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BLOG本 「ジブンをイジメない生き方」

03-07,2014


byBoudewijn Berend


この中の記事を編集したらこのページがトップにきます。
ただいま編集中です。



もっと楽に生きれたらどんなに楽だろうと思った事はないですか?


私たちはがんばればどうにかなる。努力する事がよい事だ、効果的だと言われてきました。「もっとがんばらないと」「もっと努力しないと」と口癖のように言ってます。私たち自身もその考え方を何も疑う事もなくあたりまえのように受け入れていたと思います。そして他人にも「もっと努力するべきだ」とそれを押し付けてきました。しかし、実は人間がんばりすぎると身体が固くなってしまい結果を出そうとするのにより努力が必要になってしまいます。そしてより身体を固くして行動する。すごく悪循環になってしまうのです。ヒトの体や心は生理学的にみても、神経学的にみてもじつは楽にすることで、よりよい結果がでるという事がわかっています。無理にがんばって続けるというのはとても不効率なんです。


私たちは「あたりまえ」のことを疑うことなく信じてきました。しかし実際そうなのでしょうか。このBLOG本では今まで常識だとされてきた考え方をもう一度検証しよりよく生きるためのアイデアが書かれています。自分で体験した事や学習した事をまとめているので書店ではほとんど見られない内容になっています。これを読んで何か少しでも違いがでれば幸いです。


タイトル-ジブンをイジメない生き方


0-はじめに
0 はじめに


1-僕らは知らないうちに思いこみに振り回されている
1.0 他人や自分にも思いこみを押しつけている
1.1 案外自分の事を分かってないジブン


2-あなたは知らないうちに影響しあっていると気づいていましたか
2.0 普段意識しないからこそ無意識のメッセージ
2.1 受け止め方でメッセージは変わる
2.2 挨拶を例に無意識のメッセージを考える
2.3 人を自然にほめる考え方
2.4 あなたの存在や行為が無意識のメッセージ
2.5 好かれたいという行動は逆効果!?
2.6 ほんとにそれ自分で決めてますか


3-人は思いこみで自分を認識している
3.0 あなたは思いこみを自分だと思っている
3.1 自分の性格は学習して作られるもの
3.2 セルフイメージという自分の説明書
3.3 自分らしさとは何か
3.4 ポジティブは自己否定している
3.5 お金持ちになったら幸せになれるのか


4-過去だって思いこみで作られている
4.0 過去という思いこみ     
4.1 1人で思いこむと過去、みんなで思いこむと歴史
4.2 過去が自分の思いこみなら変えることができる
4.3 しがらみを取り払え
4.4 許す事は許せないことを好きになることではない


5-自分をいじめる事なく楽に新しい自分を発見する
5.0 まずは思いこみ気づきやめてみる
5.1 違いを感じる小さいけれど大切な一歩
5.2 毎日の生活が自分を作る 
5.3 自分はいつも自分を見ている
5.4 トイレや風呂、ご飯も大切な生活の一部
5.5 ぶらさがって支えてもらうよりも足をつけて支え合うほうが楽
 

6-まず自分の一歩から始めよう。それは自分が思っているよりも大きな一歩になる            
6.0 体を使って「新しい自分を発見できる」ということを学ぶ
6.1 やってみないと本当の事なんてわからない
6.2 あなたの人生を変えるかもしれない質問以下編集未 大幅付け足し予定
6.3 違いがよりわかるようになる質問
6.4 人は常に環境適応している


7-あとがき
7.0 これがきっかけになってもらえれば嬉しい限りです。


※まだまだ途中です。追加・編集を行っていきます。

※基本的に記事が追加されてもこのページがトップに来ると思います。更新されてないわけではないので注意してくださいね。
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やってみないと本当の事なんてわからない。

07-15,2011

■思いこみから解放される手段は「やってみる」という事だけです
人は思いこみにとらわれている生き物です。ましてこの情報があふれる社会のなかでは頭の中だけで生きてしまいがちです。たとえば自分はダメだという思いこみ、自分はイケてないという思いこみ。逆にこれが正しいという思いこみ。これをすべきだという思いこみ。こうでなければいけないという思いこみ。例をあげればきりがありません。

そういう思いこみはなんにせよ時にプラスに働くことはありますが、状況がかわればマイナスになることもあります。いつまでも固定された思いこみから抜け出す事ができない人がたくさんいます。また逆に自分が思いこんでいると言う事にさえ気づいていない人も沢山います。

人は変わろうとして誰かに話を聞いたり、本を読んだりすることもあります。もちろんそれらは大切なことです。しかし実は話をしている事や本を読むという事だけが大切ではなく、言葉は常に自分の体験とセットになっています。本を読む事にしろ実は本を読む前に体験している事柄を振り返り解釈しているのです。まったく新しい体験を本を読んだとしても理解できません。人の話を聞くことも同じです。やってみてその振替りを人の話を聞きながらしているのです。そして振り返ることで次はこうしてみようという行動ができます。何もしていないのに知識だけつめこんでも多くの場合は実際とのずれが大きすぎて使えるものではありません。


そんな事はない。小説などではまったく違う世界を書いているが理解できるぞと言う人もいるかもしれません。しかしそれも実は自分自身の体験した事を元にしてその事実を判断しているのです。だから恋愛でつらい思いをした時は、外国人の恋愛小説でもその自分の経験をもとにして共感してしまいます。悲しいとかつらいとかも人や本をみて同じように共感できるのは自分がその体験をしたから共感できるのです。私たちは生まれてから様々な数えきれない体験をしていきています。


悲しいとかつらいという事は自分の判断の仕方で変わるわけです。同じ事がらでも人によって判断が変わりますよね。例えば車を運転していると渋滞に巻き込まれたとき、1人はいらいらと怒り出すかもしれません、逆になにかしら早く着きたくない事情があるときはうれしくなるかもしれません。つまり私たちが思っている感情はすべて自分で考えているもので実体はないのです。


今までの思いこみを取り除き、まったく新しい自分を発見するためにはどうすればいいのか。机の上で勉強するだけなら難しいです。本を読みむだけでも同様です。答えは簡単です。「やってみる」という一言につきます。やってみるということは、やるだけであれば、成功しようが失敗しようが体が動けば可能です。別に失敗してもかまいません。失敗するほうが多くの事を学習できるのです。それはある意味で成功以上です。また失敗が駄目だというのもただの思い込みでしかありません。まず体験してみるしかありません。体験することで初めて思いこみから抜け出すことができるのです。やってみてはじめて新しい自分、今まで知らなかった自分を発見できるのです。本を読む事が役に立たない事ではなく、自分の体験を広げることによって本を読んだときに振り返りがより密にできるのです。私自身も一般の人よりは読書家だと言えます。本から沢山のものを得る事ができました。しかしそれは常に自分の体験とともにあるからです。


そんなのできない。とか自分には無理だとかいうかもしれません。だけどほんとにやってみないとわからないのです。やってみもしないでできないと判断することは思いこみです。今まではできなかったかもしれませんが、次はできるかもしれませんから。過去は思いこみだと4章で説明しましたね。


やってみる事によって自分が学習しようとした事以外の事に気づくことができます。自分が想定していない事に気づくことができる事が体験する事のだいご味です。予測できるものなら、何もワクワクしないし、それにあわせていかなければならなくなるので窮屈です。人は物事を完全に理解して予測して行おうとしますが、そんなのは不可能であるし自分の行動を鈍らせるだけです。よくわからない中で体験していきながら状況を少しづつ理解していくしかありません。そして色々と学ぶことができている。そういうものなんです。


■自分に対して自分で変わるきっかけを提供する。
自分自身について別の見方をしてみましょう。やってみると言う事はどういう事か。それは自分に対してどのように働きかけているのかを考えてみたいと思います。やってみるとい事は無理やり自分を変えるという事ではありません。やってみると言う事が大事だと言うと、今度は無理やり自分のしたくない事をする人がいます。やってみると言う事は新しい自分を見つけるためのきっかけを提供するものです。なのでしんどい事ばかりしなくても色んなきっかけを自分自身に対して提供してあげればいいのです。いきなり難しいことをしなくてもいいのです。すこしずつステップを踏めばいいのです。


何か自分の事なのに他人に言っているように聞こえるかもしれませんが、それでいいのです。人は無理やり変えることはできません。自分の思い通りになんて人を変えることができません。それは自分にも当てはまります。自分を自分で思いどおりにかえれないなんて、すごく変に聞こえるかもしれませんね。そんな事はないとまた言われてしまいそうです。でも実際に完全に思いどおりに自分を変えている人は周りにいますから?病気にかかりたくなくてもかかったり、事故に起きたり自分の事といえでも予想がつかないことがたくさんあります。自分の思い通りに自分を変える事ができればなぜこんなにも苦労してみな生きているのでしょう?努力しろと言われてひたすら努力できれば苦労しません。しっかりしろと言われてしっかりできれば簡単ですがそう上手くいかないのが現実です。自分はこんな人になれたらいいなと思っていてもそれを自分自身に押し付けることはできません。ポジティブを無理やり押し付けるのと同じで、そんなのはすぐに窮屈になります。自分をいじめているだけです。


では自分自身を変えることはできないのかというとそうではありません。変えることが間違っているのでなくて、やり方が間違っているのです。もっと最適な方法で自分を変えるという方法があります。変わるきっかけを自分に作ってやるのです。きっかけというのは1つの行動です。なにかをやってみるということです。やってみることで自分の意外な一面を知ることもあるし、自分は変わることができるとう柔軟性を身につけることができます。


私たちは自分を変えようと思うとき、なにかすごく努力やパワーがいるように思っています。しかし変わると言う事は無理にすることではありません。無理してても続かないし、続いてとしても自分の精神状態が安定しないでしょう。そんなのしんどいでしょ。変わるというのはあくまでも自然にするものであって、何度もいいますが自分も相手も無理やり変えることなんてできません。それは自己否定にもなってしまいます。変えることがでいるのはやはり行動しかありません。けっして自分に言い聞かすのではありません。言い聞かせても勉強しない子供と同じです。かりに言い聞かす事ができても自分の主体性を奪っていることになるでしょう。そうやって無理にさせるのはしんどいことです。今ままでそのようにして上手くいかないという事を気づいてないだけで皆体験から知っていると思います。だけどあたりまえのように自分に言って聞かせて苦しい思いをさせるやり方が正しいと思いこんでいただけです。またその方法しか知りません。


