スポンサーサイト

-----,--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

筋肉と張力

05-27,2011

twitterにも書いたが約一年ぶりぐらいにジョギングをした。

ちょっと雨がやんでいたのでいいかなぁとか思ったが、
最終的に降ってきて結構濡れた。

一年前に比べると明らかに体のとらえ方が変化している。
より繊細により細かくコントロールできる。

明らかに体の認識が変化しているのがわかる。
これは学習の成果ただと判断してもいいと思う。

最近筋肉について考える事がある。

筋肉をちゃんととらえる事は実は難しい。

鍛えることで体を動きにくくしてしまう事もあるし、
体を動かすのに実はほとんど力なんていらない。

ではどういう風に筋肉の存在をとられるのが適切なのか。

学校では教えてくれない新しい筋肉の特徴をあげてみる。

1、筋肉は実は部分でなく常に全体が動いている。肘を曲げるにしても実は脳が全体を調整している。単純に上腕二頭筋と三頭筋の話ではない。
2、スムーズに楽に動くためには筋肉の緊張が邪魔になる。多くの人は筋力がないか動けないのではなく、緊張が強いから動けない。
3、しかし筋肉がまったくないと姿勢と保つこともできない。ごくわずかな筋肉は全体としてバランスを保つために必要だ。緊張が少なければ少ないほど楽に立てる。
4、動きが起こるとき、緊張は筋肉だけでなく、体の軟部組織(靭帯なども)も体を動かす張力として全体に働いている。筋肉だけで動いているのではない。

こう書くとみごとに学校で教えてもらっている事の逆だなぁ。まぁそれはいいとして。

ここで疑問が起こる。楽に動く事は筋力がほとんどいらないというのは明確な事だ。だけどよりよくとび跳ねたり元気に動きまわりたい時筋肉の出力はどう理解したらいいのか。

きっと部分だけの出力を上げようとして鍛えてしまえば、筋肉はその部分の緊張を強め全体のバランスをおかしくしてまう。

だけど全体的にバランス良く張力を強めることができなら、より機敏な動きが自然にできる。また同時に強める必要がない時は弱めておくことができれば楽に過ごすこともできるし、動きを制限することはない。

つまり緊張が少なく骨格を上手く使ったニュートラルな状態から、緊張を強めバネのように動くことまで一連の流れがスムーズにいくように筋肉を扱えばぽフォーマンスは上がる。(もちろん上げる事はしなくても体は動くことができるが)

今のところの結論として
筋肉を鍛えるなら絶えず全体の張力を調整できる使い方も同時に練習する必要がある。
もちろんそのためには骨格を上手く使うという事も含まれる。
この張力を全体的に使うと言う事は体の軟部組織も含めて使うという事。体には色んなばねがある。
そのばねを緊張によって止める事はなく、より全身が筋肉と協調的に動かすような使い方を練習する。
その中で筋力があがっていけばより、しなやかで柔軟な鞭のような体を手に入れる事ができるんじゃないかと思う。

まとまりなく、また変わるかもしれないが、
今はこの辺で。




関連記事
スポンサーサイト

ノラ猫とガラスの扉

05-24,2011

昨日から仕事場にノラ猫がいすわるようになった。

そのノラ猫は白と黒の模様があって、目つきがやや鋭く
あまりかわいいわけではないのだが、人懐っこく、うにょうにょして動きが愛くるしい。

たぶんノラ猫といっても誰かに飼われていたのだろう。
誰かに捨てられたんか、
迷ったのか。

毛並みは悪くなく、痩せているところを見ると
おそらく捨てられたのかもしれない。
よく見るとあまり大きくなく、かと言って小さくもない。
ちょうど大人と子供の間ぐらいのサイズだ。

何がこの仕事場で気にいったのかよくわからないが、とにかく
ガラスの扉からずっと顔をのぞかせている。
前足をガラスにつけてこちらを見ながらニャーニャーニャーと。
外にでると、しきりに体を足によせてきたりするしぐさがかわいいが、
無責任にかわいがるわけにもいかず、どうしたもんかと少し困っていた。
しまいには玄関先に丸まって気持ちよく熟睡する始末。
時には車の下に寝たり、こっちが車にひかれないかとやきもきする。

こういう事が2日続いた。
ずっと目の前にいるわけだから、おそらくご飯もあまり食べてないだろう。
ノラ猫の世界は人間よりもきっとシビアだ。
食べ物がないとそれはすぐに死を連想させる。


ノラ猫の事を思うと生きると言う事はずいぶん難しいことなのかもしれないと
考えさせられてしまった。あまりにも僕らは何気なく食べている。
だから食べ物がないなんてあまり想像する機会がない。

