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おつかれまです。

07-25,2010

昨日、仕事を退職しました。正確には8月末までは名前がありますが。

今の職場は約5年4カ月でした。

振り返るといろいろありました。

嫌なこともあったけど色んな人がいて楽しかったです。

最初は言った時は確かOTになったばかりのころで、OT免許をとった満足感ばかりで燃え尽き症候群になっていたように思います。そして色んな事に混乱してました。

それから5年早いもんですね。

色んな事にこの5年間に出会いました。

色んな事を知り、色んな事を経験し、一緒に仕事をする仲間ができ、自分なりの濃い5年間だったと思います。

今の職場で働いた事に後悔はありません。逆にそれでよかったと思います。

なんだかんだ言っても僕は出会えた人に恵まれてたように思います。色んな刺激を受け、そして一緒に成長することができました。

ほんと感謝です。

これからも自分はどういう人生になるのかわかりませんが、みなさん応援よろしくお願いします。

そして僕にできる事があるなら気軽に言ってください。

また飲みにいったり、遊びにいったりしましょう。仕事をやめても皆近所なので気軽に誘ってください。

よろしくたのんます。


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自己と非自己について 皮膚から考えてみた。

07-18,2010

hand in hand
by fabrisalvetti


僕は地味に実験をしてます。
昔はまったくなかったのですが、3年ほど前より手指あたりに慢性的な発心がでています。
もちろん病院にもいきましたが、慢性湿疹とよくわからない診断でステロイド軟こうの処方がありました。
それがひどくなったり、時にはよくなったりと繰り返しているので、いっそ自分で考えてみることにしました。そしてどのようにしたら治るのか仮説を立ててるんです。今回はそれを紹介したいと思います。

皮膚という役割のひとつとして自己とそれ以外(非自己)を分けている境界線の役割をしていると考えられます。
原因のよく分からない皮膚炎はその皮膚の炎症により、自己とそれ以外の境界線が不明瞭になるということだともいえます。

普段の健康の人間の皮膚は自己とそれ以外の環境をきっちりと区別して、環境からのフィードバックを自分の中で処理しています。

しかし様々な抑圧により、自分を殺してしまったり、抑えすぎると自分とそれ以外の環境が不明瞭になってくる。
僕らの身体は環境に適応し様々に変化していくものであるので、そのような生活を続けていくと、自己と非自己が不明瞭な存在になります。

結果、人によっては皮膚がその体の自然な反応として炎症が起こり、身体的にも自己と非自己の不明瞭な状態を作りだしているのではないかと思います。

ストレスでよく突然の湿疹が多いのもそういう理由なんだと思います。

自己免疫性疾患でも皮膚に症状がでる病変は多い。
そもそもそれも当然のように思います。

自己免疫性疾患も非自己と自己の境界線が不明瞭になり、自己を異物としてあつかい非自己として攻撃するために起こります。。
皮膚は先に述べたとおり、非自己と自己を境界する象徴のようなものだから、当然症状としてすぐにでやすい場所だといえます。

多くの自己免疫性疾患はストレスによってその症状の増減に影響されます。
慢性関節リウマチ、多発性筋炎など。また最近ではアルツハイマーも自己免疫疾患ではないかという説も有力になっています。
アルツハイマーは自己と非自己がやはり認知機能の低下によりあいまいになる病気です。

皮膚の炎症も普段何気ない皮膚細胞を非自己扱いされるために炎症になるのではないかと思う。

という理屈で考えたら、そういった皮膚炎や自己免疫性疾患はは薬で直すことは難しいように思います。
しかしこういった背景をふまえれば回復する事は可能かもしれません。

自己と非自己の境界があいまいなために起こるのであれば、もう一度自己と非自己を明確にする事で、また体は適応し、自己と非自己の明確な皮膚を手に入れることができるのではないかと思うんです。

そのためにはどうすればいいか。
僕の考えた答えは、自分自身に対して「自分の存在」をはっきりさせることだと思います。

今自分が何をしているのかをしっかり知ること。

本当に何を望んでいるのかをしっかり知ること。

自分が何を感じているのかをしっかり知ること。

また同時に自分を否定し、その存在を自分で薄くしていかないこと。
自分には色々と気づくことができる可能性があり、自分自身とより良好に付き合うことで、自分の存在を明確にしていく事だと思います。

当然僕らの動きでさえ普段あまり何も考えずに行っているため、案外気づいてないものです。
自分の動きでさえ、何をどう感じているのかわからないもんです。

そのためには自分の価値観や思い込みを見つめなおす。それは本当に自分の選択した価値観なのか。だれか周囲に影響し、いつのまにか刷り込まれた価値観ではないのか。(思考の質)