あなたはあなたの味方になったらいいんですよ。今まで無理だとか、できないとかの思いこみを捨ててただ気楽にやってみるだけです。がちがちに身を固めながら行うのではなく、ただただやってみるという感覚です。その時自分はこのように変わるのだという期待をするとしんどくなります。ほんとただただ興味がある事を楽にしてみてください。どう変わるかは予測できませんが、しかし変わることができればたくさんのものを得ることができます。変われる自分、楽に変われる方法、柔軟な考え方などすごくたくさん得る事ができるでしょう。


行動が変わればそれはすべて新しい体験になります。いつもあなたの事はあなたが見ているわけですから、あなたの行動は無意識のメッセージとしてあなた自身が影響を受けます。そのメッセージをあなた自身が無意識的にも意識的も解釈します。そしてそのメッセージからあなたの新しい部分を発見します。それはそれは自然なプロセスです。


他人に対しても同様です。自分自身と同様、他人を無理に変えることはできません。しかし行動するきっかけを提供すする事によって新たに気づく事や本人が学ぶことを手伝うことはできます。もしくは体験して本を読んで振り返る事によって気づくことができます。けっして無理やり変えることはできません。


そのように考えると他の人とつきあうのと、自分とつきあうのも大きく変わりません。誰も自分の事を変えれないし、変えることができない。人を思い通りに変えると事が窮屈なんです。

唯一変える事ができるものがあります。
それは自分の行動だけです。
自分を変えたいのなら、新しい自分を見つけたいなら行動して新しい体験をしてください。そういうと少ししんどそうなイメージを持つかもしれませんが、そんな事をする必要はありません。質のよい体験をすればいいだけです。質といってもその質はあなたが決める物ですから、あなた自身が心地よいとか楽しいとか生き生きするとかそんな体験を積んだらよいのです。もちろんそうなるかはやってみなければわかりません。だから色々とやってみてください。自分の心地よい体験を探しているうちにいつの間にか変わっている自分に気づくでしょう。それはごく自然に。それが変わるという事です。


もう無理に自分の事を変えるのはやめましょう。無理にポジティブになる必要もありません。明るく振る舞う必要もありません。そんな事すれば逆に力が入りすぎて身動きがとれなくなってしまいます。唯一変えられる行動もできなくなってします。自分が変わると言うのは結果です。そして変わる内容よりも変われた事が大切です。変わった内容に固執してしまえば途端に窮屈になります。セルフイメージを固定化している状態ですね。


もちろん人は自分に対して色んなイメージを持ちます。常に自分に対してのなんらかのイメージはもっているでしょう。それをなくす事はできません。生きている以上なんらかのイメージをもっています。それは人間の特徴だと思います。なくすことは難しいかもしれませんが、固定しないことで、色んな自分になれる可能性持つ事はできます。


頭の中の想像だけでは本当のことはわかりません。やってみると、実際想像と違う事も多々あります。その違いが想像の枠組みから抜け出す手段となるのです。どんな自分でもいい。だけど体験を通して変われた自分という事に自信をもってください。自信とはこれまで言ってきたように自分をよいと思い込むのはなく、自分の可能性を信じる自信です。


その体験によって自分の行動が変わります。その行動が自分に今まで違う無意識のメッセージを与えます。そしてセルフイメージが変化する。そしてセルフイメージが変化すればまた違う体験ができます。その行動が自分にまた違う無意識のメッセージを与えます。そしてセルフイメージ変化します。という循環を作ることで新しい自分をより自然に変えることができます。


その最初といえるものが自分の中の小さな一歩なのです。誰もいきなり大きなことはできません。たくさんの偉人もこの一歩がないとないもはじまらなかったのですから。この一歩を踏むことで最初はゆっくりかもしれませんが、加速度的に新しい自分を発見できるのです。一日違い体験をし、自分が少しでも変われば、またさらに違う体験をし、さらに自分が変わります。他人からみたらたいした事がない一歩でも、それはこれから続くすごく貴重な一歩になるかもしれないのです。まず一歩を踏んでみるということを体験してほしいのです。そしてどんな一歩であれ違う一歩が自分にもできるという事を体験してほしいと思います。




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体を使って「新しい自分を発見できる」ということを学ぶ

07-14,2011

■生きているとは考えることではなく感じること
脳の話を少ししたいと思います。脳には可塑性(かそせい)とうものがあり、脳は常に固まらないものだと知られています。常に脳自体が変化しているんです。一度決まったからそれまでではありません。また新たに同じ事を学習し続けることもできるし、違う事を学習することも可能です。それが脳として自然です。脳もまた固定するようにできていないんです。脳とは流動的なものなんです。


なぜ思いこみや想像しているものを自分だと思いこんでいるんでしょうか。いつの間にか想像だけの自分を自分だと思いこんでいるのは何故でしょうか。人は他の生物と比べて格段に賢くなっていると思います。賢くなりすぎた人間は色んな事を想像できるようになりました。そして想像や思いこみまでリアルにとらえることができるのではないかと思います。想像するだけでぞっとする事なんて沢山ありますよね。逆に想像するだけで楽しくなることもあります。自分が梅干しを食べているところを想像するだけでも、よだれがでてきてすっぱい気持ちになりますよね。


その反面、人はほんとに生きている「なま」の部分との区別がつかなくなりつつあるのではないでしょうか。文明が発達し体を動かす事が少なくなった便利な世の中ではなおさら頭を使って想像だけしていればよくなります。だから昔よりも今より多くの人が想像の世界で生きているのかもしれません。それはある意味豊かになったと言えますが、ある意味で失っているものも多いのです。たくさんの人が人間を生物であるというあたりまえの事を忘れてしまっているようになったのではないでしょうか。人も動物だとちゃんと実感している人はどれだけいるでしょうか。人は生き物としての生から離れすぎたため、思いこみの世界を生きてしまうのではないでしょうか。いつの間にかその賢さをうまく使うのではなく、思いこみに振り回されています。


その思い込みは多種多様です。正しさが決まっていると思いこんでいる。どこかに答えが載っていると思いこんでいる。答えが変わらないと思いこんでいる。こうしなければいけないと思いこんでいる。過去があると思いこんでいる。こうあるべきだと思いこんでいる。自分はこうだ思いこんでいる。皆妄想しているんです。そしてその思いこみで自分を苦しめています。思いこみも、やはり賢すぎるあまりリアルにとらえてしまうのです。要は頭でっかちになりすぎているのだと思います。しかしそれが現代の日本の社会の一面ではないでしょうか。


考える能力が必要ではないと言うつもりはありません。考える能力は人として必要です。考える事ができるとのは人としての特徴であるのかもしれません。しかし一方で生物として生きているという事も人として大切な部分です。思いこみから解放するということはもっと生きている、存在しているという生の部分に向けてバランスをとるという事でも言えます。どちらがいいのではなくバランスが大事だと思います。考える能力に振り回されるのではなく生きている事を助けるための考える能力があるのではないでしょうか。


■なにより「学ぶことができる」という事を学んでほしい
これまでも何度か話しましたが、セルフイメージをどう変えるかよりももっと大切な学習があります。自分でセルフイメージを変える事が出来た場合どんなよいセルフイメージであろうが対して重要ではありません。それよりも大切なのはセルフイメージが変えることができると気づく事そのものを学習するほうが大切です。変えることができると学習すればセルフイメージのしがらみから解放され、自分の可能性を信じることができます。セルフイメージを変える事を経験することによって自分の可能性を学習するという事です。自分を信用する事はこのようにして少しづつ作られていきます。すべても思い込みはかえる事ができると気づくことで、思い込みにとらわれず自分でよりよく生きるために使えるようになります。


少しの変化でもかまいません。努力して学習する必要もありません。自分が違いを感じられて楽にできる体験を行う事が大切です。むしろ努力するより楽しみながらしてください。なんども言いますが無理をすれば自分をだますことになりますから。一歩一歩できる範囲で少しづつやっていけばいいんです。ただ机の上だけで学ぶのではなく、自分の体を使って全身で学んでください。全身で学ぶということは、それ自体が体験となり、それこそが学習のためにもっとも効果的な方法です。体を使って学ぶことで、考えることから解放し、全身で感じることが出来ます。そして普段経験のない新しい体験の中で今まで慣れ親しんだ考え方から解放されることで新しい考え方を学ぶことも出来ます。そう新しい体験が新しい考えを学ぶことができます。そして学ぶことや変わることができると学ぶこともその中で同時に起こっているのです。


新しいことをいっても無理をする必要はありません。今できる事をしましょう。普段しないことをほんの少し好奇心をもって一歩を踏めばそれでかまいませんん。今できない事をしようする必要はないです。一気に変わりたいという願望を持つのはわかりますが、僕らは子供のころから少しづつ学習してきてように実際は少しづつしかできません。いきなりジャンプする必要はありません。ジャンプすれば着地の時体を痛めるかもしれません。今できる事を丁寧に一歩一歩楽にすればいいんです。


人は学習します。意識するしないにしろ毎日何もしなくても常に学習していきます。もちろん習慣化された中で学習すればよりその習慣が強化されていくでしょう。ただもし今の生活をより生き生きとしたものに変えたいのであれば、また変化にとんだ世の中を渡り歩いていくなら違う事を体を使って体験して学習することができます。生きている限り体験はつきものですから、思い込みにとらわれずよりよい考え方を自分で選択してください。そしていつもと同じ習慣で行動しているとき、(もちろん満足していればそれでいいのですが、仮にないか変えたい場合)立ち止まってゆっくり丁寧に興味がおもむくように新しい体験をしてみてください。


