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究極の身体を読みました。

12-27,2010

究極の身体 (講談社プラスアルファ文庫)究極の身体 (講談社プラスアルファ文庫)
(2009/08/20)
高岡 英夫

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ゆる体操を考案した人の本です。

なかなかおもしろかったです。
進化論なども含めて様々な視点から人の動きを解説しています。

究極の身体とはなんなのか?
僕らは究極の身体というものになれるのか?

皆よい姿勢を勘違いしてます。
背筋を伸ばせばいいもんじゃありません。


この本を読めばまた考え方が広がるかもしれません。
できるだけ自分の体でためして読んでみてください。
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変わること

12-24,2010

時間が立つと周りが変わっているのかもしれない。

以前と同じようでまったく違うという感覚を得るかもしれない。

まったく変わらないということはありえない。

だけど周りが変わってしまったと思っていても実は自分が変わっただけなのかもしれない。

自分が変わると同じものをみていても見える景色はまったく違う。

景色が違うからといって周りが変わったわけじゃないかもしれない。

実は自分が変わっただけかもしれない。

自分のとらえ方で自分の認識している世界は確実に変わることができる。

僕の認識している今の世界だって変えることができる。

実際に何も変わってなかったとしても僕の中では変わっている。

自分が変われば、とらえ方が変われば、相手が変わらなくても自分の中で変わるのだから。

僕らは世界の中に1人1人がいるのではなく、1人1人の中に世界をもっている。

そして1人1人がその世界の中で生きている。
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人は常に環境適応している

12-20,2010

人が、生物が生き生きと過ごすとはどういうことでしょうか。
人が元気になる方法はなんでしょうか。
人だけでなく生物が元気になるためにはどうなればいいのでしょうか。

この状態の時効果があります。とかこの場合にだけ通じるものっているのは僕はあまり信用する事はできません。
だって人はそれぞれ違うのですから。
同じ状態であったとしても人はそれぞれ違います。
つまり同じ一定の方法はないと思います。

しかしです。逆にいえば人全体に通じるものであれば、もっと広く考えると生物全体に通じる考え方があれば、それは使えるものになると思います。考え方が分かれば色んな方法に合わせて上手く使うことができます。

その一番大切な鍵は僕は環境にあると思ってます。
正確にいうとその個体(人も含めた生物)がいかに環境に適応するか。つまり環境適応ができているのか、どうかが生物にとって大変大切な要素であると思います。

人も含め生物は常に環境に適応する事によって生きています。
生きていく上で僕らは環境必要なのです。環境がないと生きていくことはできません。

重力があるからこそ僕らは歩くことができます。でないと体が浮いてまともにコントロールできません。そして体を使い健康に過ごすことができます。
空気があるから肺を使って呼吸することができます。だから僕らは生きています。

そんな事を考えてみた事はあるでしょうか。
僕らは当たり前のものを当然すぎてその大切さを認識できない事が多いように思います。

僕ら人間は当然のように肺を使って呼吸しています。

しかしよく考えてみてください。昔々生物がまだ海にしかいなかった頃肺をもっていませんでした。僕らは陸にあがり呼吸するために肺を作りました。つまり肺を作ることによって陸でも活動できるように環境適応したのです。

陸に上がった生物は海では見る事が出来なかった、まったく新しい世界の中で生活することができたわけです。しかし環境に適応できなかった生物は上手く呼吸することもできず死んでいきました。

生き残れた生物と死んだ生物と違いはなんでしょうか。
やはり環境に適応できたか、できなかったかの違いです。環境に適応できたからこそ、新しい場で生き生きと過ごせることができたのです。逆に環境に適応できない結果、個体が弱り死んでいきました。

酷な話ですが、環境に適応さえできれば生き生きと過ごすことができます。逆に環境に適応できないままだ死ぬ確率が高くなる危険なことなんです。つまり環境に適応さえすれば誰の助けがなくても勝手に生き生きとすることができるし、環境に適応できなければ手をさしてべても元気に過ごすことができないと言う事です。


