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マニュアルに振り回されない。

10-20,2011

多くの福祉・医療分野では

ことあるごとにマニュアルを作成する事があたかもすばらしいことだと思われている認識がある。

本当にそうだろうか。

その割にマニュアルが役に立った事は経験上てとも少ない。

むしろ現実的にマニュアルが業務の負担になったり、作成することで疲れてきてないでしょうか。


ちょっとマニュアルの役割を見てみよう。

マニュアルとはやり方を書いた集まりですね。

つまりその本を見て行動するわけです。



マニュアルに書いてある事をそのまますれば能力はあまり関係ありません。

単純な事はそれですむでしょう。

しかし複雑な場合、マニュアルで対応しきれない場合があります。

ではマニュアルを複雑化すればいいと思われそうですが、

それは本末転倒です。

作成はしたものの全く使えないものになります。


そもそもマニュアルとはやり方の集まりですから、

本当のプロが使うものではありません。

はっきり言えば素人が使うものです。

マニュアルを作成して現場を対応しようという意識では素人の集団から抜け出せません。

マニュアルに頼ることで、臨機応変に対応することがまったくできないからです。

ファーストフードなど人を短時間でさばく必要がある場合はマニュアルが役に立ちます。

福祉の分野で人と人で関わるとき、人は複雑ですからマニュアルは使えません。

もちろん参考にはできますが、複雑なので、常にマニュアルが正しいわけではありません。




マニュアルは使えないといけないので最低限中身が伴った上でシンプルであればあるほどよいのです。

そして誰が、どういった状況で使うかをふまえた上で使用するほうがよいです。

最低限の事故の対策や避難訓練などをすることができれば(それさえも臨機応変が求められることがありますが)

それ以上のものをマニュアルに求めてしまえばいつまでたっても仕事の質は上がらないでしょう。



マニュアルに頼ることで、いつまでの仕事の質が上がらないならどうすればいいのか。

それは単純に能力を高めることです。

それは教育にかかわっています。

教育といってもやり方を教えてしまえば、マニュアルの勉強会をしているだけです。

それは教育とは言えません。

実は今の学校教育の問題点と共通しています。

考える力を養うといっても、考える力を養う教育をするにはそれなりにトレーニングが必要になります。

実は教師を先に教育する必要があります。

でもまたその教師の教師がやり方を教えてしまえば無意味です。






教育とは能力の向上をはかる必要はありますので、

「その場の状況を感じ取り、自ら考え、適切にその場を対処できる能力」

を高める必要があります。


マニュアルに頼るということは、教育システムが確立できていない事に気づいてほしいと思います。

マニュアルが悪い訳ではありません。ただマニュアルはその性質上複雑なものや、プロ向けではない、緊急的なシンプルな対応には向いてますが、それ以外では能力を高めるしか方法はないのです。

マニュルアを作ることばかりにこだわるのではなく、

もう一度教育見直すことに力を入れていく必要があります。



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気持ち悪い報道 窮屈さの理由

10-18,2011

テレビで荒川河川敷の迷惑行為をとがめるみたいな内容をみた。
何かしたら危ないと、ことあるごとにルールを作り禁止していた。
それを守らない人がすべて悪いという勝手に押し付ける。
あたかも自分が正義だという認識で。
そんな取材でした。


確かに危ない事はある。
だけど何でも禁止にしたら、歩くのも転倒して他の人にあたるから危険だと
歩くのでさえ禁止にしてもいい理屈と対してかわらない。

取材だって人が固まるから危ないやん。自転車もいきおいがあるから危ないって報道しているのに、その道で注意をそらすような取材をするのはどうなの?

そもそも取材が迷惑行為にならないのか?