このノラ猫も食べれば生きる事はできるが、このノラ猫はあまりに無力で自分でご飯を調達するなんて
難しいだろう。人になつくという事しかできなさそうだ。

一見青空の下で寝ころんでいるノラ猫は自由そうにみえるが、ほんとは飢えという
かなり大きな危険がこの自由そうな猫には待ち構えているのだ。
待ち構えているというより、もうすでに半分ぐらい飲まれている状況かもしれない。

自由と言うのは、自分で餌をとる事ができて初めて自由に生きることができる。
自由を求めることは、それだけリスクを抱えることなのかもしれない。
自分で自分の面倒をみる事が自由に生きる条件なのだ。

人に面倒をみてもらう内は自由になれないかもしれない。
だから自分に実力をつけないと自由には生きれない。
でないと環境に依存してしまう。



猫はあいからわず通りかかる様々な人にじゃれていった。

みんな戸惑ったり、笑顔になったり反応は様々だ。
時に追い払われてもしている。

昨日から色んなところでじゃれているようで、通りかかる近所の人も
猫を心配して様子を見に来た人がチラホラみている。

きっとこの猫は1人で生きなくてはならい状況の中で
いろんな人になついたのだろう。

それはきっと生きなければという本能というよりも
ただ人が好きなのかもしれない。

この猫をみているとおなかが減っても、やせても人を見ると嬉しそうにする。
ただ楽しんでやっているだけだと言っているようにノラ猫の背中が物語る。
そのくせ気持ちよく寝ている時には今まで反応はなんだったのかと思うぐらい反応が鈍いが、
また気が向けばガラスからこちらを見てニャーニャー言っている。



結局、どうなったかと言うとね。

その猫は貰われていった。
職員の1人が飼ってくれるそうだ。

このノラ猫はベッドと食事を手にいれたのだ。
もうノラ猫ではなくなったのだ。

ある意味この白と黒の猫の勝利だ。
きっとかなり危機一髪の状況だったと思う。だけどその中で猫はただ人になついていた。
時にしつこいぐらい。

何もしなければきっと餓死しただろう。この猫は自分でエサを見つけるほど成長していないし
どうしたらいいのかもわからない。

だけど猫は行動したのだ。自分の思うがままに。そして動くことによって沢山の人に影響を与えた。

地域の住人も色んな人が心配していた。
僕の仕事場でもみんな心配していた。

そして結果猫はノラ猫ではなくなったのだ。

自由に生きるためには自分で食べる事ができなければいけないと思ったが
そうではないかもしれない。絶対すくわれるわけではないかもしれないけれど、
とにかく動いて、自分の気持ちや状況をしってもらって
皆に助けてもらいながらでも気持ちよく生きることもできる。

それでもまだ猫は自由だった。だってなついているけど媚びているわけじゃないから。
自分の楽しいを優先させていたからね。

もちろん生き方なんてその人が選べばいいのだけど。

猫は僕の思いこみさえも負かしてしまった。

まったく、たいしたやつだ。











関連記事

花粉と仲良しになる方法

05-20,2011

僕も花粉症についてはもう十数年なやまされてきました。最近花粉症にたいする画期的なメソッドを考案しました。それによりかなり花粉とうまくつきあえるようになり、症状も軽減していきました。ここは個人的な体験と何人かの実験を行った結果のみをのせています。あくまでも自己責任でお願いします。

本日は語り口調をかえてお届けします。なんとなく。

まず、自分なりの花粉症についての理解

花粉症とは
免疫系の異常によって体が本来無害である花粉に対して過敏に反応しようする状態。花粉を異物だと見なし体から排除しようとする反応によりくしゃみや鼻のむずむじ、目のかゆみなどがおこる。

ここからが個人的な花粉症の見解
実はその反応というのはくしゃみや目のかゆみというだけでなく、体をこわばらせようとする反応なども同時に起こっている。免疫系の変化は全身的な筋骨格系も含めたシステムとして体が反応している。花粉症経験者なら花粉がまっている部屋にいくとくしゃみだけでなく体がこわばっているのを容易に想像できるだろう。実はくしゃみだけでなく、体全体で花粉を外にだそうというシステムが花粉症の人は構築されている。その反応をおこせばおこすほど体は花粉に対してより異物だと認識してしまう。そしてさらに強力な花粉を除去しようとするシステムが構築される。一度くしゃみがでれば止らなくなるのはそのせいではないかと考えている。花粉症のやっかいなところは花粉を異物だととらえ排除する反応をすればするほど、脳や免疫系は花粉を異物だという認識を強化する。つまりより激しいくしゃみや目のかゆみが誘発される。そしてまた脳や免疫は花粉を異物だと認識する悪循環におちいる。これではなおらないのも当然だといえる。むしろ花粉に対する体の防御反応はますます悪化していくだけだ。