自分を柔軟に保つことで環境に適応する
僕が今まで書いてきた事は実は環境に柔軟に適応するための方法を書いてきました。自分を固定化することなく、環境によって自分が上手く無理なく変化し、生き生きと過ごせるようになる内容を考え書いています。固定化しないとずっとこのブログ本で言ってきたのは環境は常に一定ではないからです。環境は常に変わりますし予測もつきません。その環境の中で生き生きと過ごすには昔生物は肺を作ったように、僕ら自身が変わっていかなければいけません。環境は完全にコントロールできるものではありません。時にどうしょうもない状況があるのも現実です。だけど自分自身に対しての行動だけは環境よりもコントロールできるのではないでしょうか。

しかしこの変わると言う事に対して無意識的に抵抗をもっている人が少なくありません。何か固定化された自分を自分だと思っているのです。自分はこういう人と決めつけ自分の可能性を限定的にしてしまっていることに気づけていません。またたとえ変わろうと思った人でも、今の自分を変えるとなると今の自分を否定し、そして無理から新しい自分を押し付けます。そんなのしんどいだけですし、実はそれで変わることはできません。

どんなあなたもあなたではありませんか。多くの人は自分で自分を「こういう人だと」決めつけてしまっています。そして自分の足に錠をはめ自分で動けなくしています。また人によって変わろうとして今の自分を痛め傷つけてしまっています。また今の環境に慣れ過ぎているため周囲がいつの間にか変化しているにもかかわらず見ないふりをしている事も少なくありません。

環境は当然変化しているわけですから、ずっと同じ個体でいると当然元気になりません。死ぬとまではいかないにしろいつもしんどそうに、無表情に生きていくしかなくなるわけです。

これから先環境は大きくかわります。むしろ今現在積極的に変わっているでしょう。今世界の変化はとても早い状況にあります。生物が海から陸に上がった時の環境の変化のように、僕ら人間も同じような大きな世界の変化が起こりつつあるように思います。考えてみてください。今あたなが見ているパソコンや携帯電話を15年前にどれほどの人が使っていたでしょうか?30年前になるとどうでしょうか?その時インターネットという言葉なんて存在していたのでしょうか。
世界は確実に僕らの目の見えないところで変わってきているように思います。世界が変わると言う事は環境が変わるということです。

そして忘れてはいけません。私たち自身も常に変化しています。僕らは死ぬ時まで成長し、老います。まったく環境が変わらないということはありえないですが、仮にもしそうだとしても自分自身の変化に適応していく必要があります。それができなければ老いる自分を否定したり、できない事が増える自分を否定してしまいます。柔軟な自分をもつということは自分の老い方、つまり人生をどのように過ごすのかにも大きく影響します。できるできないは「DO」でありますから、そこにこだわる必要はありません。できるできないに意味付けするのは頭の中での価値観ですから。世の中できないほうがいいこともあります。しかし現代社会を生きるうえで僕らはできない事は悪いこと、老いる事についてネガティブなイメージをいつのまにか洗脳されています。だから無理矢理理想の自分を作りあげたり、逆に必要以上にできないと思いこむのです。結果現実の自分とのずれが生じます。それは苦しいです。

このブログ本はそういった人にその変化を受け入れる自分を見つけて欲しいと思って書きました。だけど変わろうなんて思う必要はないんです。無理矢理作り出したいいこちゃんの自分を自分に押しつけるのではありません。そんな事をしても自分の根っこの部分でそれは嘘だとわかっている物です。

僕らがすることはただ自分でつけている錠を外す事です。動けなくしているのをやめればいいんです。もっと正確に言うと自分で自分を動けなくしている事に気づき、そしてやめるという過程をが大切です。そうする事で無理矢理押しつけるのではなく、新しい自分に気づくことが出来る。そしてそれに気づくことができるのは体験です。人に言われたから変わるわけではありません。自分で体験してそして思いこみに気づき、新しい自分を発見することが出来るのです。それは自分や人から無理矢理押しつけられた自分ではなく、発見した自分ですから前から存在していたことになります。それは自然に受け入れることが出来ますよね。というよりももう前から存在していたのですから気づいた時点で受け入れています。だから皆さんにはぜひいつもと違う体験を少なくとも1つ以上はしてほしいと思います。ただ無理やりする必要はありません、自分が楽しいと思えるものでもいいんです。むしろそのほうがいい。