またいましていることにも見つめなおす。自分はどういう動きをしているのか。習慣的に緊張を強めたような歩き方をしていないか。振る舞いをしていないか。そのしんどさに気づいていないのではないか。(動きの質)

そして今の生活を見つめなおす。今自分はどのような生活をしているんだろうか。本当に望んでいる生活ってなんなのか。それは単に金持ちになることではないんじゃないか。(生活の質)

※別の機会に書こう思いますがやっぱり僕にとってはこの()で書いた3つの質が関係しているように思います。

そのように行うことで少しづつ自分について明確になるのではないかと思います。

自分の価値観や感じ方、本当に望んでいるものを知ることができれば、自分というものが明確になり、結果自己と非自己が明確になることができるのではと思います。
そうすればきっと皮膚の状態もよくなるのではないかと思うわけです。

ステロイドは副腎皮質ホルモンといわれるとおり、副腎からでているホルモンです。そのホルモンを塗れば皮膚は回復しますが、塗るのをやめると多くの場合元に戻るか、よりひどくなってしまう場合が多いと思います。安易に塗布すれば副腎皮質ホルモンを塗布する事で脳は十分足りていると判断してしまい、本来でる腎臓からの副腎皮質ホルモンの産生を制限します。

ちょうど僕がよくわからん皮膚炎があるので、そういった実験を地味にしてます。
よく観察していれば面白いですよ。ちょっと一週間ぐらい環境が変わると明らかによくなったり、また寝ているうちに明らかに寝る前よりよくなっていたり。地味に結構皮膚ってその時の状態によって絶え変化しているんだと実感します。

これが上手くいけば自己と非自己の境界があいまいになっているであろう自己免疫性疾患も軽減することができるかもしれない。(話が飛びすぎですが汗)
アルツハイマー病は職業柄ストレスによってその状態が悪化する事は実感しています。しかしもし非自己と自己の境界を明確にすることができるとなればアルツハイマー病でさえ進行を止めることが出来るかもしれません。

だから色んな可能性を見出せるかもしれません。今はうっとうしい僕のよくわからん皮膚炎ですが、この実験のためにあると思うことで気が楽になります。

もちろんこれでよくなれば、同じように皮膚炎で悩んでいる人も参考にしてください。


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自分らしさとはなにか 職業編

07-17,2010

これまでも自分らしさについて結構書いた気がしますが、今回の仕事についての「自分らしさ」を考えていきたいと思います。

よく自分はこんな仕事をしたら自分らしいのではないかと思った事はないですか?

例えばプロスポーツ選手とか歌手とか俳優とか医者とか。まぁみんなが憧れる職業ですよね。

特に若いころって憧れの職業につくことで、自分らしく生きれんじゃないかと漠然と思ったことはないですか?

よく子供のころって「夢」は何って聞かれませんでした?
夢を語ることで自分はその職業になる事が自分らしいのではないのかと無意識的に思わされていたのかもしれません。


ほんとの「自分らしい」職業ってあるのでしょうか?

僕は職業は自分らしい生活を送るための「手段」にはなるかもしれないとはおもいますが、その職業についたからといって自動的に自分らしく生活する事になるとは限らないと思います。

別の言い方をすると自分らしい職業というものは存在していません。というか存在しているかどうかなんてどっちでもいい事です。

僕はどんな職業であっても自分らしく働くことができるのではないかと思ってます。
職業の種類じゃなく結局その職業を自分らしくどのように行うかが自分らしさになるのだとおもいます。

いくら憧れのの職業をしてもそれが作業的になると、自分らしさは存在しません。逆に毎日自分が創意工夫しながらやっていく中で自分らしさがでるようにおもいます。

それは工場などの作業的にと呼ばれる職業をしていても自分のあり方次第で自分らしさく仕事をする事ができるようにおもいます。

例えば作業的な要素が多い工場でもそこにはラインがあったり同じ職場で働く同僚もいるわけですから色んな工夫ができます。皆が働きやすい環境を自分で工夫して整えたり、皆が仕事にたいしてモチベーションが保てるように普段みんなが笑顔になれるようにかかわるとか、消費者の顔が見えにくいのであれば、いま作っている製品やパーツがどのように役立っているかとう勉強会なんかするとか色々とあります。

もちろんその仕事の特性があう、合わないはあるかもしれませんが、あくまでも「自分らしく働く」という視点の話です。

特別な仕事をしているから自分らしく働けるのではないんだとおもいます。大事なのは仕事の種類ではなく、その中で自分がどう行動するかによって自分らしさを叶えることができるのだとおもいます。

自分の意見を押しとおす事や決して曲げないことが自分らしいというわけではありません。逆に自分を押し殺す事で自分らしさをみつけれるわけでもないとおもいます。職場が円滑に生き生きと過ごせるように、またお客さんに満足してもらえるか。そしてそれを自分らしく楽しんで行うことが大切だとおもいます。

