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自分「の」体ってなんだろか?

05-16,2010

今回はちょっとマニアックな話。
そして今回はちょっとまだまとめきれてませんし、また変わるかもしれませんけど自分の考えをまとめる意味で書きます。けっこう意味不明なところもあるかもしれませんが、堪忍です。

皆さんは自分の体について考えてみた事はありますか。

例えば自分の人差し指に注目してみましょう。
これは自分の指ですよね。

ではその指は自分自身なんですかね?
ちょっと考えてみましょう。
自分というのはどこに存在しているんでしょうか。

例えばなんらかの事故で自分の人差し指が切断されたとしましょう。
その時は自分自身はどちらにありますか?

指ですか?それともそれ以外の残されている部分ですかね。
多くの人は当然切断された部分以外を自分自身だと感じるはずです。
例えば頭とか体とか足とか。

同じように足はどうでしょうか。
やはりそれ以外の部分について自分の存在を感じるはずです。
事故で両足が切断された人は足がなくなったことで大きなショックを受けますが、自分はそれ以外の部分に存在していると感じているように思います。
足にこだわる事は当然あると思いますが、自分自身が足をなくした事でショックを受けているという認識です。「自分自身」が自分「の」足をです。

なにやら自分自身がわからなくなってきます。
自分というのはどこに存在しているんでしょうか。
自分の体というのはなんなんでしょうか。

自分「の」体なんです。
普段なにげ使っている言葉ですが、この「の」がついている事によって自分の所有物だというニュアンスが含まれています。

では自分の体というものをどういうふうにとらえていけばいいのか。自分の体というものはどういう役割をになっているのでしょうか。

人が生活していく上で環境があります。
人は環境の中に適応する事によって生きていく事ができます。

環境には重力もあるし、空気もある。もちろん人間関係だって環境です。
環境とは自分自身以外の物を環境といいます。
その環境に適応できないという事はなんらかの悪影響をもたらし、最悪の場合死ぬこともあります。

人が環境に適応して生き生きといきていくためには環境適応する事が大切になります。

ではどのように環境に適応していくのでしょうか?
当然人が環境に適応していく上でなんらかのプロセスがあるはずです。

僕はそれが自分「の」体であると思います。
自分の体を上手く使う事で環境に適応していくんです。

自分自身が体を使うことによって環境に適応するんです。
つまり体というのは環境に適応する道具であると言えるかもしれません。

体には感覚器という環境を感じる部分が全身にあり、またそれは自分自身の体の状況も感じることができます。
僕はらこの世界を感覚器を通して知覚する事により認識しています。また自分自身の存在をどうように認識するかは感覚器によって自分を知覚、認知することによって認識しています。

また筋肉も体じゅうについており、筋肉を働かす事によって環境に働きかける事ができます。
手の動きはもちろんですが、話すというのも声帯の筋肉の動きですし、笑うというのも表情筋の動きです。

僕らは体を使う事によって環境を感じ、また環境に働きかける事ができるのです。
体はそのために道具です。自分自身と環境をつなげている道具なんです。
体の機能が低下するという事は環境を感じることが減り、また働きかける事が減るということです。道具という性能が低下することで環境適応が難しくなるということだと思います。
(だからといって環境適応できないわけではありません。環境が適応できるように援助することもできますし、また体の使い方を変えれば違う適応の仕方が発見できるかもしれません。)

では自分というのはどこに存在しているのか。
今の自分の考えではやはり頭、特に脳にあるように思います。
たとえ頭とそれ以外の体が分離することがあっても自分自身は頭、つまり脳のほうに存在する気がします。
もちろん生きていればですけどね。

体を使って知覚するなかで、脳がこの世界を作り認識している。そして脳が指令をだすことでこの世界とかかわっていると思うんです。

結局脳かよ。って話じゃなくて脳は体の影響を受けます。

感じ方が違えば脳も影響を受けますし、体の動かし方が違えば同じように影響を受けます
嫌な事を感じればそれだけ自分自身はダメだという認識になるかもしれないし、
逆に体の動かし方が不器用であれば動く気がおきなかったり。
感じたり、動いたりすることで自分が存在している事が分かるわけです。また考える事ができます。

つまりからだは自分自身の存在について影響を及ぼすものであり、体を使うことで自分の存在を認識しています。そういった意味で自分自身の一部だという特性もあるのだと言えるのかもしれません。

また自分自身とは少し違う性質をもっているので体は環境のような特性もあるのです。
体が大きいとそれだけ自分自身の認識が変化すると思います。
ムキムキになればなにやら自信までついてきそうです。
体が体という道具を感じているという事ですので、自分自身の環境としても考えられます。

まとめると体は環境でもあるし、自分自身の一部でもある。自分と環境をつなぐものであると言えるのかもしれません。環境に適応するためにからだという道具が必要になる。だけどその道具自体も自分自身に影響をあたえ、また自分自身の一部でもある。というものだと思います。
なにか自分と環境の中間的などちらの要素も含んでいるように思えます。
体という道具を使って世界を知り、働きかける。またそれによって自分自身が変化する。自分の存在を確認する。
自分自身にとって一番大切な所有物であり、一番大切な道具である事は確かです。

自分の体という道具の使い方が上手くなればより環境の適応がはかれます。
体の使い方の質があがれば道具をより上手く使えるという事になります。
そしてそれは自分自身によい影響を与えます。
今ある体の機能をあげ向上することは可能ですが、使い方ばまずいと意味がありません。もちろん上がらない人もいます。今より上手く使うという事は、使い方の質を上げるという事です。よりよく使うという事です。


自分の体を使って世界を認識しているわけですから、感じ方の質が変われば世界が変わります。
いい世界も悪い世界も自分の認識の影響を受けます。つまりどうとらえるか、どう思うか。それは主観であり、質の部分です。だからこそ質が大切になります。
また働きかけの質が変わればより環境に豊かにかかわれる事ができます。そうすることでよりよく感じることができます。そのようなよい循環を作ることが、よりよい適応が図れるように思います。


あー、なんだかまとまったような、まとまらんような。
あたまの中でまだ整理しきれてません。また機会があればまとめなおしたいと思います。
今はただ頭の中のものを広げた感じです。まだまだ広がりそうな感じで収集がつかないので取り敢えずここで止めます。
もっと勉強してきます。(汗
そしてまた書きます。


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