環境に適応できないという事は非常にしんどい事です。生物にとってそれは単純に死を意味することでもありますから当然です。僕は1人でも多くの人が自分を自分を固定するのをやめて自分を自由に生き生きと生活してもらえればうれしいと思います。


だけど必ずしも新しい自分を見つける必要はない
ただ1つだけ注意してください。かならず生物は海から陸へあがる必要はありません。ずっと海の中で暮らすのも1つの方法です。陸へ上がれば沢山得るものはあるかもしれませんし、もっと豊かな生活が送れるかもしれません。しかしそれは個々で自由なんです。海の中がよかったらそれでいいんです。もちろん必ずしも海にいる必要もありません。今海の中で環境適応して過ごしているのに無理に陸にあがる必要ありません。もちろん陸にあがるもの自由です。また陸や海だけじゃなく空という選択肢もある。あなたが思っている世界以外にもこの世には沢山の世界があるかもしれません。

だけどいつまでも海が存在してる保証はありませんし、陸がある保障もありません。だからこそどこに自分がいるにしろ、環境に適応できる能力は大切です。僕はこの能力を自己調整能力と呼んでいます。もしからしたら環境適応能力と呼んでもいいかもしれませんね。そして今までやって話してきたことはこの自己調整能力を高めるための方法だともいえます。

正解はありません。正解は絶えず自分の中にあります。自分で決めたらそれでいいんです。必要もないのに無理して違うステージで生きる必要もありません。もちろんそうしたかったらしてもかまいません。まず大切なのは環境に適応することです。だけど環境に適応する事は大切な事ですが、環境に適応の仕方はそれぞれです。つまり自分には自分の環境の適応する方法を見つけていくしかありません。
逆にいえば自分なりの適応の仕方を自由に見つけていっていいのです。その時自分で思いこみに縛らてたら自由に試せませんよね?

海で苦しそうに生活している生物がいきなり猿みたいに木に登って生活する事はできません。僕らは少しづつ環境に適応していく事はできますが、いきなり大きな変化に適応するようにはできていません。海からではればまず海と陸の間ぐらいで生活し適応していくことから始めていかなければおそらく上手く適応していく事はできないでしょう。だから今の自分にできる事を一歩一歩していけばそれでいいと思います。できる事って案外自分ができないと思っているだけで沢山あると思いますよ。そりゃ文字通り死ぬくらいのリスクで新しい環境で過ごす事もできます。だけどあまりにもリスクが高すぎますし、大切なのは環境に適応している事であって環境に適応しようとしている事ではありません。無理に高みを目指して今の生活を見ていません。少しづつステップを踏んで常に無理ない範囲で環境に適応していけばいいと思います。

まずは違う体験をしていきながら柔軟な自分を見つけてください。そして今の生活に適応していきましょう。余裕があれば少し違う環境に適応してもいいかもしれません。昔々生物が海から始めてでて陸を見た時の感動と同様にそこには見たこともない新しい世界が広がっているかもしれません。そしてその体験自体が新しい自分を見つけるよい循環となります。

僕らは常に小さい環境適応を繰り返し進化しています。少なくとも変化しています。古代から少しづつ小さな環境適応が原子生物から人間に変化したのでしょう。だけど世界には人間だけでなく、魚もいるし牛もいるように様々な生物が色んな選択をしたのでしょう。積極的に進化しようとするもの、進化することなくその場にとどまるもの。何が間違いとかではありません。人に生まれ方ら皆幸せかと言えばほんとのところそんなの決めれません。


