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人の動きから考える認知症2 記憶について

09-29,2012

人の動きから考える認知症シリーズ2です。
前回はこちら
人の動きから考える認知症 3分類とアプローチ
今回も一つの意見として気軽に見てください。


1.記憶力とは何か

記憶力が低下するというときはどういった状態でしょうか?
人は思い出す時何を思い出しているのでしょう?

人の記憶はすべて関連することによって記憶しています。単純に昨日の食事を思い出そうとした時も、意識しないかもしれませんが、どういった状況で、誰と食べたか、何時頃食べたかなどという情報も同時に思い出してます。単語だけを思い出しているわけではありません。逆に何を食べたか思い出せない場合、状況や時間、どのような場所で食べたかを思い出してみると、何を食べたかも思い出す事がより簡単になります。

それでも思い出せないのなら、自分は何をそこで何を話したか、食事をする前後は何をしていたか、においはどうか、その時の感情はどのようなものだったか、など他にも関連づけられるような所から思い出してみてください。その時に関わる様々なことを関連付けすることより思い出すことができるでしょう。逆に忘れたくない場合、何かに関連付けをすることはとても有効な方法です。

人は何も関連づけができない時、記憶することがとても困難になります。
パスタ、オムレツ、ハンバーガー、うどん、ステーキ
これらを簡単に覚えることはできるでしょうか?

人間の脳は優秀ですから、パスタと聞いただけで、お皿に載ったパスタを思い出し、人によりますが、そのとき食べた感情なども意識することなく、ほぼ自動的に思い出します。おいしそうな匂いや食感や塩見や旨味。お腹が減ってきました(笑
多くの人は無意識的にも映像化し、質感なども関連づけて記憶しているのです。

ではこれはどうでしょう?
ほでぎょう、ぎょうほ、べとうっき、がおうぐわ、ぎょうえいほ(適当に入力しました)

同じぐらいの文字数ですが、容易に覚えられるものではありません。覚えられたとしても先ほどよりも難しいと思います。これは関連付けができないからです。関連付けすることができないと、記憶力は極端に低下します。つまり記憶力の大きな部分は関連付けする能力に大きく影響しています。記憶力の低下とは「関連付けする能力の低下」とも言えます。実は関連付けしない単純な記憶力は人間はあまり持っていません。単純な数字の羅列を覚えるだけでも何にも関連づけしない場合とても覚えるのに苦労します。数字でさえ、数字という枠組みで関連づけされています。

один два три четыре пять шесть семь восемь девять
これはロシア語の1〜9までの読み方を表しています。

دٌ اِثْنَانِ ثَلَاثَةٌ اَرْبَعَةٌ خَمْسَةٌ سِتَّةٌ سَبْعَةٌ ثَمَانِيَةٌ تِسْعَةٌ
これはアラビア文字の1〜9までの読み方を書いてものです。

私達の使いなれた数字の読み方を捨ててこれらの文字だけを使ってあなたは何桁の数字を覚えることができるでしょう。多くの人はわずかだと思います。少なくとも私はわずかです。例えばこの羅列четыре пять اَرْبَعَةٌ ثَمَانِيَةٌ これをすぐに覚えられるでしょうか?日本語にすると四五二六です。(たぶん汗)そうするとすでに日本語の数字を関連付けを利用して簡単に覚えられます。本来関連付けができないと人は記憶することがかなり難しいのです。普段記憶力を使っている私達にとって意外なことですが、やはり人の記憶は本来少ししか記憶することはできません。関連づけすることで、この能力を何十倍も、何百倍まで伸ばしているのです。テストでも学問でもただ単純に単語や文字を暗記するのは非常に不効率です。前後の流れや全体を体系化して覚えることで人はより覚えることができるのです。物事をよく知っている人はこの体系化する能力、言い換えると関連づけする能力を使っています。もちろん何かを学び始めた最初ほど関連づけられるものが少ないですので最初はゆっくりであまり単純に暗記するのと違いを感じられなかもしれません。しかし少しづつ体系化していくと、関連付けがまた違う関連とつながり様々なことを効率よく覚えることができます。知識が豊かな人ほどのこの関連づけする能力を使っています。まさに知識を2乗にして増やすことができます。