なんでもルールを作ればいいんじゃない。
何にしても危険はある。

ルールなんて理由を付ければなんでもできる。
自転車の危険をまったく関係がないのに最近話題のブレーキがない自転車が都会でも話題になっていると意味のわからない報道。ブレーキがないのでなく、後ろにこぐ事でブレーキになるという説明はいっさいないし。(僕は自転車にはどちらにしてもブレーキはつけた方がいいと思っているほうだが、極端すぎる報道。)

そもそもなんのために河川敷があるのか。
もちろんいろんな意味があるだろうが、人が暮らしやすくするために使えばいい。

もちろんルールは必要だ。危険すぎることは控えたほうがいいだろう。バランスをどこでとるかだと思う。
すべて禁止するのではなく、よりみんなが楽しめる基準を考えればいいんじゃないかと。
そのへんはその住人で考えていく必要があるだろう。


気になったのは
危ないから禁止してそれを押し付けることが正義だと思っている気持ち悪さ。

確かに河川敷でゴルフボールを飛ばすことは危ない。
だから言って素振りまで禁止とはやりすぎではないか。

公園や学校で骨折する事例もでているからサッカーをするなという理屈とかわらんように思う。

道を歩いて転倒して亡くなった人が何人もいるから外を歩かないようにという理屈とも同じだ。

程度や頻度や状況や気持ちを配慮しているようでまったく配慮されていない。

そして素振りを人の邪魔にならない場所でやっている人をいかにも
悪だとそこで取材している人。

なぜルールをまず疑わないのか?

自分の価値観で人を悪くみているだけのことに気づいていません。

この人たちと
老人病院とかで患者さんに立ったら転倒すると危ないから、車いすに括り付けるということを正義として主張しているスタッフとおんなじものを感じる。


自分が正しいと思っている人は

間違っている人を簡単に攻める。

マナー、思いやり、常識などを聞こえのよい言葉をたてに。


自分が正しいと思っている人は

平気で他人を傷つける。

自分は正義だから間違っているあなたは傷ついて当然だといっているようにも思える。

だから自分はいいかけげんなんです(笑

こういう報道をみると窮屈さを感じます。
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自分の感想

10-12,2011

ハンドリング
触るときに、相手を感じようと思うと自分の手を相手にゆだねないと穏やかに相手を触ることは難しい。
一緒に動く前にゆだねることが大切なんだと思った。
ハンドリングをするとき「動かそう」という習慣がでてしまいがち。
そのような意図で触る場合、どうしても手に緊張が残る。
だけど本当にゆだねきることから始めると心地よく一緒に動くことができる。
前はハンドリングのときに待つ大切さを実感し
こんどはゆだねることの大切さを実感した。

支えること、支えられること
自分は支えるほうがなれていることに気づいた。
支えられることは案外なれていない。そういえばいつも支えようとする役回りを選んでいた。支えられたいと思いながらも。
無理に支えられようとする必要はないけども、支えられることでの心地よさもそのうち体験できるといいかな。
たぶんに人に支えてもらうことが自然にできればすごく幸せになりそう。それが苦手なことはよく思い当たる。

自分の動きを感じること
普段感じていた動きはまだまだ浅かったことに気づいた。
どこかで考えることがじゃまをして、本当に体がどのように動きたいかということを感じてないことに実感した。
その場、その場で自分が心地よい状態により深く感じる体験ができた。
考え方を選択することと、自分でもよくいっている割にこだわっていた自分を発見。
自分自身で自分を邪魔していました。

待つこと、何もしないこと
何もしないことは、何もしないことをしているんだと思った。
そしてそれが必要なこともあると。
何もしないことをしてあげることは、時に何かをするよりも役立つことがある。

自分に優劣をつけない
こんなにも評価されないことが楽なのかに気づいた。
どこかで期待されている自分を自分だと思っていたのかもしれない。
案外普通にしている自分でも気にいっている。
また自分をよく見せようとする無駄なことも減ったと思う。

いつでも楽になれること
普段生活している上で自分が楽でいることに無関心だと気づく。
自分が自分の体に注意を向ければ、いつでも楽にしてあげることができる。
そのとき、他の人ともすごく自然にコミュニケーションをもとれる。


今回のセンサリーアウェアネスで
ぱっと思いた自分自身が体験をしたことを言葉にしてみました。





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Mac book air 買いました。

10-07,2011

macbook air 11インチ ついに買っちゃいました。

すごくいいです。

画面が少し小さいのはなれが必要ですけど、キーボードはすごくうちやすい。
(きっと変にばかでかいimacになれていたせいもあると思います。)

薄い、持ち運びやすい。

出張とかに大活躍しそうな一品。

ハードディスクの要領が少ないのでメインで使おうとする人は注意が必要です。

だけどサブで使う分にはかなりいいですよ。



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