やめる事で自然に動き出す。生きている限り動いている。動いているのが自然です。
人は賢くなりすぎました。頭の中での出来事に大きく左右されています。自分の事、過去の事多くのあたりまえに存在してると思っていたことが実は思いこみにしかすぎません。その思いこみが自分で自分を固定ししばりつけています。そうすれば一定の環境の中では動けるかもしれませんが、それ以外で生き残ることはできません。思いこみを辞めるだけで人は様々な行動をすることが楽にできます。

そしてそのためにも今までと違う体験をしてみてださい。
だまされたと思って。きっと面白いですから。

たぶん生き生きとした人との違いはこの行動にあると思います。頭の中で考えただけなのか、それとも行動して自分で感じ行動するのかこの違いがのちに大きな結果になります。

別に難しい事なんて考える必要はありません。しんどくしても何も学習できません。楽しくする事が大切です。

無理にがんばって体を緊張させては動くことができません。試しに力を入れて動いてみてください。それがどんだけ自分を苦しめていることか。そしてどれだけ動きにくくさせていることか。

無理にがんばる必要はありません。無理にがんばって行動しても次につながりませんよね。

ただ自分を縛るのをやめてください。そうすれば自分が思っている以上に楽に行動できまよ。あくまでも楽に行動できるというのは結果にすぎません。ただやめれば自然に体は動きだす。そういう風に人間ってできていると思います。だってあなたは止まることはできないでしょ?じっとしているようでも呼吸はしている。心臓は動いている。それらが止まった時、それは死んだ時だけです。生きている限り動く事は自然な事です。それを制限している事の方が不自然な事です。だから不自然なことをやめれば自然に動きだします。


だからやめるだけでいい。自分の思い込みが自分を縛っているだけだから。もう自分をいじめるのはやめよう。

それだけで自由になれルのです。

縛ってい事をやめれば自由に動きだせる。



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池袋ウエストゲートパーク10を読んだ

12-19,2010

PRIDE(プライド)―池袋ウエストゲートパーク<10>PRIDE(プライド)―池袋ウエストゲートパーク<10>
(2010/12/09)
石田 衣良

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おもろいんですよー。

ドラマが有名になりなりすぎて不良ドラマ的な印象が強いですが小説はそうでもないと思います。

もちろんそういう要素はありますけど。

雰囲気はけっこう違います。

知らない人に簡単に言うと主人公は現代の探偵というところです。

毎回リアルな現代の旬なネタで話が展開していきます。

例えば今回の巻では携帯電話の情報悪用、自転車ブームでの事故、ローカルアイドルとストーカー、貧困ビジネスなどがネタになってます。

みなそれぞれに悩み問題を抱えた個性的な依頼者が登場します。

また主人公の物事の受け止めかたや生き方がニュートラルでとても気持ちいい。

きっと1人1人まっすぐではなくゆがんでいてる。だけどそれぞれの生き方がある。

そう思わしてくれる作品です。

ドラマのイメージを一度離して読んで欲しいと思います。

ちなみにシリーズものですが、一話完結なので好きなのからどうぞ。

古いのであれば文庫本もでています。
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手洗い、清潔、免疫力向上

12-17,2010

冬は乾燥の季節です。
ノロやらインフルエンザなどの季節になってきましたね。
嫌ですねー。
施設で働くと流行するとものすごくしんどいですし、おとしよりの負担も高まります。
職員も利用者もしんどい悲惨な状況を作り上げます。

感染防止委員とかが施設でありますよね。
平たくゆうと消毒と菌を近づけないという事を主にやってます。

だけどそれだけだと不十分だと思うんです。
また消導や清潔を保つことも大切ですけど、他に重要なものを忘れてませんか?