2.認知症と記憶すること

ここで認知症を考えましょう。なぜ認知症の人は記憶力が低下するのでしょう?
もともと人は記憶する能力が少ないとしたら、やはり物事を関連づけする能力が低下していることが大きいです。ではなぜ関連づけすることができないのでしょうか?

多くの認知症の人は老化に伴い、自分自身の認識を上手く書き換えることができません。自分のことをいつまでも若いと思っていたり(動きの混乱化)、自分のことの認識自体が鈍くなっていたり(動きの習慣化)、自分自身を否定したりしています(動きの縮小化)。ついこの前書いた動きからみた認知症の3分類に対応するものです。

これらが自分自身の認識に大きく影響していきます。多くの自分自身の認識について現実とずれが生じているのです。自分自身の認識がずれたまま周囲、つまり環境と関わると、当然そこにずれがわずかにでも生じます。最初は簡単なことです。自分では大きく足を上げているつもりでも、実際は自分が思ったより上がっていなかったり(動きの混乱化)、同じことをただ繰り返しているだけで周囲の変化についていけなかったり(動きの習慣化)、動く事自体が少なくなって環境と関わる機会がへったり(動きの縮小化)するような状態です。やはりこれらも実は認知症の動きの3分類でみられる典型的なパターンです。


3.自分自身の認識のずれが関連づけをしにくくさせる

共通していえることはやはり自分の認識がずれていることで、環境と上手くつき合うことができません。そうなると物事を上手く関連づけすることができないのです。空間で考えてみましょう。自分の居場所でさえ、周囲と関連づけることで認識しています。現在地がわかることで、はじめて自分の右手にトイレがあるとか、その奥に風呂場があるとかという位置関係も理解できるのです。自分の位置関係が曖昧なままトイレの位置を覚えてもあまり意味がありません。右手にあると思って覚えても、180度回ればトイレは自分の左手にありますから。やはり自分の位置関係がはっきりすること、そして空間と関連づけができることで、空間の中で自由に動けるようになるのです。時間で考えても同じです。自分がある場所で朝起きた光が顔にあたるから朝と理解し、夜は暗くなるから夜と認識します。時間も空間も自分自身と環境を関連づけすることで認識します。仮に真っ暗な部屋で何十時間も時計もなく過ごすといったい今の時間はいつなのか、自分はどちらの方角を向いているのか、多くの人は混乱を起こすでしょう。

自分の認識のずれが、環境と上手くつき合うことができず、そしてそこに起こった物事を関連することも難しくなるのです。例えその度合いが最初はわずかにずれていたしても、その影響はあります。空間との関連性が少しでもずれていれば、無意識的にも予想していた位置と少しずれるわけですから、関連づけもその分も少し曖昧になります。日常的にはあまり困ることなく、最初は無意識的でほんの些細な変化かもしれませんが、最近忘れっぽくなったなと思うのはこのような段階であることが多いと考えられます。

このようなずれが大きくなれば、より物事を関連することはできなくなります。昨日は何を食べましたか?と人に聞かれても、どこで食べただろうか?いつ食べただろうか?などの関連付けができなくなると、より何を食べたか忘れる割合は大きくなるでしょう。例え食べたものを覚えていたとしても、どこでいつ食べたか思い出すことができなければ、食べたという実感も少なくなります。状況の関連付けが少なくなればなるほどやはり記憶は曖昧になるのです。例えば料理をしていても、その活動には関連性があるのです。料理がスムーズに作られるのはその活動との前後関係がはっきり関連付けができているからです。なぜ作ろうととしたのか?だれに作ろうとしたのか?なんのために野菜を切っているのか?どこで作っているのか?など。これらに関連付けができなくなったとき、私は何をしているのだろうか?と思うようになります。