今まで学校の勉強は人によったら嫌いだったかもしれません。私は好きではありませんでしたし、まともに宿題もしてませんでした。だけど自分のためにする学習っておもしろいですよ。机の上でする必要もありません。楽にやればいいんです。まだ見ない自分を発見することは楽しいことですよ。そして新しい自分を発見した事も大切ですが、自分が発見できるという事を学習してください。繰り返しているうちに新しい自分を発見することがごく自然に出来るようになります。しかしまずは最初の小さな一歩からです。




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ぶらさがって支えてもらうよりも足をつけて支え合うほうが楽です

07-14,2011

■自分にろ他人しろ無理矢理かえることは出来ません
私たちは人を変えることができません。変えら得るのは自分だけです。今までの書いたことでそれがなんとなくわかってきたのではないでしょうか。

自分が人に無理やり変えられる事ができないように相手を無理やり変えることもできません。もちろん自分が苦しくても誰か王子様が来てあなたを無理やりよい方向に変えることはできません。きっと無理やり変えられれば楽かもしれませんが、そう物事は上手くできてません。無理やり変えられる事を自分が許容してしまうと自分の存在自体を否定してしまう事になるのです。

人を変えようとする事自体が暴力なんです。本人はよい行いをして人を変えようとする場合もあるかもしれませんがいい迷惑です。

自分にしろ相手にしろ人を自分以外の人が無理やり変えようとするとどこかおかしな事になります。
多くの場合主体性をなくし、受け身になります。結果依存的になったり、他人の行動によって自分の評価を左右してしまうのでより自分を押し殺し無意識的にもしんどい思いをします。

そして他の人にすべて支えてもらう事を期待してしまいます。自分で支える事はなくぶらさがりの状態になろうとします。他人がする行動を期待してしまう考え方は大きなストレスになります。他人は自分でコントロールできないからです。コントロールできないものに期待するとしんどくなります。もしくは期待どうりに他人が動いたとしても、その行動を得るために自分を犠牲にしてしまいがちです。相手に喜んでほしいから自分を犠牲にするという行動は典型的な例です。自分が期待する他人の行動を優先させて自分をより追いこんでいきます。


■誰もあなたをよくすることは出来ません。できるのはあなただけです。
自分には自分がいる事を忘れないでください。そして一番の自分の味方になってあげてください。

だからこそ足を着くのは自分のためでもあります。しっかり足をついた方が楽に動けます。今まで無理に自分の足で立つ事を怖がっていたのかもしれません。それが今までの思いこみです。自分の足でたたず常に誰かにぶら下がっているのは逆につらいだけです。自分の足で支えるより必死にしがみついてぶらさがるほうがよほどしんどいものです。以外に足をついて歩いてみると楽かもしれませんよ。そういった体験をするのも一つですね。


結局自分を変えられるのは誰でもなく自分だという事に気づいてください。自分の事を助けてあげるのも自分で、自分の価値を決めるのも自分です。


だからと言って孤立しろとかそう言っているのでありません。僕らは周りに支えらて生きているものまた事実です。ただ無理やり変えれる必要はないんです。自分が変わる事を周りに手伝ってもらえればいいんです。逆にいえば相手を無理やり変えるのではなく手伝ってあげればいい。ただ支え合うという事は自分の足は常に地面についています。完全にぶら下がる人を支えることは出来ません。


結局は自分の人生は自分の人生です。自分で足をつき歩いていくしかありません。ただそこで見守ってくれる仲間がいるだけでもっと自分で自分の人生をあるく事ができます。また周りの人が自分に対して変われるきっかけを提供してくれるのかもしれません。いくらいい友達や仲間が見守って支えてくれても歩くのはあなたです。よいきっかけをくれてもそれを生かすのはあなたです。きっかけやサポートをくれた事に感謝しながら歩いていけばいいんです。


人は人の中で生きていくことができます。だけど1人1人が自分の人生を歩いてます。お互い支えあいながらも自分の足で歩きます。自分の足で。それを忘れてしまってはいけません。厳しいようですが、自分の足で歩くほうが楽なんです。そして自分の足で自分を支えてれば他の人を支える事も出来ます。そうやって支え、支えてもらいながら僕らはバランスをとりながらつながってます。そうなればいつまでたっても自分から人が離れません。


1人で無理に生きようとする必要もないし、皆にながされる必要もないんです。ただ自分の足を地面につけてみてくだい。無理せず楽に。そこから始めましょう。






>>>表紙へ戻る

トイレや風呂、ご飯も大切の生活の一部です

07-14,2011

■あまりもあたりまえすぎて普段意識しないですができないと命に関わるぐらい大切な活動があります。
あたりまえすぎて見落としがち活動があります。とっても重要だけど見過ごされている活動です。それは何かと言いますと、風呂に入る事、ご飯を食べる事、トイレで排泄する事です。つまり毎日僕らがほぼ無意識的にあたりまえにしてる活動です。また一体何を言っているんだと思うかもしれません。多くの場合あまりに日常化しすぎて全然驚かないと思います。ただ少し考えてみてください。皆さんこれらができないとどうなると思いますか?


ご飯を食べなければ栄養失調で死にます。風呂に入らなければ雑菌が繁殖しやすい。衛生的でない地域は感染症とかにかかりやすいですね。コレラやペストなど恐い感染症もあります。トイレにいかなければ悪いものが体にたまりつづけますので命に影響します。私たちが毎日やっているあたりまえの活動ですが、実はこれらができないと命にかかわるのです。これらができない場合死ぬと言っても過言ではないでしょう。つまり生活が自分の健康や命に影響するという事です。

毎日の食事や風呂やトイレが重要な事はこれで理解ができたと思います。しかしこれだけでは終わらないのがこの本の売りなわけです。本題はここからです。では僕はらご飯を食べればそれでいいのか?清潔を保てたらそれでいいのか?排泄も出したらどうでもいいのか?という事を考えていただきたいわけです。


どうですか?みなさん。どのように思いますか?


実はただこれからの活動をやっているだけでは不十分なんです。ただできればいいわけではありません。まず食事を例に考えてみましょう。食事はただ栄養をとるだけのものでしょうか。そうではありませんね。おいしく食べたいし、好きな人と一緒に食べたほうがおいしいと思います。1人でずっと食べるのは私はあまり好きではありません。もちろん1人で食べる時もあってもいいですが、1人で食べてもあまりおいしくありません。よく幸せ太りとかいいますが、好きな人と一緒に食べれば同じものでもおいしさが増し食欲も増すわけです。逆に嫌いな人と食べればあまりおいしく感じないかもしれません。


私たちはあまりにも人の事をあつかう時にまるでロボットのようにとらえる事になれてきえいます。悪いところがあれば修理(治療)して治してもらう。栄養がなければ栄養を補給する。汚れればきれいにする。不要なものはだせばいい。人というのはそんな単純なものでしょうか。

おいしく食べるという事や好きな人を一緒に食べると言う事が私たちの心や体の健康にどのように関わっているでしょう。栄養さえとってれば健康は保てるものでしょうか?

視点を変えてみましょう。例えば栄養カプセル3つに高カロリー剤1つ。これで一日の必要な栄養素は完璧にとることができるとします。毎食3回とれば栄養は充分とれます。そして一人で食べるとします。それでどうでしょうか?栄養がとれたからと言ってそれで健康的に過ごせるのでしょうか。食欲はどうでしょう?それだけを毎日食べて毎日元気で過ごせるでしょうか?私は正直無理です。一週間も同じ物を食べていればあきますね。人によったら食欲が低下し、あまり栄養でさえ保てない人もでてくるかもしれません。そんな生活で毎日の3回の食事の楽しみも無くなるのですから、より生活に張りをもてなくもなります。一人で食べるならなおさらです。


考えてみてください。中華やイタリヤ料理、寿司、焼き肉、ラーメンなどまったく存在しない世の中を。いつも味もない合成栄養剤ばかり食べてはげんなりしませんか?たとえ栄養だけ足りていても元気に過ごせるとは限らないのです。実は人はおいしく食べることによって同じものを食べたとしても栄養の吸収が変わります。いつも栄養剤ばかり食べて学校や働きに行ってよい結果が残せるでしょうか。もちろん栄養剤を否定するわけではなく、これあらは毎日の生活をあくまでも補うものであって、メインになるようなものではありません。


風呂はどうでしょうか?今はお湯があたりまえにあると思いますし、シャワーや風呂が簡単に使えます。しかし湯やシャワーなどが使えない場合どうでしょうか。いつも体を水できれいにするだけでは冬だとなんとも言えずつらいと思います。お湯がでるだけでどれだけ気持ちよくシャワーなりを浴びることができるでしょうか。またシャワーばかりでなく湯につかるというのは特に日本人に言えることかもしれませんが実に気持ちがいいことです。毎日水で体をふくだけではずいぶん毎日の過ごしかたが変わります。
また銭湯や温泉での風呂は人によるかもしれませんが、格別です。温泉やスーパー銭湯が全国に多いのも納得です。私たちは入浴を通じてリラックスする事ができます。緊張した毎日から癒す手段になっている人も多いと思います。


トイレはどうでしょう。僕らはあたまりまえのようにトイレで排泄していますが、昔はそんなものなかったわけです。また体が上手く動かない人ではおむつの中で排泄してしまっている人もいます。自分が想像したらわかると思うのですが、人に助けてもらったらり、失敗したところを見られるのは人としての尊厳にかかわります。特に排泄は毎日当たり前のようにするのでその重大さが実感としてわきにくいと思います。私たちは排泄が自分でできなくなり初めてそれがつらいことだと知る場合が多いです。排泄は人が人として生きる上でとても大切な活動です。また便秘に悩まされている人はその不快感があるかないかで気分が違います。とにかくずっと下の心配をしていては容易に外出できないし、ましてや働くことなどできません。


何が言いたいのかと言うと、僕らは命を保つ上で食事や入浴、トイレをしているわけでありますが、ただしていればいいと言うわけではありません。実はその生活の質も大切なのです。おいしくご飯を食べる。好きな人と食べる。風呂に気持ち良く入る。トイレですっきりと排泄する。と言う事が実は私たちの健康や生命に大きな影響を与えています。それは意識していない事ですが、健康的に過ごす上でとても大切な事なんです。健康と言えば何か特別な事をしなければいけないように思いますが、実はあたまりまえの生活の中にヒントがあるものです。日常のあたりまえの生活の質を大切にすることは生き生きと過ごす上で、また心も体も健康的に過ごす上でとても大事な事なのです。けっして大げさではありません。