一番感染防止をするために大切な事は何か。
それは免疫力を高めることでないでしょうか。

もちろん手をあらったり、清潔を保つという事は非常に重要なことです。
だけど僕らの体には免疫というものがあり、またその免疫が絶えず機能しているのも事実です。

菌やウィルスに接触しても感染する人としない人がいますよね。
その大きく運命を分けるのはやっぱり免疫力です。

完全に無菌にするのは不可能ですから、まず免疫力を高めるというベースがあってこそ、消毒なりする意味が確かになってきます。

免疫力が弱い集団だと1人が書かると一気に広がりますね。
だけど免疫力が強い集団だと1人かかってもその感染も弱く、また広がることも減ります。
また感染しても軽度ですみますね。

今まできっと免疫力を上げる方法を見つけるのが難しかったのだと思います。
またそれは数字にもしにくいものです。
だからこそ皆大事だと思っているけど手をつけていない領域であると思います。

免疫を上げる方法は実はシンプルです。

1人1人が生き生きと過ごせること。

これだけです。

体と心はつながっています。
心も体も生き生きと過ごせることができれば元気ですごせます。
僕らもそうですよね。

何か生き生きと過ごしているときは体が元気だと思いませんか?

笑えば免疫力があがるもの有名な話です。
なにも笑うことを無理からしなくても自然に笑顔がみられる生活にすれば免疫力はあがります。

笑えばいいとなると、レクとか芸人とか呼んでとにかくわらかせばいいと思いがちですが実はそうではありません。

それでは人を単純にとらえがちです。

もちろんそれらは悪い事ではないのですが、なぜ普段の生活で笑わないのかと言う事を考えていきなれば対症療法的になってしまいますね。

その時だけ笑っても菌やウィルスがいるわけです。日常が生き生きとしていないのに、非日常だけ少し笑えてもあまり効果はねらえません。

もっと具体的にいうと

多くの障害をもったお年寄りはあたりまえの生活さえままならなくなっています。またできない事が増えていくなかで喪失感をもったり自分と上手く付き合えない状態がすべてではありませんが多いと思います。

1人1人が主体的に過ごせる生活を作る手伝いをすることで体も心も免疫も元気になるということです。

あたりまえの生活がない人は生き生きすることはできません。

まずは感染対策としてもあたりまえの生活が送れるように考えるという視点を持つのは大切だと思います。

また元気がなくなる生活をどうにかしていかないと免疫力は上がりません。


感染に関することは何もお年寄りに限った話ではありません。僕らだって予防でマスクだ手洗いだとか言われています。もちろんそれらは大切なことだと思いますが、毎日元気に過ごさないと当然感染しやすい体になりますね。僕ら自身も実は生き生きと過ごす事が大切です。

そうすれば職員がかかって仕事場にウィルスを持ちこむのも減るかもしれません。

免疫力ともっと向き合っていきませんか?

今年と来年は

手洗い、清潔、免疫力向上の3つでいきましょう。
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あなたの人生を変えるかもしれない質問

12-07,2010

みんなつながっている。あなたは世界を変える能力を持っている。
自分が変わることで世界は変わります。世界はつながっています。自分とつながっている人は他の人とつながっています。またその人は他の人とつながっています。それは世界中に網の目のようなネットワークを作ります。

僕らは意識、無意識かかわらずお互いに絶えず影響しあっています。皆周囲に「反応」しているのです。反応というのは相手自身、自分自身とそれぞれ自分が主体的にするもであって、無理に「反応」させようとしても思ったように上手くいきません。

相手を無理やり変えれないならすることはただ一つ。自分が変わることです。

だからこそセルフイメージを変え、無意識のメッセージが変わることで自分のわずかでも行動が変わり世界は少しづつ「反応」していきます。

楽しいという無意識のメッセージは相手を楽しい存在というセルフイメージを作ることを助けます。またセルフイメージを変えるきかっけになり、固定化せず柔軟になります。そして実際に相手は楽しくなりますし、変化することに対して学ぶ事ができます。また他の人にそれはつながり・・・素敵な循環です。

無理につくるものではありません。楽しくさせようとしても実はできません。自分が自然に楽しいという行動をするからこそ相手も楽しくなるものです。相手は自分の変化に反応します。むすっとした芸人がおもしろい事なんてできませんよね。よい芸人は口先だけじゃやなく、雰囲気や体全体で笑わせるのでしょう。