同じような例が皮膚のかゆみに対しても考えられる。皮膚のかゆみを書く事は脳がそこにかゆみがあるという認識を強めていることにもなる。つまり脳がそのように学習するので、かけばかくほどかゆくなるし、また発疹を体が作ってしまう。かかなければ軽減することが多いのは身をもって経験ずみだ。

花粉に対する考え方として、従来は人間の体には花粉に対する容器があり限界になると花粉症が発症する容量みたいなのがあると説明されているが、私の意見ではそういった容器などはなく、ただ花粉に対する反応を重ねることで悪化していくのである。時期がなくなり、花粉が減ったとき、反応する量も減り、また花粉が出たときに反応する量が増えたため少しづつ悪化していくように見える。

花粉症を容器がいっぱいになった状態としてとらえたり、免疫系だけの反応としてとらえてしまえば軽減できないのはあたりまえだ。免疫なんてとらえようもないものを直接変えることは難しい。もちろん薬によって軽減できることはあるが、それは免疫系をだましていることにより長期的な体のシステムにどのような影響があるかは正直予測できない。もちろん薬が必要なほど強い症状もある。安易に薬を否定しなでくれ。あくまでもお医者さんと相談が基本だ。

だが実際私が考案したメソッドを行うと軽減することも多いのだ。少し考えてみてくれ。不思議に思わないだろうか、いくら花粉症の人といえど花粉はとんでいるはずなのに花粉に反応しやすい時と、今はそんなに反応しないときもある。それはどういうことなんだろう。


ここで発想を転換しよう。花粉を免疫系だけでなく筋骨格系を含めた体全体的な反応で花粉を拒否しているのであれば、その反応の仕方をかえればいいのだ。今まで花粉を「拒否」することによって体が学習していたのならば。今度は「自然に受け入れる」ことによって花粉に対する体の拒否反応は軽減するのではないか。

ただ、ここで一つ問題がある。花粉を受け入れる。といってもどのように反応することが私たち人間に可能なのか。嫌だとは思うが花粉が飛んでいるときの反応を想像してくれ。いつも同じような反応の仕方をしていないだろうか。体をこわばらせ、呼吸を窮屈にし、そしてできるだけ花粉をすわないようにしている。だけど息はしないと死んでしまうので、窮屈になりながら「はくしょん!!』という感じのパターンが多いかなと思う。

なぜシステムの中で筋骨格系をこんなにアピールしたかというと、実は僕らの体で意識的に変えやすいところは筋肉や骨を使った動きなのだ。さきほども言ったように体全体で花粉を否定しているのだから、体全体で否定するのをやめればいい。それにぴったりなのは筋骨格系しかない。筋肉なんて花粉と関係ないだろ・・・(笑)とか動きをばかにしてはいかん。どう動くかによって免疫系は大きく左右される。例えば笑うという動きが免疫の活性化につながるということは最近はかなり有名な話。

特にこのメソッドでは呼吸に注目する。なぜなら花粉を直接吸入している動きでもあり、また呼吸が楽にできるということは体の緊張がほぐれ体は適度に解放をしているというこことを教えてくれる。つまり楽に呼吸できている状態というのは花粉を自然に受けいれている状態と言えるのだ。


ここまで長々と書きましたが実はこのメソッドはとー-ってもシンプルなのだ。
何をするのか。それは

「体が花粉に対する拒否反応を示したら、逆に呼吸に注意をむけ楽に呼吸をしてみる。ただ楽にリラックスして呼吸する。」

こんだけ長い前振りを書いたが、実はただそれだけだ。

小難しく書いた割にひょうしぬけしたかもしれない。しかし人間はいつも習慣的に同じような反応をしてしまうものだ。花粉に対して同じようは反応をしてその習慣を強化してしまう。花粉拒否システムを体内で作り上げてしまう。だからいつもとやり方を変えてみるのだ。花粉が空中をまっている中で楽に呼吸をしようとすると、案外いつもしている反応に慣れているので、体が同じように反応しようとしてしまう事に気づくでしょう。

またとてもとても大切な注意点が一つだけある。「無理に花粉を受け入れようとしない」という事だ。花粉を受け入れよう、受け入れようと必死になって呼吸をする行為は、裏を返せば花粉を受け入れなていない表れでしかない。仮に花粉に何も困ってなかったらわざわざ受け入れようとする必要なんてないだろう。花粉を無理に受け入れようとすることは、実は花粉を拒否しようとすることと表裏一体なのだ。そのためそういった呼吸では症状の改善はみとめることはできない。