自分と時間の前後の関係性が曖昧になれば、自分が何歳でどのようは人なのかが曖昧になります。自分自身はこういう人だと言えるのは、過去の状況と関連づけているから述べることができるのです。自分と空間の位置との関連性が曖昧になれば、自分どこに居て、どこに向かっているかが曖昧になります。やはり自分がどのような生活をしていたのか曖昧になります。これらは自分のアイデンティティにも大きく影響するものです。自分が存在しているという認識でさえ曖昧になり、不安感を抱く人も少なくありません。

このような過程で関連付けが行うことができなくなれば、それは悪循環になります。人はまた自分の認識を理解するのに環境とかかわることでその認識を助けています。ですから、ズレがはじまれば、それはまた大きなズレになっていくことでしょう。実際動きてみて、予想と違うこと(例えば今まで家にいたのに、急に道に立っている、夜だと思っていたのに、昼だと言われるなど)が起きればより自分自身の認識も悪影響を及ぼします。大きな事故や脳梗塞でもないかぎり、明日から急にすべて忘れたということはほどんどありません。多くは徐々に悪循環のループにはまっていくのです。そしてそれに伴い脳の構造自体も変化していくのです。器質的な変化も見られるでしょう。もちろん体質や遺伝的な特性によって認知症になりやすい、なりにくいはあると思います。ここではそれ以外の要因と可能性を探しています。認知症を動きを中心に置き換えることで私達がより様々な側面で理解し、できることが増えることが目的です。


4.動きから自分との関連性を再構築する

私達は無意識的に昨日何を食べたかを思い出す時、自然とその状況を思い出して夕食を思い出そうとします。状況を思い出さないようにすると、何を食べたかも思い出しにくくなります。昨日の晩何を食べたかでさえ結局関連づけができない限り、高性能な脳をもってしても簡単に思い出せないこともあるでしょう。関連付けができるということは高性能な脳をよりよく使う方法でもあります。ですから心に残るとても素敵な出来事や信じられないぐらい最低な出来事があれば、何年経っても覚えているものです。例え認知症の初期状で物事との関連付けに曖昧さがあっても、すばらしい体験は心や記憶に残る人の少なくありません。それはやはり関連づけが曖昧さの中だとしてもその時はっきり働いているからです。だからといって常に大きな出来事ばかりあると周囲も本人も疲れ果ててしまいます。日常的には関連付けの曖昧さに対して何らかのかかわりが必要です。

体の認識のズレが記憶力の低下の一つの要因であるならば、やはり動きにアプローチする方法が有効だと言えます。もう一度自分自身とのズレを見直していく必要があります。言い換えると自分と自分の動きの関連性を見直すところかです。例えば動きの混乱化タイプであれば、落ち着いた状況でもう一度ゆっくりと落ちついて物事と関わる環境を提供することで、動きの習慣化タイプであれば、いつもと違う体験を提供することで、動きの縮小化タイプであれば、少しずつ無理なく動きや行動を拡大することで自分との関連づけを再構築していくのです。(詳しくは前回の人の動きから考える認知症 3つの分類とアプローチを参照にしてください)
これらはすべてなんからの体験を提供することでもあります。私達は生活を通じて、また関わりを通じて「体験」を提供することができます。自分を再構築できるような体験を提供していくのです。(こちらも参考にしてみて下さい 体験を提供すること)