もちろんおいしくとか気持ちいいというのは個人差があるわけで、だからこそ人それぞの価値観が大切になります。人によっておいしいものがまずいと言う事も個人差があるので当然の結果がです。好きな人とご飯を食べるというのも、その好きな人は人によってそれぞれです。また何を食べるかだけでなく、誰と食べるかによっても味は変わります。質というのはそれだけ個人的なものなんです。

■当たり前のこれらの活動をより自分が満足して行うだけでもかなり充実して過ごすことができる
つまり健康的に過ごすには個人の質を大切にしていくことが必要です。お金をかけてもいいですが、別にお金をかける必要はまったくありません。またお金をかければそれでいいというものでもありません。自分にとってよい体験をすればそれでいいんです。食事をちょっと大切な誰かと一緒に食べる、おいしいと思えるものを食べる。風呂にいつもより気持ちよく入れる工夫をする。ただ仕事や遊びにいくのに服をきるだけじゃなくちょっとおしゃれしてみる。トイレも下剤ではなく食事を工夫したりおなかを動かしてすっきりと出すようにしてみる(寝て膝を立てておなかをねじる体操は効果的ですよ)ゆったりトイレに座って気持ちよく排泄するなどをして日常生活の質を上げてみてください。


何がいいとか悪いとかよくテレビで宣伝していますよね。しかしそうではなく、自分が健康的に気持ち良く過ごせる事を大切にしてください。質のよい生活で自分をいたわるという今までと違う体験をする事も何か発見できるかもしれません。あなたの生活は他人のものではなく、あなたのものです。あなたが自身が主体的にコントロールしていきましょう。それは表面的に自分のセルフイメージにとらわれず、しっかり自分の体に注意を向けいたわってあげてください。例えば思いこみや習慣で本来からだが欲している量の限界を超えた食事をしているのかもしれません。あくまでも自分の体が心地よいと思えるようにしたほうがいいと思います。難しく考える必要はありません。ただ少し自分の体や調子に注意を向けるだけです。


もちろん病気などをしておられる方は専門家と相談してください。ただあれをしてはいけない、これをしてはいけないという人を選ぶのではなく、したい事のために専門知識を生かし、あなたの人生をあなたと一緒に考えてくれるような専門家を探してください。


質のよい生活を送ると自然に元気になります。毎日が楽しくなります。それが違いを生みまた新しい体験ができます。そいういあたりまえの生活の中に違った体験をするのも1つの方法だと思います。よく不幸な状態の時ほど健康をくづしやすくより不幸になるという悪循環を聞きますが、それは生活の質の低下体に与える影響だと思います。

質のよいあたりまえの生活はそれだけで健康に生き生きと過ごせる基盤になります。

ここでは日常生活の中に違う体験ができるのか考えていきましたが必ずしも違う体験として日常生活を変える必要はありません。1つの参考にしてください。






>>>最初に戻る


誰も見てなくても自分はいつも自分を見ている

07-13,2011

■他人よりもあなたが自分を一番みている
違いのある体験や行動がなぜあなたに影響を与えるのかをもう少しみていきましょう。2章で無意識のメッセージについて説明しました。あなたの存在や行動は常にメッセージを出しているという話です。その無意識のメッセージは周囲に影響を与えていきますが、一番影響を与えるものがあります。それは誰でしょうか。あなたの一番近くいる人です。だれでしょう。友達や恋人、親でもないですよ。


それは実は自分なんです。自分は自分だろと思うかもしれません。だけどあなたが今まで行動してきた様々な事を生まれてからずっとあなたは見てきました。あなたは自分で自分の事を責めることもできるし、励ますことをできます。それこそ人には言えない事や恥ずかしいことなんかもあるかもしれません。あなたを一番知っているのはあなたです。


前の記事で私たちは行動や生活によって性格が作られていると話をしました。つまりそういった毎日の振るいまいの中で自分自身が出した無意識のメッセージに自分自身が無意識のうちに影響されています。たとえば自然に社交的にふるまったとしましょう。感じ方は人それぞれですが周りの人は社交的だとあなたの事を思うかもしれません。しかしそれで終わりではなく、その行動を自分で見て自分の事も自分自身で社交的だと思います。それはあなたの振る舞いが無意識のメッセージとして他の人に影響するのと同様、あなた自身にも影響を及ぼしたのだと思います。


逆にその場で全く逆に行動をしたとしましょう。つまり非社交的といいますか、自分な中で閉じこもってしまうとどうなるか。そうすれば周りの人にもあなたは非社交的だと思われる可能性が高いでしょう。だけど自分自身の事についてもその振る舞いで非社交的だと判断してしまうでしょう。


自分の嘘の振る舞いは他人には気づかれないかもしれませんが、あなた自身にはわかります。例えば無理に元気そうに明るく振る舞っても、どこか満たされない気がする。人がいる場だと笑顔でいるが、家についたとたんくたびれてしまうなど。あなたはずっとそばにいるわけです。嘘をついているのは自分自身なので自分はわかるでしょう。また無理矢理思い込ませることもできません。もしかしたら自分を追い詰めているためそれさえも気づかず自分を傷つけている人もいるかもしれませんが。ヘンな思いこみが自分の声を否定してしまっている場合もありあます。いくら社交的にみせても嘘の振る舞いはどこか無理をしているという自分の気持ちを否定してしまっているのです。どっちがよいと言う事ではなく、人によって無理に社交的になる人もいますし、必要以上の非社交的になりほんとは人と話したいのに閉じこもってしまう場合もあります。


体験が大切だとは言いましたが、無理矢理するものではありません。もちろん嫌だと思っていたがやってみると楽しいということはあります。それはそれで続ければいいのですが、上で書いた例はいずれもやってみて、楽しくなかってけど、やり方もかえず自分に嘘をついた振る舞いをしているといことです。楽しくないのに、楽しいふりをしているだけです。楽しくないなら、楽しくなるようにやり方を色々試してみてらいいのです。しかし無理に楽しいふりばかりづつけていては我慢するだけになります。やがて健康も損なう可能性があります。


また楽にしていいといって何もせずテレビみながら横になってポテチを食べていればいいわけではありません。それはそれで自分のできる可能性を否定しまっている可能性が高いといういう事です。動けるのに、動きたいのにそれに嘘をついて自分の事を信じられてません。もちろん満足してれば別にしていればそれはそれでかまいまわない事です。楽に体験する、やめるという事は単純にものごとを放り出すのではなく、思い込みを観察し自分をより生きやすいように導いてあげることです。物事に対して自然に向かったときいろんな方法に気づき、違う体験をすることができます。それはただがんばれと言っているわけでもないし、だたさぼれと言っているわけではありません。


■自分がどう思うかを大切に
もちろん行動に対しての受け止め方は人それぞれです。大切なのは人にどう思われるのかではなく、自分がどう思うかです。すべて他人ではなくて自分の思いこみですから自分がどう思うかが大切です。だからこそ行動したときに自分がどういう事を思うのかをしっかりと見つめる必要があります。今している行動は自分にどういう影響があるのか、今の生活は自分にどういうメッセージをなげかけているのか。人にどう思われるかはたいした問題ではありません。自分が自分の事をどう思うかが大切です。他人にどう思われるのかはあまり考えないほうがいいと思います。自分を見るのではなく他人ばかりを見てしまうからです。


他人ばかりを見てしまうと結局他人から受け取るメッセージで自分を作ろうとしてしまいます。そうなれば他人から自分にとってよいメッセージをもらおうとして必死になります。他人の振る舞いに一喜一憂するようになります。それではどうなるでしょうか。他人に認められたいために自分を犠牲にしてしまうのです。そう言った行動は知らずのうちに相手に影響を与えるだけではなく自分自身に無意識のメッセージとして影響を与えます。自分の事を認めていないメッセージを自分に与えて自分を否定しまっているのです。他人に認められようとすることで自分に自信をつけようとしても、実はいつまでたっても自分の事を認めることができません。


そしてそういった人ほど往々にして他の人には認められません。前にも書きましたが、いつも認めて、認めてと相手に要求する事は相手が自分の都合よいように動いてというメッセージを相手に投げかけます。認められようとして相手をコントロールしようという事自体が相手に対して尊重していませんよ。というメッセージを投げかけている事にもなるのです。別に認められようとする必要はありませんし、そうすれば無意識のメッセージとして裏目にでます。それは他人にも影響を与えますが、自分自身についても影響を与えます。


相手に認められる一番よい方法は、実は相手を認めることです。気に入られようとするのではなく、ただ一緒に楽しんだり、少し興味をもって話しかけるだけでいいのです。ただその場で気分良くいるだけでもいいかもしれません。話しかける内容が大切ではなく、話しかけたい相手ですよというメッセージが大切です。つまりBEの部分を積極的に認めてあげればいいんです。またそういったいつもと違う体験もしてみれば相手だけじゃなく自分自身にも影響を与えるでしょう。


他人をそもそも無理やり変えることはできません。人をコントロールしようと思う事自体が無理があります。ほめてくれればうれしいものです。だけどそれを期待するのはしんどくなります。だから自分の気持ちに正直になって自分を認めましょう。自分を認めることができれば、相手に認めてもらう必要もなくなります。結果人をコントロールせず、そしてより認められるようになります。皮肉なもんですがそういうもんです。だけどよくよく考えれば人に認めてもらうより、自分で自分を認めたほうが簡単です。


