かさなんてものを考えるときっちり分けられることのほうがおかしいのだと思います。ある程度かぶってて当然です。

よく看護の視点からとか、リハビリの視点からとかいう話がカンファレンスの時とかにあると思いますけど、それも何かおかしいような気がいつもします。
お互いが、全体的に人をとらえようとしないで限られた視点の中で人をとらえようとしてしまうから、そういう話になるんじゃないかと思います。

ようはちゃんと元気になればいいんです。それが大切ですから。元気になるためには一部の視点じゃなくもっと幅広い視点でそれぞれがみないといけないように思います。体の事だけでもいけないし、業務の事だけでもいけない。業務も体も別々に存在しているわけではなく、互いに関連しているわけです。(業務もその人にとったら環境ですから、環境は常に個体に影響を与えて個体の状況を変化させています。)

病気をとらえる事もそうです。精神神経免疫学は、様々な病気を環境を含め1つの人としてとらえてアプローチします。環境からくるストレスも当然、個体に影響しているわけです。だけど多くの医者の場合そういったストレスからくる疾患でも多くの場合はその病態だけをみて対処してしまいがちです。薬だけをだしたりとか。

視点を広げるということは「どれだけ物事を関連づけて考えられるか」という事です。
だから一部の部分だけでは関連づけする事も限界があります。

専門性というのは「得意な事」であって、視点を限定する事ではないと思います。人の見方やとらえ方を限定するわけでもありません。人を全体的にとらえ元気になるために、自分は何ができるのか、何がその人に貢献できるのか、その時に初めて専門性というものが発揮されるのではないかと思います。
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