実際にある程度は動きの支援により、自分自身の認識が回復し、関連づけができるようになると、認知機能が高まる事例も少なくありません。動きの支援といってもピンとこないかもしれませんが、動きの支援をするということは「新しい動きをする体験を提供」しているのです。先日書いた3つの認知症の分類とアプローチを参考にしながら、キネステティクスなどを通じて人の動きを学んでもらえればと思います。人の動きは心や体、環境すべてが統合されたものですから、学ぶ価値はあります。統合とは関連付けなのです。脳の本質的な役割の一つは自分や環境に関連づけをすることです。動きの理解はその根本的な理解につながります。自分のためにも、ケアをしている人のためにも人の動きを学んでみることをおすすめします。最初はゆっくりですが、少しづつより色々な物事が関連づけて考えられるようになるでしょう。


リンク元
動きの学習とリハビリテーション研究会 Face bookページ
https://www.facebook.com/ugokinogakusyu
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そういえば

09-25,2012

そういえば...

動きの学習とリハビリテーション研究会をこのブログで紹介してませんでした。
実はそのような研究会を立ち上げていたのです。

これは新しい人の動きに関する学習をリハビリテーションなどに生かす研究会です。
リハビリテーションや動きに学習に興味がある人なら職種は問いません。
どなたでも大歓迎です。

今はキネステティクスを中心に扱ってますが、
今後は徐々にフェルデンクライスメソッドやアレクサンダーテクニークなども扱っていく予定です。
もちろん免許を取得してです。


動きの学習とリハビリテーション研究会

Face book ページ
https://www.facebook.com/ugokinogakusyu

※よろしければ「いいね」を押していただけるとありがたく思います。


ホームページ
http://ugokinogakusyu.jimdo.com/

ちなみにLCMACもちゃんとやってますよ〜。
そちらもよろしくお願いします。

ホームページ
http://www.lc-mac.com/

人の動きから考える認知症 3つの分類とアプローチ 谷口式2

09-24,2012

以前にも認知症の分類を書きましたが、より動きに特化して認知症を分類してみました。なぜ動きと言われるかもしれませんが、生活とは動きの集まりです。どんな動きの傾向があるかによって生活が作られるわけです。ですから動きにアプローチすることは生活そのものをアプローチすることと同じです。動きは精神も、身体も、環境も、感情も分けることはできません。活動、行動、行為、ふるまい、態度、色々な言い方はありますが、これらは動きを別の言い方で表現したものです。

まず動きの認知症分類をしてみましょう。

1.動きの混乱化タイプ

以前であれば若さやありあまる筋力を使ってできることでも、老いてからも同じ方法で行うことによって無理が生じます。社会の価値観も影響していると思いますが、いつまでも自分は若いと思い込みたいため、何にでも無理して若い頃の方法で行おうとします。しかし現実的に体は違うものですから、できることとできない事を把握できていないために、無理やり動く事になります。そうすると頭の中の若い自分と、現実の筋力の衰えてる自分とのズレが大きくなっていきます。地図を見る時、まず自分の現在地を確認して状況を理解するように、この世界は自分を基準に認識しています。ですから自分の認識がズレると徐々に自分や周りの解釈が歪んでいきます。こういった人は繊細にゆっくり動く事が苦手な場合が多いです。がさつに大きく動く方法しか知りません。一番良い頃に戻るというのはこのタイプの傾向です。人はこうでなくてはいけないという思い込みが強い人は、自分の老いを受け入れることができず、無理に若者のような優秀で活発な動きをします。一つの価値観にしばられて自分で自分を必要以上にいじめているのです。柔軟に動けないということは、思い込みに囚われているということでもあるのです。