コントロールできるのは自分だけです。だけど自分の考え方を思うようにコントロールするのは難しいと思います。無理やり思いこむことはできませんし、難しいことです。イケてないと自分の事を思っている人にイケてると思いこめと言っているようなものです。逆に自分のことはイケてると思っているのなら、イケてないと思えといっても思えるものではありませんよね。それらは毎日の生活や体験によって学習されたものなのですが、結局コントロールしやすいのは行動だけです。そしてそれを見ているが自分自身です。一番簡単なのは自分が行動して無意識のメッセージを自分に投げかけてあげればいいと思います。そうして少し気づくことができる。その積み重ねだと思います。自分はイケテルと思っても思えないのは当然です。だけど無理矢理思い込ませるのではなく、美女にモテモテの体験をすれば自分はイケていると少しづつ思う事なんてすぐできるのではないでしょうか。というか一度の体験だけで劇的に変わる人もいそうですね。そういうものです。だから今できる事を少しづつやっていけばそれでかまいません。大丈夫です。行動すれば変化はあります。お天道様や神様も見守ってくれているのかもしれませんが、あなた自身も自分を見守り助けているのですから。


違いのある体験の大切さが理解できたでしょうか。違いのある体験は自分に新しい無意識のメッセージを提供してくれる一番シンプルな方法です。そして一番自分が楽に自由に変われる方法なんです。自然に楽に行動することによって無意識のメッセージを自分に伝えることができます。


自分がどう感じるかなんて事はやってみないとわかりません。だからやってみるんです。体験してみるんです。やってみるまですべての事は頭の中でしかありません。予想どうりに行くこともあるかもしれませんし、逆に想像以上の発見があるかもしれません。行動して無意識のメッセージが自分に届きます。そこで初めて思いこみから実感の伴ったものになります。


自分に嘘をつく必要もありません。色々試してみて自分はこういう事も楽しむことができると気づくことです。無理に自分を言い聞かすのではなく、少しづつでもいいから自分の新しい側面を信じ探していく。それだけでいつの間にか嘘をつくことなく自然に振る舞い楽しむことができるでしょう。最初はイケてないと思っている人は美女の中でもあがってしまい生き生きと過ごせないかもしれません。しかし少しづつイケてると思う事を無理なく積み重ねていけば、美女の中で楽しく過ごすことができるでしょう。


しかしそれがいいことや悪いことという判断ではなく、一番はそうやって変わる事ができると知って欲しいんです。状況が変わったのにいつまでもイケているとセルフイメージを固めていては独りよがりにもなってしまうんです。人はずっと学習していくものとはよく言ったもので状況が一定ではないので、その状況によって学習して変化していきながら一番気持ちよく生きる方法を見つけていく事が大切です。


もちろん楽しそうな事、興味のおもむく事、きっかけがある事なんでもかません。自分のしやすいところでいいのです。それらはやってみないとわかりません。前にも書きましたが、嫌なら嫌と発見できたことになります。発見する前と後では少しづつ行動が変わっていくと思います。やってみて嫌なら違う方法で、もしくは違う事をして自分にとってよい影響つまり無意識のメッセージを与えてくれるものを探せばいいと思います。





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何が自分なのか

07-13,2011

事実あなたは1つの固まりだと思っているかもしれません。ですが僕らは様々な細胞でできているわけです。また色々な臓器でできています。また脳だけではなく、腸も皮膚も意思をもっているかのように判断することだってあります。もしかして知らないだけで他にもあるかもしれませんが。人を1つとしてみるよりも色んなシステムが合わさった複雑な集合体だとも考えることができます。毎日細胞が死にまた生まれる事をシステムの中で繰り変えています。今のあなたを作っているものは3年もするとすべて入れ替わってしまいます。人の機能を知るほどあながちそれは間違えてないように思います。あんまり難しいことはいいのですが自分は自分の面倒をみていると考えると非常に自分と付き合いやすくなります。それを利用しない手はありません。

毎日の生活が自分を作る

07-13,2011

■毎日の生活が自分の体や心を作ってます
毎日の生活が自分の性格を作ると気づいてますか?
実は性格だけじゃなく生活が体も同時に作っています。

僕らはどんな毎日を送るかによって自分の心も体も変化していくのです。
例えば毎日運動せず引きこもっていば体は肥えていきますし、精神的にもありまり活気がもてなくなります。逆に毎日運動していたらい、外にでかけたりする人は体もすっきりするし、心も安定しやすい傾向があります。もちろん個人差はありますが、多かれ少なかれ人は毎日の生活が自分自身に影響を与えています。

私たちの思いこみはどのように作られてきたのでしょうか。それは生まれ持ってなのでしょうか?なぜ今までその思いこみを持って生活してきたのでしょうか。自分は赤ちゃんの時どういう性格をしてましたか?生まれた時から自分はイケてるとか、ダメなやつだとか思っていたのでしょうか。ほとんど覚えている人はいないと思いますがそうではないと思います。色んな人生の経験や体験があったからこそ自分はイケてるとかダメなんだと思いこんでるわけです。


食べ物の好みはどうでしょう。あなたは何が好物ですか?ステーキ?魚?中華?イタリア料理?もちろん人によって様々です。だけど1つだけ共通して言えることがあります。食べたから好きになったという事実です。食べないと料理の味もわからないので好きかどうかは見た目やにおいだけで判断するしかありません。寿司が好きか、ラーメンが好きとか私たちはそれを食べたから判断できるわけです。たぶんアフリカなど全く文化の違う民族の人には寿司もラーメンも食べた事がないので判断のしようもありません。もちろんアフリカの人の食べ物を私たちは食べてもないのに判断できません。私たちは体験することでより具体的に自分にとってどういう意味があるのかを学ぶ事ができます。


自分自身の事も基本的に食べ物の場合と同じです。いくら自分だといえ、体験していなものはわかりません。自分が行動してきた結果自分というイメージを作りあげているんです。子供のころはイメージがあまりない状態ですので、とにかく動いて自分のイメージに振り回されることなく動く事ができます。だからすごく自由に動いているように見えるのだと思います。色々な体験を積むうちに自分はこんな人だと性格を決定していきます。


ただ大人になれば動きが習慣化され自分のイメージを固定化してしまう人が多いわけです。私たちは子供のころから様々な体験をして作ってきたいました。そして自由に動くことができてました。それなのにいつのまにか大人になり今度は作りあげたイメージによってしか動こうとしなくなる人が沢山いるわけです。自分にはこんな事はできないとか。それは自分らしくないとか。毎日決まったように何も考えず生活してるとか。いつの間にか自分の作り上げたイメージが自分そのものだと勘違いしているわけです。その作り上げてきたイメージに振り回され同じ行動を続けしまいます。そしていつまでも違う体験をしないばかりに今度は自分の作り上げたイメージに振り回されます。だからこそ今違う体験が必要なんです。



■生活を変えることで違う体験となり自分の心や体に影響を与えることができる
僕らは生きている限り毎日生活しています。言いかえると毎日行動していると言う事です。毎日行動しているという事は毎日体験しているという事です。つまり毎日の生活が自分の性格に影響を与えているというわけです。多くの人はそんな自覚なかったではないでしょうか。性格なんてものは昔から決まっていて変えようもない。もしくは変えられても少しだけだと思ってはいませんでしたか。私たちは性格だって、趣味だって趣向だってその多くが学習してきたものにしかすぎません。


生活は体験の連続です。あなたが毎日つまらなかったとしても何かしら常に体験しています。そうした体験が自分の性格や体を思いこみまでも作ったのです。つまりどんな生活をしてきたのかで自分自身を作っています。だからもう一度体験を通して学習すればまた新たな自分を見つける事は可能なんです。性格は体験によって学習してきたものであるので、机の上に座って新たに学習する事は出来ません。教壇の上であなたはこんな人だと言っても説得力に欠けます。自分で体験をする事によって自分にはこういう一面があったのかと気づくことが出来ます。その時ははじめてあなたは学習したのです。つまり今までやってきた学習方法ではなく、体を使ってしっかり体験することで学習できるのです。


そして生活は体験の連続ですから、生活を変化させる事で違う体験を行い自分について学習する事が出来ます。つまり何も特別な事はしなくても今の生活を変えるだけで新しい体験は自然に出来るのです。また今の生活自体が自分にどういう影響を及ぼしてどんな事を学習しているのだろうかということが分析できるようになります。わかりやすくいうと今の生活が心と体にどんな影響を及ぼしているのかを考えることが出来ます。

さあ少し考えてみましょう。今の生活はどんなあなたを作っていますか?





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違いを感じる小さいけれど大切な一歩 

07-13,2011

■具体的にセルフイメージを変えるには違う体験をすればいい
セルフイメージを柔軟にしていく方法。それはとてもシンプルです。今までと違う体験をするという事です。難しい事は何もいりません。ただこれだけです。


現状はセルフイメージの固定化→いつもと同じ自分→いつもと同じ行動パターン→さらにセルフイメージを固定化→さらに同じ行動パターンというような循環になっていないでしょうか。その循環を変えるために違う体験をするのです。体験と言うとちょっと仰々しいかもしれませんので、違う生活と言ってもいいし、違う活動といってもいい。とにかくいつもと違う事をしましょうということだけです。


気を張る必要はありません。私たちは何かをするときに努力的に力んでやらななければいけないと教え込まれてきました。そんな事はする必要はありません。そんな大きな事をする必要はありません。逆にとにかく楽に気楽に行う事が大切です。自分が興味あることでいいのです。


また違いは自分にとっての違いでかまいません。人から見て同じであっても自分が違うと思えばそれでいいです。無理をする必要もありません。いきなり大きなステップを踏む必要はなく、自分が楽にできる範囲でいいんです。無理をして自分をだますのはよくありません。こうしなければいけないと思う事自体がいうポジティブな罠にはまっています。


あくまでも自分の興味の赴くままに一歩を踏んでください。なんでもいいんですが、興味があった習い事をしてみるとかでもいいし、普段いかない楽しいそうな場所にいくのでもいいし、ちょっと違う場所に散歩にいくとかなんでもかまいません。まさしくいつも散歩している時に、興味があるものを見け自然と足が向くような状態です。仕事の方法を変えるとかでもいいかもしれませんね。新しい遊びをするのもいいかもしれません。大事なのは自分が違うなと思えることです。逆にいえば周りから違うと思われていても自分が一緒だと思うことなら意味がありません。自分の気持ちを大切にして決めてください。そして人が決めたのではなく、自分で決めたという認識をもってください。


