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数字について知ってほしいこと

03-15,2012

数字をつかえばいいという風潮が世の中にある。

特にリハビリ業界、医療、介護業界なんてもそうだ。

だけど多くの場合「数字とは何か」というものをあまり把握せず使っているように思える。

時に数字を使っている事で自分は難しい高度な事をしているという認識にさえなってしまいがちだ。

そもそも数字って何なのだろう。

ちょっと掘り下げてみよう。

皆さん「1」と見た時に何を想像できるだろうか。

たぶん少し困惑する人がいるはず。

では「1」というものに情報がどれぐらいあるだろうか。

これも少し困惑するが、それが当たり前だ。

「1」という情報は「1」という情報以外ないのだから。

それ以上でもなく、それ以下でもない。

それをふまえて「1つ」というものを考えてみると

「何かが1つ」という情報しかない。

ここで簡単な足し算をしてみる。

コップ1つと時計1つで合計はいくらだろう。

当然2つだ。

では前の足し算を忘れて、この「2つ」という数字だけに注目しよう。

これは何かが2つだという情報しかない。

どんな情報が抜け落ちているか。

コップと時計という情報は数字にすることによってすっかり抜け落ちてしまっている。

仮にそのコップが大切な人にもらった思い出のコップだとしても

時計が初めての給料をすべて使って、思い切って買った高級な時計だとしても

2つという数字からはわからない。

つまり、数字化するということは、情報をシンプルにするということだ。

数字を使うという事は

難しい事をしているのではく、むしろ簡単に理解するためのツールなのだ。

つまり時に大事な情報は数字には残らない。

多くの人はこれを忘れてしまっている。

数字を使えば物事を深く知る事ができると思っている。

例えばコップ1つ+時計1つ+花瓶1つ+フォーク1つ

はいくらでしょう?

応えは4つだ。

だけどこの「4つ」にどれだけの意味があるかというと

なにかが4つあるというだけだ。

しかもこんなバラバラな種類が4つ集まっても意味をなさない。

では人間はどうだろう。

木村さん+鈴木さん+小林さん+田中さん=4人

「4人」という数字だけ見ると

田中さんの魅力的な笑顔とか

鈴木さんの滑らかな動きとか

小林さんの個性的な生活とか

田中さんの生まれもった強靭な体質だとか

そういったものは一切「4人」に含まない。

木村さん+鈴木さん+小林さん+田中さん+ポチ+タマ=6

これはもう訳がわからない。

実は数字にするということの方が簡単だ。

数字は物事をシンプルにする。

多くの場合数字は「量」をあわらし、「質」を犠牲にする。

数字を使わない方が物事の本質に迫れる場合はたくさんある。

数字を使ってすべて理解しようとすることが無理がある。

むしろ数字でしか理解できない人は物事の本質にいつまでたってもせまれない。

ただ一つ注意したいことは

数字は悪者ではない。

ただの道具だ。

その道具の特性をわかった上で使うのであれば何も問題はないし、便利なものだ。

単純に物事を理解したい時にはかなり有効なものだ。

お金を数える時にいちいち札の汚れているかどうかなんて気にすればきりがない。

ただそこにはほとんどの情報が抜け落ちているということを知っている必要がある。

数字の特性をわかった上でそれに適した状況で使うことは必要だ。

ただ数字の特性をわかっていないと

いつの間にか数字を使っているつもりが、数字に使われてしまっている。

あなたはどうだろうか?

あたなの大切な人はただの「1」でしょうか。

それともそれでは表しきれない存在でしょうか?



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認知症 生活分類とそのアプローチ(谷口式)

03-14,2012

現代のメカニクス的な医療では認知症をとらえることは難しい。
脳梗塞での高次脳障害を認知症とさえ呼んでしまっていることはよけいにいただけない。

そしてアプローチが方法論になっている。
日記を書くとか、パソコンをするとか、水彩画とか。
はっきり言ってそんな事はどうでもいい。

知的な事は刺激になる?そんなわけはない。
そもそも知的ってなんだ。パズルか、パソコンか、計算か。

人間はそんなに単純ではない。

はっきり言って認知症になる大きなキーワードは生活だ。
今の医療が忘れているものが人の生活だ。

認知症のリスクが高い生活は大きく分けて3つある。(認知症の生活分類 谷口式)


若いまま生活するタイプ(現実生活否定タイプ)
老いるという事を認められない人。若いときのイメージしか自分の価値を見いだせず否定してしまう。そしてそのまま自分を認めないまま生活していく。今まで物事をきっちりしたきた人や、人より優秀で何事も完璧にしてきた人が、老化によってできなくなってきた時に、自分はそんなはずではないとと現実を認められなくなってしまう。
若い時のイメージの実際の老いている自分のイメージのずれが、現実の自分を認められずいつの間にか、妄想の世界の中に生きることになる。例えば老いているのに私は20歳だとという認知症の人を見た事はないだろうか。それはどんどん進行していった場合だ。最初はわずかな自分の認識ののずれが、大きなずれとなる。