2.動きの習慣化タイプ

毎日のほどんどを習慣的に過ごし、ほぼ自動的に時間が過ぎていく状態です。物事に対して習慣的な動きや行動を何も考えなくても行います。それは一見良い事のように思えますが、度を超えている場合です。ある種習慣化したパターンは多くの注意力を必要としないので、簡単に行うことができます。それは人間として必要な能力ですが、逆に習慣とは違うことができる能力も大切です。これが無いと同じことを何も考えず行うロボットのようになります。つまり過度に習慣化した生活のパターンが考える力を徐々に奪っていくのです。ひどくなるとほんとにロボットのように同じ動きを繰りかえします。動き方も固定的で慣れた反復的な動きや同じような行動を繰り返します。俗にいう常同行為です。人は毎日そういう違いのある生活を送れるわけではありませんが、大切なのは人は同じように過ごす毎日の中に小さな違いを感じ、喜んだり、悲しんだりします。常に同じように毎日が過ぎているわけではないのです。しかしこのタイプの生活はただ漠然と毎日が過ぎていきます。自動的に動き、自動的にご飯を食べ、自動的に寝る。このような反応です。色々とたとえもあり、個人によって違いますが、ご飯も食べるという行為さえも楽しむより、口に物を入れる行為に近い状態だと言えます。


3.動きの縮小化タイプ

最初は外出しないから始まり、部屋にこもりだし、ベッドにこもります。最終的には自分自身の中にこもってしまいます。そして手足を動かすことでさえしなくなります。これらの傾向としてあきらかに動きが減少しています。多くの場合なんらかの動くことに対する障害やストレスから始まっていることが多いです。文字通り動けないという障害、それだけなく、動くのがおっくうになる。動く事が単純にしんどい。何か動きたくない、行きたくない理由がある、出て行く理由がないなど色々な理由があります。これらに共通するのは動く事が少なくなり、それが徐々に目立つようになっていることです。最初は行動が、最終的には小さな動きさえも少なくなる。それはいきなり始まるものではなく徐々に悪循環として起こります。一つのきっかけがさらにより動く事がない状態へと導きやすいのです。


このように考えると
実は動きを変えることによって認知症にアプローチができます。
それを各タイプ別に見ていきます。

1.動きの混乱化タイプ

このタイプはゆっくりと動いたり、行動する機会を提供していくことで自分が何をしているのかを実感してもらいましょう。つまり生活の中に落ち着いて過ごす時間を提供します。落ち着いた動きになる環境を用意するとも言えます。リラックスできる雰囲気、そのままのあなたでいいですよというありのままを認めてくれる関係なども含まれます。本人が混乱しているのは、多くの場合、現実には老いた自分を若いまだまだやれる自分にこだわるから混乱します。あきらめろというわけではありません。老いた状態でもよりよくできる方法や動き方はたくさんあります。筋力がなくても、楽に落ち着いて、洗練して動くことは可能です。老いと戦い若者のような動きをするのではなく、成熟した落ち着いたゆっくりとした動きを獲得していくことで自分の可能性を違う方向で見つけることができます。そうすることで今の自分をよい意味で認め、「昔」を生きるのではなく、「今」を生きるころができるでしょう。


2.動きの習慣化タイプ

このタイプには新しい体験をする機会を提供し、新しい自発的な反応を引き出すことです。そういった機会を生活の中にもうける必要があります。ただ無理に何かをさせるのではなく、よく相手を観察しながら、反応を引き出し「違い」を積み重ねていきましょう。このように関わったらこんな反応がでた、じゃあ今度はこうしてみようという積み重ねです。1日の生活を観察し習慣化されたパターンに小さな変化がでればよい兆候です。ただそこで安心するのではなく、またそのかかわった方法がが習慣化されたパターンになってしまえば効果が薄くなります。だからこそ積み重ねる必要があります。つまり一度相手に変化があったからといって、その手法を繰り返すのではなく、常に援助者側も習慣化しないようにその変化を敏感にとらえ関わり方をかえるように注意しなければいけません。過去に成功したアプローチでもそれを習慣のように繰り返すと、新しい習慣を作るだけです。ですからそのアプローチを繰り返しても本人の習慣化を強めるだけなのです。プログラムなどを立てる必要もありません。常に柔軟に反応をみながらやり方を変え反応を引き出してください。例えプログラムを立て成功したとしても、関わり方を反応に応じて少ずつ変える必要があります。ここで大切なポイントは大きく変わる必要はありません。毎日の生活が大きくかわれば逆に習慣化のパターンが強い人はついていけません。そしてついていけないために、より今の習慣化のパターンにこだわります。ほんの小さい変化を積み重ねればかまいません。こちらからしたら小さな変化でも、本人にしたら充分大きな変化です。相手を変えようとしないこと。相手をかえるのではなく、自分が相手の小さい変化を発見できる能力や、援助者が習慣化していないかが大切です。