その違いに楽しさや心地よさを感じれるものにしてください。繰り返しますが、こういなければいけないというものはありません。むしろこれをしたら楽しいだろうなとか好奇心があるものにしてみればいいと思います。もちろん新しい事に対して戸惑うことはあります。やってみて違うかったと思う事も当然あります。そういう時は違う一歩を試してみればよいだけです。


やってみて以外にできるものだ、心地よいものだという経験も実際あると思います。どんな事でもいいです。色んな事に気づけるのではないかと思います。失敗をしてもかまいません。むしろ完璧にしなければいけないという思いこみが人の動きを止めます。人はそもそも不完全にできているのです。そして失敗したから落ち込むというのもただのセルフイメージの変化にしかすぎません。ポジティブな罠に続いて今度は失敗したから自分はダメだと安易に判断する失敗の罠にかかっています。失敗しても大怪我のないものや死なない程度のものにしておけばいくらでもやりなおしはできます。過去は思いこみです。自分の中で処理できる問題ならどんどんなかったことしてください。自分の記憶なんですから自分で自由にしてください。


同じ事でも方法を変えるのも1つです。ちょっとしんどいなと思う事を楽な方法に変えてみてください。それもいいと思います。違いがあれば何でもかまいません。ただあからさまに人に迷惑だけかけないようにしましょう。違いがあれば自分はどう感じているのか、考えるのかをちょっと振り返ってみましょう。そして心地よければ続けてください。また違う一歩も自然に踏めるでしょう。


体験して嫌なら嫌だったんだと1つ知ることができます。それも嫌だと気づくことができたので充分です。前より嫌なものがはっきりすればしなくていい苦労も減ります。もちろん無理やり嫌なものを楽しむ必要もないし嫌な同じ事をくりかえる必要はありません。また工夫をしてなるべく心地よく調整することもできます。色々気軽にためしてください。努力するとかそういうのではなく、ただ自分が楽しくできる方法を探してください。


快適さや心地よさは人によって違うものです。そして一番それを知っているのは自分自身です。他人ではありません。セルフイメージを柔軟にして、色々な違いを体験しているうちによりセルフイメージが柔軟になり柔軟な自分を受け入れられるようになれば自然と体や心が安定します。そしてさらに柔軟化してく事でさらに違う体験を自然に無理することなく行うことができます。少しづつですがよい循環が生まれます。違いを感じるその一歩は、最初の小さな一歩ではあるけれどそれはとてもよい循環を作る大切な一歩なのです。

まずは呼吸を楽にリラックス。そして肩の力を抜いて楽にいきましょう。今してもいいですし、この本のすべての記事を読み終わった後でかまいませんよ。そもそも私がこうして文章を書いるのも新しい体験をしたかったためです。ただの好奇心です。

楽しみながら書いていきます。





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まずは思いこみに気づきやめてみる

07-13,2011

■無理矢理思いこめばいいってものではない。
これまでの章でセルフイメージも過去もすべて自分が自分を作っているという思いこみだとみてきました。普段私たちが生活している中で様々な事が思いこみであると認識してきたいのではないでしょうか。


しかし今まで当然だと思っていた事を簡単に変えることは難しいものです。世の中には無理に思いこめという方法もあります。しかし私たちは馬鹿ではないですので、そのように思うことは難しく無理も生じてきます。自分がダメだと思っているのに、それを自分がイケていると思いこもうとしても上手くいかないのは当然です。思いこむと言う事に執着してしまっては、結局イメージの世界でしか生きておらず、実体を感じてません。


無理に思いこんで自分を変えようとする手法では本当の自分をいつまでたっても認めることはできず、ただ思いこみを利用してごまかしているにすぎないのです。それではこれまでの内容を読む前に戻ってしまいます。よいイメージだとしても無理やり思いこめば自分に嘘をついているのと一緒です。結局自分をだませだなんて事を言っているにすぎません。それは自分を大切にしていません。


この手法では一時的に効果はでるかもしれませんが、当然だましているものですからすぐに戻ったり、もしくはずっと自分をごまかし続けることでよけいにつらくなる状況を作りだします。それがいかに自分を傷つけ、また他人を傷つける人を作るのか。私は人に対して簡単にポジティブに思いこめとか言っている人は憤りを感じます。自分をいじめるだけでなく、他人も同じようにいじめているようにしか見えないからです。


思いこみから解放してあげよう。まずは思いこみであると気づく事。
私たちのすることは思いこみから自分を解放する事です。まずは今まで当然だと思っていた事。自分に対するイメージ。過去の事などそれらが思いこみであるという事に気づきましょう。わかりにくければもう一度振りかえって読んでみてください。それらは結局実態がないものでした。実を言うと私たちが考えていることすべては自分の頭の中で作り上げた思いこみです。花をみればきれいだと思う。自分は寂しいと思う。悲しいと思う。うれしいと思う。それもすべて自分が思いこんでいるのです。もちろん思いこみだからといって価値がない事ではありません。まったくの逆です。思いこみ一人一人の中で真実でもあり価値がある物なのです。それを他人がけなす事は出来ません。しかしその自分の真実を他人ではなく自分が楽なように変えていける物なんです。思いこみはとても大切な物です。これがあるから人なんだと思います。だけど人はいつの間にか思いこみの世界の中で生きてしまっているのです。


思いこみに気づくことができればセルフイメージを変えていくことが出来ます。先ほどと同じように言っているかもしれません。しかし大きく違うのです。気づくことができればやめる事が出来ます。まったくセルフイメージをもたないとうことはできませんので、やめる事で今まで自分のイメージに固執することなく今までと違うことが出来ます。固執してしまえばそんな恥ずかしいことは出来ないとか、意味のないことは出来ないで終わってしまいます。今までと違う事ができれば「こんな自分もいたのだ」「意外にこれは楽しい」など自然と新しいイメージや違うセルフイメージを持つことが出来ます。自分に無理矢理セルフイメージを押しつけなくても今のセルフイメージを手放せば無理なく新しいセルフイメージを持つことが可能になります。


そうするとどんなセルフイメージになるかわからないと思うかもしれません。しかしセルフイメージを変える事を目的にするのではなく、変えることによってセルフイメージを変える事ができる自分を発見する事に目的があります。常にセルフイメージに柔軟性を持たせておくことが大事です。つまりどんなセルフイメージを持とうがそれはそれでいいのです。固執しない限りそれは一時的なものですから。


無理によいイメージを押し付ける必要もありません。快適なイメージでも人によって違うものですから。だから自分が楽になれるイメージを持てばそれで構いません。ただそれはその時の自分であって、また未来の自分の楽になれるイメージは違うかもしれませんのでお忘れなく。


今それでよかっても結局は過去になり、また新しい今に出会います。今のセルフイメージは時間がたてば過去になりのです。そこにこだわると過去のしがらみから抜け出せません。常に「今」自分が気持ちいイメージを持ってください。もちろん自分は今こうであると思っても構いません。ただ自分には変化できる可能性があると自然に認めことが大切です。決定的な違いは自分の事をだますのではなく信じてあげるのです。


イメージできる事に対してはイメージを繰り返すだけで上達する事ができます。ただイメージ以上の事はできません。イメージできない事に関しては体験してみるしかありません。予想外の出来事はいつも体験から生まれます。それなのにイメージを固定したままだと同じことしかできないので新たに体験すること難しくなります。ましてや今から違う自分を発見するのですからイメージは固定しないという事はとても大切です。また上手く新しいイメージできない時も実際にやってみるという事は大切です。

結局はニュートラルな自分になるように。

人は止ることはできません。生きているかぎり動いています。ただ立っているように見えても、人は揺れ動きながら自分のバランスをとってます。偏った状態で固定すればもうそれ以上動けません。今の自分の呼吸を感じてみてください。強めたりする必要はありません。ただ感じるだけでリラックスしてくると思います。そうやって自分の存在を体を通じて確認する時、セルフイメージの固定や思いこみから解放され、新たな一歩を楽に踏み出すことができるでしょう。


また行き過ぎたこだわりをやめたり捨てた時、振り子のように、自分に戻ってくることができます。常に人はぶれます。ぶれますが柔軟にセルフイメージを保つことでまた戻ってバランスをとることが出来ます。とにかくまずはやめる事が大切です。やめてもないのに新しい自分を思いこもうとする事はしんどいです。まず今の自分をやめてみて、普段しない新しいことをやってみる。そうする事で新しい自分に気づくことができます。


毎日の生活は常に入れ物が100%入ってます。何かしら時間を使っているから今まで生きてきているのです。今の状態からさらにプラスすればその容れ物は破れそうになります。もしくはほんとに無理をしたら破れます。そうなれば取り返しのつかないことになるでしょう。


なので私たちのすることは、新たに何かをすることではなく、まずやめる事なんです。100%を80%に減らしていく事です。別に何パーセントでもかまいませんよ。5%でもいいです。そうすることで楽に違うものを入れることができます。人は何もない状態でいる事はできません。存在している限り何かしています。その状況によっていらないものは変わります。いるものも変わります。だからその場その場で自分がいらないと思うものを捨てていってください。また必要ならば拾えばいいんですから。

いらないものを捨てていく。それらはすべて自分の思いこみです。思いこみに気づけば捨てやすくなります。

思いこみを捨てればまた新しい考え方を自分の中に取り入れることができます。またそれをやめればまた新しいものを入れることができます。そうしながら柔軟に変化し、また変化できる自分を信頼してください。その時思いこみに振り回されず、使いこなせるようになるのだと思います。





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許すことは許せない事を好きになる事ではない

07-12,2011

■許せないという気持ちは自分の中にあるもの
基本的に許せない出来事というのは過去の事です。過ぎ去った過去は存在することが証明することはできません。過去という物は記憶の中にでけ存在することが前の章で学習してきました。過去の起こった出来事に対しての怒りや腹正しさなどは、今存在していない過去という自分の記憶の中で作られるものです。

つまり、思い込みという思考に支配されている状態が許せないという状態であると思います。しかしながら、以前にも述べたように思いこみだからたいした事ではないわけではありません。思いこみとは一人一人にとって重要なものなのです。