拒否するような呼吸もだめ、受け入れようとする呼吸もだめだとなると少し混乱してたのではないか?だけど実はこのメソッドの大切な部分はここにある。ではどういう呼吸をするのがいいのか。また同じことを言うが、それはただ楽にゆっくり呼吸をするだけだ。大きく深呼吸みたいにする必要もない。ただ楽にするだけなのだ。そして楽にできている事を感じてみる。案外花粉の中でも楽に呼吸ができることに気づくかもしれない。するとあら不思議。花粉なんて存在しているかわからない程度(もちろん人によって効果の大小はありますが)になっているかもしれません。


理論的に解説します。
呼吸のパターンという動きが変わったという事は、それも全身的な人間のシステムに影響を与えているといことです。それは免疫系にも当然影響を及ぼします。呼吸が楽にできることを経験したり学習することによって脳や免疫系の反応パターンもかえることができます。呼吸を変えることでこれまで構築してきた体の中の花粉拒否システムを変化してくいくのです。免疫というのは非常に柔軟で変化にとんだものです。一夜にしてアレルギーをおこしたり、また一瞬にして発疹がなくなるということも一度は経験したことはあるのではないでしょうか。免疫を狂えば調整できないものととらえるより動きをもちいる事によってある程度の調整は可能だと考えることが自然です。もちろん重度のアレルギー疾患などはもっと深く考える必要があります。今回はあくまでも一般的な花粉症の話です。これが正しいと思うのではなく、数ある中での1つのほう方法としてこのメソッドを使ってみてはいかがでしょうか。呼吸をかえるだけという副作用もほとんどない方法だと思います。

とは言ってもくれぐれも自己責任で。






関連記事

観測すること自体が影響を与えている。

05-17,2011



人を観測する時、観測者の影響を忘れてはいけない。量子だって観測する事で影響するのだから。
安易な評価とか評価法とか観測者の影響を考慮に入れていないのは安易すぎる。

例えばHDSR FIM まぁそのたもろもろ。考えてみればあたりまえの話です。


あっそうか。
量子力学では人が見ることによって影響を与えてると言われている。

長年の僕の疑問だった。よく車に乗っているとき、となりの人をふとみると向こうもこちらをみているわけじゃないのにそれに気づくということってあるじゃないですか。その人が後ろを向いていても関係ないじゃないですか。
なにか目力みたいなものがあるんじゃないかと思ってたんですよー。目から見えない何かがでているとかそんな事を考えたり。

実際細かいところはわかりませんが、実際に観察するという行為は物質に影響を与えている可能性は高い。僕の長年の疑問は量子力学にあるのかも。


けっこう科学の法則はおもしろいよ。
もうひとつ有名どころを載せておきます。





どうかんがえるのか自由ですが。

アインシュタインの相対性理論のAでもありBでもあるというは

結構世の中の真実かなと思ってます。

ほとんどの物事って決めつけた時点で真実ではないと思います。

世の中はきっとしっかりとしたあいまいさの中でできているのではないかと思ったりします。


今日はちょとマニアックでした。いつもマニアックですけど。
関連記事

洋書。

05-03,2011

よみたい洋書がある。

2冊ほど。

センサリーアウェアネスの本と
フェルデンクライスの本と
キネステティクスの本と。

たくさんあるなー。

ちょっとチャレンジしてみたいなぁと思う今日この頃。

まぁなんでもやってみないとね。
関連記事

05-02,2011

みなさんお久しぶりです。
なんか今京都のフェルデンクライスメソッドのトレーニング中で京都の滞在しています。
京都駅近くのドミトリーに滞在してます。ええかげん慣れてきました。

京都はよい町です。

一見固い和の文化のように見えますが実際はそうではありません。
たぶんそういう一面もありますが、そんな高級なところにはいけませんから。

僕の感じる今日とはゆるさです。
外国人も多いし、ドミトリーという集団の宿みたいなところもある。
もちろん日本独特の文化もる。
いろんな異文化が交じり合っているのが京都です。

それらが共存できるのも京都なんです。
前々から京都はいい町だと思ってましたが、ほんとよいところです。

僕の空気感ともぴったりです。
まだ京都には8日ほど滞在する予定なので、京都に訪れた人は声をかけてください。
研修後は暇してますので飲みに行きましょう。

京都でもキネステティクスミニコースの企画をたくらんでいます。
うまくいけばベーシックも。またそのときは皆さんご協力お願いします。

ではでは京都を楽しみましょう。


関連記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。