3.動きの縮小化タイプ

このタイプは無理なく、行動範囲を拡大していきましょう。行動や動きの拡大が好循環を生みます。ここも無理に引き出すのではなく、相手が自発的に楽に動けるようにかかわっていきましょう。そして少しずつ新しい場所を見たり、なじみの空間を動く事によって増やしていきます。楽に安心して動ける空間をとりもどすと同時に、楽に動ける動きを援助します。ここで重要なのは相手の反応を引き出すことであり、時間が要する場合が多いです。つまり援助者はすぐに結果を求めるのではなく、「待つ」という過程が必要なのこともあります。相手が止まっているときは、動き出すまでの必要な準備をしているのかもしれません。待つことができず、結果を求めてばかりいるといつのまにか、それは強要になり、より動きの縮小化をすすめていくことになるでしょう。また楽な動きを援助者が知っていることも大切です。楽に立ち上がるには、楽に起き上がるにはどうすればいいか?などそれらを知っているとよりよい提案ができるでしょう。


最後に

ここであげたのはすべて相手を変えるのではないということです。すべて援助者の行動や動きを変えることで、2次的に相手がかわります。もしそれで思ったような反応を得られない場合、相手をかえるのではなく、また援助者自身の行動や動きを変える必要があります。相手を無理に変えようとした場合失敗します。人は変えられるのではなく、自ら変わるものです。厳密に相手を変えることはできますが、多くの場合受け身にしたり、受動的にすることができるのみです。主体的にその人の人生を自らで動いてほしいと思う時、それを手伝うには援助者自身、つまり自分が変わることが大切なのです。

ということはまず、自分の動きや行動についてより知っていく必要があります。自分はどのような傾向があるか、どのような事を相手にしているのか。相手を助けようとして、相手の邪魔をしていることはよくあります。例えば相手のためだと思っても、動きや行動を強要した場合、多くの場合人はここで上げた3つのタイプの反応を示します。抵抗してもかなわず、強制されている自分を認めない(動きの混乱タイプ)、抵抗することをあきらめて、何も考えずそのまま強制されたことをする(動きの習慣化タイプ)、抵抗するのをあきらめて、自分の殻に閉じこもり反応が鈍くなる(動きの縮小化タイプ)

これらの分類は言ってみれば、3つの動きや行動の反応のパターンです。たかがか動きだと思うかもしれません。しかし動きの積み重ねが生活になり、人生になります。だからこそ動きを理解しアプローチすることはとても重要です。むしろ動きなくしてはアプローチでできないと思います。心と体はつながっています。そしてこれらと環境が合わさったものが動きなのです。動きを支援することは体を支援することはもちろん、同じぐらい心も支援するのです。もちろん完全によくなるものではないかもしれません、しかし動きを引き出すことはその人の可能性を引き出すことでもあります。また動きが良くなるということはよりよく生きることでもあります。その人の人生は動きの集まりだからです。だからこそ、認知症にかかわらず、動きを支援する意味があるのだと思います。私達は認知症をよくしたいと思うことと同様に、よりよくその人に生きてほしいという思いでかかわるのですから。

ここであげた分類も大切なのですが、動きを通じて自分は相手にどんな影響を与えているのかを見つめることがもっとも大切だともいます。自分を見つめながらこの分類を生かしてくれれば嬉しいです。それはきっと援助者自身の認知症の予防にもなり、またよりよく生きることにもつながるでしょう。
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