許すという行為もそういった思いこみを手放すことと同じです。許すか、許さないかも結局は自分の中でのもであるし、許せいないという事は自分に影響を与えるものだからです。自分の思いこみが自分に影響を与えています。

許すというとあやまって許してもらうという過程があると考えるのが普通ですが、そうそう常に相手が謝ってくれるものでもありません。もちろん完璧にこだわりをなくし嫌いから好きになる事のほうすっきりしますかもしれませんが、そうそう簡単にできるものではないし、どうしても許せない事もあるでしょう。しかし許せない気持ちというのは自分自身に確実に影響を与えている物です。思い出しては苦しい思い、腹正しい思い嫌な思いもするのでしょう。それらは自分が許していない(許せない)事によって引き起こされるのです。


なんでもかんでも許せばいいといっているのではありません。許せないことは許せないでいいと思います。ただ許せない事によって自分自身がつらい思いをしているのなら、許してあげて自分を楽にしてあげるほうがいいと思います。そのような行為が、簡単にいくわけはないと思いがちですし、実際心の深い問題に対しては簡単にはいかないかもしれません。


しかしながら、許すという行為をみな勘違いして逆に許すことを難しくしている場合があります。許すとはどういう事かもう一度とらえなおす事によって許すという行為をして少しでも楽になる助けにはなるのではないかと思ってます。


■嫌いなまま許すことはできる。ただただ考えるのをやめるという事が許すとゆうこと
先ほども述べましたが、一般的に許すというと相手やその物事の事を好きになる状態だと思われますが実は違います。嫌いでも許すことが出来ます。許すことと嫌いということは完全に別です。嫌いだけと許している状態というものがありますし、どちらかというとそのほうが自然です。許そうとして別に好きになる必要はありません。しかし皆さん嫌いなものを好きになることで許そうとするから苦しくなるんです。


嫌いだけど許すということが可能なのかと思いますが、はっきりいって可能です。どうすればいいのか。よく相手を無理矢理許そうとして、「許さなければ」「許そう」と必死になっている場合がありますが、それは逆効果です。許そう、許そうと思うという事はそれだけ許せない事があると自分にいっているのと同じです。必死に許そうとする行為は逆効果にしかなりません。よけに嫌いになります。やっぱり人は自分の意図している事と逆のことをしていましがちです。よくいろんな本に許す大切さは書かれていますが、どのような状態が許す状態なのかについて書かれてはいません。


ではほんとに許すということはどういう事なのか。それは相手の事や、嫌な物事をもう考えない。考えるのをやめるとうことです。毎日の中で自分が腹正しい出来事を思い出しているのなら、思い出している自分に気づきやめるのです。嫌いなものは嫌いであってかまいません。ただやめる事によって自分のむかつきや腹正しさから解放させることが出来ます。だいたい無理矢理好きになることなんて出来ないじゃないですか。なんでも好きな人間って不自然ですよね。だから無理矢理好きになる必要はありません。好きになろう、好きになろうとする事は許そう、許そうとする事と同じです。嫌いだから好きになろうとするんです。だから自分は嫌いだという事を無意識的に自分にメッセージを送っています。


考えないという事は具体的にどういう事なのか例をだして考えていましょう。簡単にいうと「納豆」を嫌いと思うかどうかということでも説明ができます。とこれだけではわからないと思うので説明します。納豆が嫌いな人は毎日納豆嫌いと思いながらすごしている訳ではありません。納豆をみたときは嫌いだと思うかもしれませんが、ただそれだけです。普段から毎日納豆嫌い、嫌いと嫌な気持ちになる必要はないし、余計に嫌になるだけです。嫌いな事は事実ですがだからといって毎日考えていませんよね。そういう状態を私は許すと読んでます。


たばこをやめることもそうです。無理に吸うのを我慢してもずっとたばこの事を思い出すだけです。無理に我慢するのではなくたばこを吸うということを考えないようにするだけです。たばこの存在を思い出さない。そうする事で楽にたばこをやめることが出来ます。


嫌いな物は嫌いでいいのです。あいつは最低だと思うのならそれでもいいのです。凶悪な犯罪者など最低な奴は実際存在すると思います。ただそれを毎日思い返して腹を立てる必要はありません。それではよけに自分がつらくなり、今の自分を苦していることになります。

私達にできる「許す」ということは、ただただ毎日思い出す事をやめる。少しづつ手放していく。人の悲しみやつらさなど大きなものではあると思います。だけどそれらを無理に否定する必要はありません。自分にとって悲しいものは悲しいし、つらいものはつらいです。その気持ちは否定する必要はありません。ただあえて思い出すのやめていく。手放しいく。思い出せば嫌な気分になるのは自分です。少しづつでいいから思い出すのをやめる事です。思い出さない時それは本当に存在しない事と同じになります。それはあなたの頭の中だけで作り上げてモンスターなんですから。あなたが思い出すのをやめると存在することは出来ません。無理やり好きになる必要はありません。納豆は嫌いでいいんです。そんなの人それぞれ趣向が違って当然ですから。すべて好きにならなければいけないとう発想自体が無理があると思います。


本当に許すとは手放すこと、やめる事だけです。無理矢理好きだとか思いこむのではなくやめる事で人は楽になれます。



1から4章までを通じて今までは普段気意識しない事に気づけるようにしていきました。当たり前だと思っていた事が実はそうではないと気づけたと思います。逆に違うと思っていた事が実は正解だったと思うこともあったかもしれません。過去やセルフイメージ、無意識のメッセージ、その奥にある自分という存在とか。今までよりも少し明確になったと思います。

明確になっただけでほったらかしはしません。次の章は実際のどうするのかを考えていきましょう。



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過去が自分の思いこみなら変えることができる

07-12,2011

■自分で決めている過去
今まで過去を思いこみだと見てきました。思いこみは実体がありません。だけど注意してください。思いこみだからと言って歴史やその人の記憶が価値がないと言っているわけではありません。1人1人違う思いこみだからこそ、1人1人の認識が真実であり、尊重されるものでなければいけません。1人1人の認識が違うとわかれば、お互いによりよくコミュニケーションが取れる事ができます。思いこみを軽視する必要はありません。思いこみがその人の真実であり、「思い」なのです。否定するものではありません。


ただ思いこみに縛られる必要もありません。自分の思いこみは主観や客観などという言葉で判断できるものではなく、自分が感じた事、思った事がリアルであり自分の中の真実なのです。個人の思いも、歴史の思いもみんなの中のリアルです。実体がないからと言って重要ではないと判断しないでください。


そもそも客観的でないと価値がないという認識も僕らが作りあげたヘンなあたりまえです。何度も言いますが、あたりまえを疑う事は大切です。大切な思い出は自分の中の宝になります。自分の思いは大切にしてください。だけど思い出が自分の足かせにる事もあります。今まで感じていたつらい出来事も思いこみだと気づくことができれば、そこから自分を解放してあげることができます。


大事なのは過去をいいか悪いかを判断するのは自分です。大切な思い出も、経験も自分で価値を決めています。そしてそれは自分にとって本当に価値があるもです。またまったく価値がなさそうなものでも他人したらそれが宝物であることもあります。過去は自分のものです。美しい思いで、苦い経験などなどすべて自分で決めることができます。実際意識していないだけで皆さんそうやって過去を決めてきてますから。美しいと自分で決めているし、苦いと自分で決めているのです。自分で決めているなら、またそれを変えることも自分でできる。つまり過去は変えられるのです。もう少し詳しくみていきましょう。




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1人で思いこむと過去、みんなで思いこむと歴史

07-12,2011

■過去は一つではない
過去が存在しないことも存在することも証明する事はできません。でも私は現時点で今を確認することはできますが、過去の実体を確認出ません。できないなりに過去をとらえるとイメージや記録になります。もちろんタイムマシーンで昔の自分にあう事ができたら楽しいですけどね。だからそういった可能性も否定はしませんが、現時点では確認することができないという事です.

記憶は個々の脳のイメージなので1人1人違います。言いかえると過去と言うのは1人1人の頭の中にイメージとしてあるのが過去だと思ってもいいのかもしれません。個々でイメージがあるわけですから、過去なんてものは1人1人違うものです。同じ物事でもまったく同じようにとらえる人はいません。

自分の認識している過去と他人の認識している過去が違うからとって、相手の過去をすぐに誤っていると判断しないでください。過去は1人1人違っていて当然なのです。過去が存在していると証明できないのに、自分が正しいと決めてしまう事は、相手をそれだけで傷つける行為になります。また冷静に過去をとらえられていないという証拠です。たとえ認識している過去が違おうがあなたも正しいし私も正しい。それでいいんです。同じ答えが2つあっても、3つあってもいいし。それが変わっても当然いい。それが過去というものです。


■歴史は集団での思いこみです。思いこまされているのかもしれません。
では歴史はどうなるのか?みなさんそう思われるかもしれませんが、やはりイメージなのです。私たちが思っている歴史も同様に集団の思いこみなのです。

歴史は沢山の人の思いこみで作られます。日本人の多くが昔はこうであったと思うものを歴史を呼ばれます。当然1人1人の体験は違うものですが、多くの人は歴史を学校や人から言葉や写真、絵などで学ぶものです。縄文時代はこうですよ。とか戦国時代がありましたよ。江戸時代はちょんまげでしたよ。だれも今生きている人は直接それを見た人はいないのです。実際その時代を生きて確認したわけではありません。教科書などの言葉やイラストで書かれているものを頭の中でイメージしているしかすぎません。そしてそれを真実だと思います。

また歴史は沢山の人の思いこみですから、国によって同じ事実をあらわしてもずいぶん違うものです。例えば戦争をした国どうしなんてそうですね。自国こそを正義として覚えこませ、お互いの相手国を否定している場合が多いです。国は国民に自国の都合のよいように過去を思いこませていくのです。私たちは国の政策によって、悪意があるなし関係なくても過去を無意識的に思いこんでいるのです。国は実は思いこませるという手段を使って国民をコントロールしようとしてます。その教育で便利なのが歴史です。独裁政権である北朝鮮なんてその典型です。自国の正義を主張し他国の立場で判断させないようにしてるのです。情報統制するのはそのためです。もちろん日本にもそんな一面はあるでしょう。しかし長期的にみるとだれもが思いこむばかりで、もっと広く考える能力が育ちません。結果その国力は低下していきます。本当に国の過去を理解しようとするとき、それは関連のある相手国の立場でも過去を理解したときはじめて歴史を理解したといえます。