先の事なんてどうなるかわかりません。だけどできることは自分がどうあるかだけです。

ただあなたの思いこみが変わるだけで世界は確実に変わるのです。

そしてそれを可能にするのは違う体験です。

あなたの人生が変わるかもしれない最後の質問です。
違いを感じる事を1つだけやってみてください。
そして下に自分で文字にしてみてください。

読むだけでは何もかわりません。行動して初めて変化します。
そしてそれは大げさではなくあなたが自然に変わるための大切な第一歩です。

自分がしやすい事でかまいません。
ただ違うとしっかり感じることをおこなってください。

あなたの生活の何を変えますか?「これだったらできる」と自分ができそうな普段しない体験を書いてください。
しようと思ったら出来ないことはないけど自分のキャラではしそうにない事。
普段の習慣とは違う事。
なんでもいいです。新しい自分を見つけるつもりで楽しんでやってみてください。

簡単なメモなとでもいいですので、準備お願いします。
いいですか?

過去も自分に対してもっているイメージもすべて思いこみでした。

あなたがあなた自身で勝手に思いこんでいることなんです。
自分はこんなことできないとかキャラではないという事もそれは思いこみにしかすぎません。

一度そういうものをやめて自由に行動してみたらどうでしょうか。
自分で自分をしばるのはもうやめて自由に発想してみたらいいんです。
そしてそんな思いこみをやめたとき自分は何をしますか。


では記入してださい。

「                              」


必ず書いてみてくださいね。でないとここまで読んだ意味が薄れます。
そしてただ実行してください。もちろん変えることも自由です。行いにくいなら途中で好きに変えてください。

これは小さいようで大切なあなたの一歩です。
ほんとに大切なあたなと今まで違う一歩です。

地球を一周するにしろ最初の一歩から続いて行きます。
あなたの尊敬する人、すごいと思う人も皆意識する、しないにしろ最初の小さい一歩があったのです。

その記念すべきあなたの大切な最初の一歩を今出そうとしているのです。






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メタボやからどないやねん

12-04,2010

メタボやからダメという健康ブームはやめてほしい。

メタボやからガン、脳卒中、糖尿病とか認知症まですべて太ってるからと説明する医者。
だから痩せて予防しましょう??

しばいたろかー
しばいたろかー
しばいたろかー

このネタ分かる人は相当マニアックです。
まぁわからん人はそのままで。

これ普通に考えておかしいと思いません?
これらの病気はやせてる人でも普通に多いですけど??
逆に太っている人でも沢山元気な人もいますけど??

なんでもかんでもメタボメタボってもうええかげんしてほしいです。

そもそもやせることが健康になるという事になってしまっています。

また痩せるために筋トレをやらそうとします。

健康になるために痩せようとしますが、それだけじゃ健康になりません。

むしろ健康とは自分の治癒力を高めることであり、痩せている事ではありません。

痩せているということも健康になった結果痩せていることはあっても、痩せているから健康とは限りません。

ストレスのある生活を送っている事は元凶なのかもしれないのに体にさらにストレス与えてどうしますん。

メタボっていうレッテルを押し付けられることで心にもストレスを与えてますし。

メタボメタボっていうとそういう事自体にも視点を向きにくくしています。

物事をよりややこしくしています。

もちろん過度の飲食は体に負担与えていることは事実ですが、もう少し幅広くとらえていくようにならないもんですかねー。

メタボってほんと今の医療を象徴している現象ですね。

健康や生活というとても重要で豊かな視点をすごく限定的にしてしまっている。

生活習慣病って意外に複雑な考え方ですよ。

僕らは生活の仕方によって健康になったり不健康になったりします。

だからほとんどの病気が生活習慣病だと言えます。

免疫だって生活に左右されます。

だから疾患を限定して生活習慣病とするのは意味ありません。

というかむしろやめて欲しいとおもいます。

健康や生活を無意識的にも限定的にとらえてしますからです。

だから健康や生活の可能性をなくしてしまっていることにもなります。

いつのまにか生活が元気にする事を忘れてしまってます。

無理して痩せて生活がボロボロでは健康になるわけありません。

それでも元気な人は痩せなくても元気ですわ。

ほんとどうにかなんないっすかねー。
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野生を取り戻せ 「なまもの」としての人間