毎日同じパターンタイプ(反復生活タイプ)
毎日同じような生活をひたすら送ると、それは習慣となり、考えなくても、何も感じなくても生活できてしまう。ほとんど自動的に送る生活は、本人をロボットのようにしてしまう。自分から新しい体験をするということさえしない。それが進むと一日中同じことをずっと繰り返す。

ひきこもりタイプ(生活範囲縮小タイプ)
これは毎日同じパターンタイプとよく似ているが、決定的に違うのははどんどん生活範囲が小さくなるという事だ。毎日同じパターンタイプは習慣的なパターンの繰り返しが原因だが、こちらは動きや行動そのものが少なくなる。家の中に引きこもり、部屋に引きこもり、ベッドに引きこもり、最終的に自分の中に完全に引きこもる。排泄さえも時におっくうになるし、体が弱れば現実的に難しくもなる。そして生活が縮小するにつれ、それに比例し本人の反応も低下する。


もちろんあくまでもここで挙げたのはあくまで傾向で、認知症を理解するための道具にしかすぎません。もちろん人それぞれ認知症になりやすいタイプの人やそうでない人など体質的にあるかもしれないが、遺伝的な傾向は今の医学では現実的に変えることは難しい。うまくこれを道具として使うほうが現実的だろう。また脳梗塞による高次脳障害は認知症とまとめて考えるのはよくない。部分的な脳の機能は確かに低下するが、それが認知症の原因ではなく、部分的な機能低下が生活の生きにくさになり、生活の変化になり認知症になる。やはり生活が原因なのだ。高次脳障害は生活を支えながら、脳の可塑性を促せるようなアプローチが有効だ。それはまた別の機会に書きたいと思う。大切なのは高次脳障害と認知症を一緒に扱わないことだ。また認知症と似たような症状もあるのでしっかり検査するのは大切だ。病院は検査するのには非常に優れた場所だ。ただ認知症だとわかった場合はうまく病院と関わりながらも生活をサポートする支援が欠かせない。

実際にはこれがミックスされていたり、状況によって変わることもある。
また周囲の人や家族の影響が大きいことも忘れてはいけない。家族が改善する事ばかり求めたり、元気なころの状態ばかりを求めると無意識的にも自分を否定することにもなる。そう生活は個人だけでよる物ではなく、環境によるところが大きい。つまり認知症は環境を含めて考えていく必要がある。そして家族や周囲の人は、本人ではない。あなたが周囲の人だ。本人を無理矢理変えようとするよりも周りが変わるほうが無理がない。認知症を理解する時一番理解しなければいけないのはその人を囲う周囲に人々だ。周囲とはなにか、それは援助するあなた自信の事だ。なぜならそこしか変える事ができなからだ。認知症のアプローチでは自分自身が本人や本人の生活にどういう影響を与えているか知るといことはかなり大切だ。そこを忘れてはいけない。本人ばかり見ていては一向に解決しない。寄り添うケアがしたいのであれば、寄り添う自分を知る必要があるのだ。それをふまえると例としてこんなアプローチが考えられる。もちろん例なので、エッセンスを自分なりに利用してほしい。


現実生活否定タイプ
まず周囲が期待する事をやめることが大切だ。症状がひどくなっても、まだ若いころ、もしくは認知症になる前の状態を求めるのは症状を悪化することになる。認知症が改善しようとする関わりは逆効果だ。記憶訓練なんてもってのほかだ。今すぐやめてほしい。言葉に出さなくても、そういった周りの態度が逆に本人は若かりしころや、もしくは脳の機能がしっかりしていた時の自分を追い求めるきっかけになる。そういう事はやめる事が、逆にその人の状態を良くすることになる。そして一番大切なのは今のそのままの本人を認めることだ。認めるといっても、ほめろとかそんな事をする必要はない。うすっぺらい褒め言葉は、その人は誰かに認められようとしてまたありのままの自分を認める事を邪魔するだけだ。じゃあどうすればいいのかというとただ一緒に生活を楽しむだけだ。その人と何をしてもいい。何かをしたから有効とかそんな単純なものではない。逆にいうと活動にこだわるのではなく、時に出かけたり、ときに一緒にご飯を食べながら周りは楽しめばいい。会話を楽しむだけでもいいだろう。そんなかかわりが、本人自身がありのままの自分を認めるきっかけとなる。大切なのは周りが本人と一緒に楽しもうということだ。