そういった「自分らしさ」はきっと自分にもよい事としてかえってくると思います。
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悪い状態を知っている強さ

07-17,2010


 
悪い環境で働いている人も少なくないでしょうが、悪いことを知るということはとても大切な事です。よいところばかりで働いている場合はそれしかしらないわけですからそれがよいと思っていても実感がともなわなかったり、また状態が悪くなったとしてもそれが悪い状態とわからず行ってしまうこともあります。

 悪いことを知るということでよい状態をしっかり把握することができるになります。人間は悪いよいという事は比較することでしか判断できないため、悪い状態を知っているからこそ、よい状態がわかるのです。

 またよい状態だけで過ごすとうことはよい状態にする苦労を知りません。よい環境でよい仕事をしたいということは単に自分で考え悩むことや行動する機会を奪い温室育ち?と言われるような状態になるかもしれまえん。悪いところもしっている雑草的な人間の強さに憧れます。

今後自分が物事をすすめていくなら悪い状態を経験していることは自分の大きな力になると思います。また悪い環境の中で少しづつよい状態にしていける人は、どこにでも適応でき働く場所や生活する場所を選ばないでしょう。よい状態になっても悪い状態を知っているからこそ間違った方向に行くこともありません。
だから今苦労している人、つらい状態の人は決してどう転ぶにしろそれは無駄にはならないと思います。

でもなかなか苦労している時ってそういう風に思えないんですよね。
でもきっとそう思える日がくると思います。
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専門性について考える

07-02,2010

人間は常に1つの部分で語れることはできないと思います。人間の体は、というか心も完全に分けることはできないのです。 人間の体を考えた時には人間の心も考えなければいけません。人間の体と心を考えた時にはこれにかかわる環境も考えていかなければならい。もっと考えるならばその人が過ごしてきた過去(どういう風に今まで心と体を使っていたかとか)や文化(例えば家庭でどのような事を教えられてきたか、習慣化するようになっているのか)なども踏まえていかなければ実は体の一部といえど考えることができないのだと思います



ある種専門的な勉強をしている人ほど人をその専門だけでとらえようとします。 専門の勉強を生かそうとする事は大切なのですが、、その専門の中に人間を納めてしまいそうになるのです。 医者は人間を病気の有無や状態としてとらえ、リハビリは人間を体の機能としてとらえ、 看護は病気の症状としてとらえ、介護は目の前の業務でとらえてしまうような傾向があります。 もちろんすべての人がそうでなく、そういう傾向がありますよ。という事です。

人間というのはそんな専門の枠組みとらえられるほど単純でなく、わからない事がたくさんあります。
そういう専門性をもっている人ほど何か人についてわかっているという感覚をもってしまいがちです。初対面の人だけでも体をみるだけて分かってしまう気分になるとか。

専門性は「人とういうものもがなにか」というとらえ方が土台としてしっかりあってこそ発揮されるものではないかと思います。また介護とリハビリとかきっちり分けれるものでもないし、それぞれがある程度かぶっててもいいのではないかと思います。
むしろ人の生活の豊かさなんてものを考えるときっちり分けられることのほうがおかしいのだと思います。ある程度かぶってて当然です。

よく看護の視点からとか、リハビリの視点からとかいう話がカンファレンスの時とかにあると思いますけど、それも何かおかしいような気がいつもします。
お互いが、全体的に人をとらえようとしないで限られた視点の中で人をとらえようとしてしまうから、そういう話になるんじゃないかと思います。

ようはちゃんと元気になればいいんです。それが大切ですから。元気になるためには一部の視点じゃなくもっと幅広い視点でそれぞれがみないといけないように思います。体の事だけでもいけないし、業務の事だけでもいけない。業務も体も別々に存在しているわけではなく、互いに関連しているわけです。(業務もその人にとったら環境ですから、環境は常に個体に影響を与えて個体の状況を変化させています。)

病気をとらえる事もそうです。精神神経免疫学は、様々な病気を環境を含め1つの人としてとらえてアプローチします。環境からくるストレスも当然、個体に影響しているわけです。だけど多くの医者の場合そういったストレスからくる疾患でも多くの場合はその病態だけをみて対処してしまいがちです。薬だけをだしたりとか。

視点を広げるということは「どれだけ物事を関連づけて考えられるか」という事です。
だから一部の部分だけでは関連づけする事も限界があります。

専門性というのは「得意な事」であって、視点を限定する事ではないと思います。人の見方やとらえ方を限定するわけでもありません。人を全体的にとらえ元気になるために、自分は何ができるのか、何がその人に貢献できるのか、その時に初めて専門性というものが発揮されるのではないかと思います。
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