12-04,2010

人は賢くなりました。
色々な事を考えられるようになりました。
明日の朝ご飯の事、好きな人の事、仕事の事それは色々と考えられます。

パソコンも当たり前のように使い、きれいな服もあたりまえのように来ます。
考えられるようになり、人は様々な事ができるようになりました。
そして文明を作り発展してきました。

しかしいくら着飾っても、いくらインテリでもジャニーズでも人は生物です。
哺乳類です。
動物で生き物です。
これは間違いない事実だと思います。

人は豊かになり、色々と考えているうちに生物だという事を忘れてしまっているように思います。
正確には生物だとは思っているかもしれませんが、森やジャングルで暮らす野生動物とかけ離れている存在だと思っているように思います。

でもほんとにそうでしょうか。
野生動物とかけ離れた存在なのでしょうか。
もちろん違う部分は沢山あります。
なかでも考える能力は人はずば抜けてます。

だけど
人はやっぱり動物でしかありません。
排泄もするし、代謝もする。風呂にはいらなければキタなくもなる。
汗もかくしそんなにきれいなものでもありません。
当然です。生きているとはそういうものです。
いくら美人で透明感がある人でも動物である事にかわりはありません。
それもこてこての動物です。
血液もながれているしグロい内蔵もある。脳みそだってある。他の哺乳類と同じように。
あたりまえの事ですが、あんがい忘れがちです
あなたの好きな人だって同じですよ。

だからと言って悪いイメージをもつ必要はありません。
幻想の世界から抜け出して人を動物ととらえるほうが僕は魅力的に人をとらえることができます。
僕は生物しての人間だからこそ、生の魅力が人にあると思います。
きれいなだけじゃつまらんですよ。
リアルじゃないです。

あたりまえですが、人形やぬいぐるみじゃなく「なまもの」なんです。
だけど「なまもの」だからこそおもしろいんですよ。
そして「なまもの」だからこそ、そこに「はかなさ」がありとっても大切なんです。
「なまもの」を感じないという事はただの理想で人をみているようにも思います。
それは表面的だと僕は思います。若い時の恋愛とかそんな感じじゃないですか?

「なまもの」として人をとらえるようになった時始めてより人と深く付き合えるのではないかと思います。

現在の人は無理やり野生を忘れようとしているように思います。
そして現実をとらえることができず頭の中の世界で生きている傾向が強いです。
思いこみの世界で生きているんです。
自分の事でさえ「なまもの」としての自分を否定してるようにも思います。
どこか洗練された、作られた人を自分のイメージとして持つような(持とうとする)傾向があります。
そして今ある現実を見ない。
そんなのやっぱり薄っぺらいと思います。
データばかりで現実を判断しようとしたり、難しい理論が現実だと思いこんでいます。
いくら正確なデータや理論よりも「なまもの」としての人の方がよほど存在感を感じます。

現実を感じることができなければ、思いこみの世界の中で生きていくしかありません。
頭の中だけで生きていると実感がわかりません。

私は生きていると考えている。
直感的にヘンですよね。
この状態を想像しても生き生きとしませんよね。

私は生きていると感じる。
そうです。生きているとは感じることです。
考えていることではないと思います。

人は考えるという便利な道具を手にいれました。
だけどいつしか道具に振り回されているんじゃないでしょうか。

文明が発達する今、これからも考えることばかりになる傾向があるでしょう。
そうなれば、より人は考える事に振り回されるでしょう。
ますます「なまもの」の感覚はなくなるのではないでしょうか。

人は野生を取り戻す時期に来ているのではないかと思います。
バランスをとらなければ、よりしんどい状況になるのではないかと思います。
そして現実の世界で生きることが苦しくなります。

あんたも生物です。
そんなにカッコつけず無理せずやっていきましょう。





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