反復生活タイプ

このタイプで大切なのは生活の中にいつもと少しだけ違う要素を入れていくということだ。同じ生活を自動的にしていることが、反復生活タイプの症状を強くするのだ。だからこそ日常生活に違いを作る必要がある。そういうと多くの人は無理からでも新しい事をさせようとするが、これは逆効果だ。無理矢理なり、なんとなくなりする趣味活動やなんてものは一切やめたほうがいい。ここで一番大切なようそは周囲の態度だ。どんな態度かというと押しつけをやめるということだ。「私がもしこの人の状態だったら何を望むのか」このような考えを持っている人は一番危険だ。それはあなたはあなたであって、あなたは相手ではないからだ。まずは「相手の立場にたってこの人は何を望んでいるか」という態度に変えていこう。たとえそれがあなたの価値観になくても、常識はずれでもそれがその人にとっては適切なことなのかもしれない。そして相手をよく観察しよう。相手に自分の価値観を押し付ける時、実は相手の反応をよく見ていない。それは「このようにかかわれば絶対によくなるはずだ、よろこぶはずだ」というの前提にあるから押し付けるのだ。明日もあさってもその人の事を同じだと考えてしまいがちである。ここで身つつける周囲の態度はその人は変わるという事だ。明日と明後日では違うし、朝と夜とでも違う。そういうった態度を身につければ習慣的にしている援助も毎回少しづつ違うことが見つかる。それは周囲から見ると一見違いはないかもしれないが、質でいうとまったく違う。

あなたがたとえ習慣的に同じように関わったとしても、相手の違いが認識できれば、それはまったく違ったものになる。押しつけをしていることは機械の流れ作業と同じだ。だけども押しつけをやめ、毎日の違いがみれるようになると、同じ事をしていも、まったく質の違う物になる。変化を認識できるとたいそうに趣味援助します!なんてしなくても自然と生活の中に違いが生まれる。もちろん色々と提案してもかまない。趣味がだめなんじゃなく、その関わり方が大切なのだ。やってみて駄目なら、また違うかかわりをする。それを繰り返していくことが大切だ。アプローチが失敗してもいい。もしろ大歓迎だ。しかしけっしてその活動がさせられているものになってはいかない。あくまでも本人自身が主体的にすることが必要だ。主体的に取り組んだのなら、結果はなんでもいい。だから常にうまく行くように見張っている必要はない。失敗してもいい、大切なのはその人が主体的に活動しているかどうかだ。むしろ主体的に失敗する体験を奪わないでほしい。命に関わるような大きな失敗だけしないようにサポートすればいい。ただ押し付けないからと言って相手の言われた事をなんでもする必要はない。横並びの関係の中で自分のアイデアで押しつけでず、提案していけばいい。たぶん普通に落ち込んだ友達とかに、ご飯食べにいこうなんて誘ってないか?それと同じことだ。そして何かをするよりも繰り返し、反応をみていく態度こそが、その人が安心して新しいものを試すことになる大きなきっかけとなるのだ。大切なのは手段じゃない。どうかかわるかというそのプロセスにある。まずは日常に些細な違いを認識していこう。そしてその反応を大切にしよう。そのような違いを認識する能力が介護者に求められる。


生活範囲縮小タイプ

このタイプは一番大切なのは人間関係だ。人は人間関係が途切れた時、生活範囲が狭くなる。つまり人間関係をうまくサポートできるようにすることが大切だ。かといって友達100人できればいいなとかそいうものではなく、大切なのは量ではなく質だ。10人の知り合いより1人大切な人だ。それができればその人に会いたくなるし、何かをしてあげたくなるものだ。人は人間関係の中で生きている。無理矢理引きずりだすのでなく、その人の居場所を作っていこう。また忘れてはいけないのが、このパターンがひどくなると食事や排泄、入浴といった人間の基本的な生活させも困難になる。多くの場合引きこもることによって心と同時に体の機能も加速度的に低下する。これらの日常生活がすでに難しい状態の人は、まずはこれらを適切に支援することが大切になる。つまり食事は排泄や入浴(清拭)をベッド上で行うのではなく、うまく身体のサポートをしてこれらが気持ちよく行えることが必須だ。しかしここにも人間関係が必要だ。むしろそういう基本的な生活を支援する時、人間関係が一番必要になる。排泄の処理を、食事を口に、裸を人に見せる時、誰が嫌いに人にされたいか。それでは最終的に自分の奥そこに引きこもり、反応さえもしなくなるだろう。利用者さんと交流したいというのなら、これらの活動を通じてお互い信頼関係を気づくことが大切だ。その人間関係がさらに外にでるきっかけになるのだ。

言葉で会話を交わす事だけが交流とは思わないほうがいい。むしろ言葉以外のときの態度の方が大切なのだ。例えば身体的な介助をするとき、相手の動きを尊重せず物みたいに体を運搬すると、相手はジブンのことをただの荷物だと認識することが多い。触れるということは実は母親と子供が最初にする実に原始的なコミュニケーションであり、人間に深くかかわるものだ。笑顔で立ちましょうかと、無理矢理体を引き上げららえて痛い思いをするということは、笑顔で体を引きちぎろうとしているのと対して変わりはない。言葉だけでなく接触することもコミュニケーションだと念頭において信頼関係を作っていく必要がある。多くの人は言葉の理解が先に難しくなり、最終的に言葉での理解よりも、言葉のトーンや表情、その人の雰囲気、触り方などで心地よいのか、不快なのかを判断する傾向が強まるように思う。より非言語的なコミュニケーションが重要視されるだろう。

※余談ですが、介護や医療系の接遇研修において、相手をどのように触るか、介助するかというものが入っていないものはあまり役にたたないように思います。触り方が雑いといくら言葉はきれいでもかなり不快です。本当に接遇をよくしたいのならば医療や介護現場では接遇教育の中に触り方や介助能力を高めていくようなものが必要だと思います。


よりよい生活を支えるのは質だ。量ではない。多くの人は生活を変えるという時点で量をどうにかしようとする。何をするのかではなく、どうかかわるのかだ。そして相手を変えるのではなく、自分を変えるのだ。それは援助している人が柔軟な生活をするきっかけにもなる。つまり援助者の認知症予防もしていることになるのだ。一石二鳥!実はこれは何も認知症に限ったアプローチではない。認知症だけに通じるものなんてない。認知症でもひとそれぞれだ。だから人間としてアプローチする考え方でないと通用しないと思う。

この分類とアプローチをよかったら使ってくださいませ。これは今までの自分の経験と体験、そして学習してきたものをもとに作りました。役に立てれば幸いです。

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マインドコントロール。

03-06,2012

久々に書こうと思ったことができたので、書きます。

オセロ中島がマインドコントロールに会っているというニュースを見る。
そしてコメンテーターが洗脳を解かなくては..なんて話をしている。

違和感ありません?

コメンテーターさんは誰にも洗脳されてないの?
今のコメンテーターさんの価値観は今までの社会の影響を受けたものじゃないの?

確かに中島がマインドコントロールにあっているのは確かだろう。占い師にも影響を受けているだろう。
だけど、それと同じぐらいコメンテーターさんも社会というものから影響を受けている。

マインドコントロールというと特別なものと言った印象を受けるけど、
実は皆、誰かしらからマインドコントロールを受けている。

多くの場合親だろう。先生や友人、恩師などいろいろある。彼らからこんな事はしてはいけない。こうするべきだ。という価値観を皆いつの間にか当たり前のように持っていると思う。もちろん私自身もそうだ。

コメンテーターさんは社会からの影響を受けている事に気づいていない。

だから自分から見るとコメンテーターさんも中島さんも同じように見える。

こうなれば多数決の世界だ。コメンテーター教が正しいか、中島さんの占い師が正しいか。
もうそういったレベルにさえ感じられる。

お互いマインドコントロールにかかっているのに
それに気づかず、ただ相手をマインドコントロールというネガティブな言葉で否定している。

よく思うのだが自分でマインドコントロールされていると思っている人は
マインドコントロールされている人ではない。

マインドコントロールなんてされていないと多くの人は思っている。
このコメンテーターと中島さんのように。
それはすでにマインドコントロールされているという事だ。


今のコメンテーターさんたちは中島さんを救おうとして、自分たちの価値観を押し付けている
ようにしか見えない。それは新たな宗教の勧誘とかわらない。

それでは中島さんは一向に幸せになれない。なぜなら、常にマインドコントロールにかかっていること
は変わらないからだ。ただ考え方が多数派になっただけにすぎない。

大切なのは自分は誰からの影響を常に受けているという事に気づくことだ。

今までそれは見た目には違わないかもしれない。

だけど影響されている事を認め、自分が何に影響されているのか。

それに気づくことで、初めてマインドコントロールをうまく自分のために使うことができる。

皮肉だけど、マインドコントロールにかかっていると気づける人が、実はマインドコントロールから抜け出す唯一の手段なのだ。

まずは人のことどうこう言うよりもコメンテーターさんもマインドコントロールされている事に気づいたほうがいい。
でないと、ただ価値観を押し付けるだけ。

それでは人は救えない。
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