話をもどしましょう。個人の思いこみが過去を作り、集団の思いこみが歴史を作ります。個人の思いこみがセルフイメージに影響を及ぼすように、集団の思いこみも民族としてのイメージに影響を及ぼします。日本人として誇りをもてるのか、どうなのかはそういった歴史に大きく影響が及ぼされます。日本人が偉大な発明をしたと言えばほこらしげな気持ちになりますよね。歴史を知るということは日本人としての民族のイメージを作りあげることだともいえます。国が教科書の記載にこだわるのはそういった理由もあるでしょう。歴史は国民の思いこみを促進する効果があります。それは当然集団の一部である個々のセルフイメージの一部としても影響を受けます。1人1人は違いますが、国民性というものができるのはこのためです。


教科書に何が書かれているかは大変重要です。だから他国の教科書でも口を出してくるわけですね。教科書は言葉や写真などで記録してあるものですね。そこからイメージ助ける。そして無条件に教科書が正しいと信じ込み、あたりまえに疑う事を教えない。言い方をかえれば思いこむわけです。個人の記憶で説明した事と変わりありませんね。やはり過去は思いこみなのです。だからといってたいしたものではないと思わないでください。思いこみだからといって価値がないとは限りません。


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過去という思いこみ

07-12,2011

■過去は存在していない??
過去とはなんでしょうか。あたりまえのように私たちはこの言葉を使っています。過去というものは存在しているのでしょうか。そしてあたりまえのように過去が存在していると私たちは認識しています。でもよく考えてみてください。もう一度過去を体験することは可能でしょうか。できるだけ同じ状況を用意して、再現しても私たちは年を少しづつとっています。体の細胞も絶えず入れかわっています。同じように状況も少しづつかわるでしょうから、まねることはできますが、過去を完璧に再現することなど不可能な事です。


過去というものがあるのかどうかはわかりませんが、私たちが普段過去だと思っているのは、私たちの記憶にすぎないのです。記憶を過去としてあつかっているにしかすぎません。記憶と言うのは頭の中のイメージです。そしてその記憶は自分で作りあげています。同じ場面を皆で体験しても詳細な内容は1人1人記憶は違ってくるはずです。あたりまえのようですが、普段意識しないすごく大切な事でもあります。同じ出来事でも1人1人の内容が違ってくるということは、それはもう個々のイメージにしかすぎないという事です。イメージというと何かピンときませんか?そうです。思いこみです。僕らが普段イメージしている過去なんてものは人間の思いこみにしかすぎません。ではもう少し詳しくみていきましょう。


昨日の今の自分、ちょうど24時間前の自分を想像してみましょう。何をしていましたか?きっと何かをしていますね。死んでいないかぎりは何かをしているはずです。ではそこの24時間前の自分に実体はありますか?その場所にいって自分がいる事を確認できますか?できませんよね。タイムマシーンを作ることができればできるのかもしれませんが。


では何をもって過去があると考えているのでしょうか。それは先ほど言ったとうり僕らの記憶やイメージですね。ひょっとしたらデジカメやDVDで撮影していたものを過去と思うかもしれません。でもそれは映像という記録であって実体ではありません。それが過去そのものではありません。それを過去の実体だとするとこのような記録メディアが破損した、もしくは無くなった時点で過去が存在しなくなる事はおかしいですよね。記録は単純にハードディスクでは20年程度、写真でも100年弱ぐらいしかもちません。(正確ではないかもしれませんが、だいたいこれぐらいだっとと思います。)物はいずれ壊れます。壊れた時点で過去がなくなくなるというのは過去そのものに実体がないという事を表してます。


写真などの記録メディアの役割とはそれ自体が過去そのものではなく、単に自分が過去のイメージを具体的にする道具にしかすぎません。言いかえれば思いこみを助ける道具といってもいいかもしれません。遠い昔の写真を見たとき、その場所にいった記憶がなくても写真に写っていれば自分はいったのだと思い込むでしょう。もともと過去は存在していない、もしくは存在している事が確認できないと考えるのが無難でしょう。あくまでも普段みなさんが認識している過去はイメージなのです。記録メディアはあくまでも物理的な変化がその場面に応じて変化したものです。いってみれば絵を書いたりメモで記録している事と大きく変わりません。それらはやはりイメージを助けるものです。

あたりまえのように存在していると思っていた過去。過去が存在しているという事自体が思いこみなのです。

お金持ちになったら幸せになれるのか

07-12,2011

■BEがあってのDOやHAVE
結局セルフイメージは思いこみであって自分自身ではありません。セルフイメージは説明書であってそれを記入し使うのが自分自身です。セルフイメージを固定化することはいくらポジティブなイメージであっても自分を苦しめます。人は様々な一面をもっています。それは当り前の事なんです。すごく当たり前の事に人は多くの人は気づいていません。自分を過剰に制限する必要もなく、過剰に動かす必要もありません。


DOやHAVEやBEという考え方を知っていますか?ビジネス書などて時々見られる考え方です。お金持ち(HAVE)になったりよい仕事(DO)をしたければ、まずお金持ちになれる自分やよい仕事ができる自分つまり存在(BE)になればいいなどとよく書かれています。つまり欲しいものを得るには欲しいものを得ることができる自分になれ。そうすれば自然に手に入れることもできるという考え方です。僕はこれをセルフイメージに応用しました。


セルフイメージをこの考え方に置き換えてみます。セルフイメージには実態はありませんから、自分がこんな事ができる、してきたという「DO」や自分はこんな状態である、地位や名誉といった「HAVE」の事だともいえます。それは自分の存在といった「BE」ではありません。人間は常に何かのセルフイメージをもっていますが、それを自分だと思いこんでしまうのです。DOやHAVEにこだわりBEをしっかり認識したり感じる事がおろそかになってます。


何かができる(DO)という事は大変素晴らしいことではあります。何かを得る(HAVE)という事も同じように素晴らしいです。ただそれにこだわることでいつのまにか自分自身についての存在(BE)を感じる事ができなくなります。DOやHAVEばかりを認めることでそれが自分のセルフイメージを支配してしまい、存在としてのBEを感じられなくなります。


例えば自分が大きな会社の役員(HAVE)になれば自分の価値が上がるようなイメージを持ちませんか。大金持ちになった(HAVE)としたらどうですか?もしくはジャーニーズやアイドルグループに入って活動すれば(DO)自分のセルフイメージはどのように変化するでしょうか。もちろん悪い気はしません。むしろ自分は何かすごい人のようでうれしいくなりませんか。しかしそのイメージに固執してしまう時自分の存在を認めることができなくなります。


お金持ちの自分は気分がいいでしょう。逆にお金持ちでなくなった時自分の事をどのように思うのでしょうか。たとえ最低限の生活はできるとしても、きっと自信をなくしてしまうという人が多いと思います。それはお金持ちの自分というイメージを自分の存在として扱ってしまっているからです。お金持ちであろうが、なかろうが自分は大切な存在であるし、そこにしっかり存在していると感じることが、結果色んなセルフイメージの変化が起きても安心して対応する事ができるのです。



■自分自身をDOやHAVEでごまかそうとしている
たとえBEを感じなくてもお金持ちの自分や、なんでもできる自分をもっていればそれでいいじゃないかと思うかもしれません。しかし持っている事(HAVE)とか、できる事(DO)というのは自分で完全にコントロールすることは不可能です。お金持ちであっても貧乏にならないとは限りません。また人は老いるものです。できる事が減っていくのは当然の自然の成り行きです。時にどうにもならない事もあるものです。そこにいつまでも自分の価値を置いていると、それを失った時自分の価値さえも失ったと思うのです。逆にできる事までできないと思いこんでいる人もいますが。


お金も地位も名誉も環境によって左右されるものです。すべて自分の思い通りにコントロールできません。お金は稼ぐっと言っても回ってくるものですし、名誉は誰がほめてくれる人がいるから成り立ちます。地位は他の人と比べるから成り立つものです。完全にコントロールできないものに依存していると、自分の存在を無視したり犠牲にしてもそこにある不完全なものを手に入れようとします。不完全だからこそ、自分の物にしておきたいのかもしれません。人はコントロールできないものを自分の物にしたい、コントロールしたいという欲求があるように思います。しかしそれは自分が他人に好きなようにされば嫌なように、自分が他人のする事を自由にコントロールできるものではありません。環境によって、そして自分が年を取る事によって何も変わっていないようで、常に状況は大きく変化しているのです。


それらDOやHAVEは他人や環境が自分に与えられるものです。そこに自分の主体を置くと常に与えられることを期待して行動しなければいけなくなります。周囲に依存して生きなければいけなくなります。先ほど言ったように名誉なんてものは、人が「すごい」といわれない限り名誉なんてものは得られないのです。つまり名誉を過剰に得ようとして相手にすごいと思ってもらえるように自分を大きく見せたり、無理します。自分の存在を犠牲にして他人に認めてもらおうとします。結局のところ周囲や他人から名誉を得ようとして、自分を自分で認めるという一番大切な部分BEを無視してしまっています。いつまでもどこかむなしい状態になると思います。


名誉があるのは悪いことではありません。ただ名誉というのも自分を否定してまで得るものではないのです。また本当に認められる人は、人を認めることで得られるものであって、認められようとして得られるものではありません。お金や名誉があるから自分が偉いという認識にとらわれてる人は自分の存在をDOやHAVEに依存しているのでしょう。これがえらそうにしている人の典型だと思います。もちろん金持ちだから言っているのではありません。お金持ちであろうが無かろうが関係ありません。あくまでもBEをHAVEやDOに依存してしまった例です。


すべてではありませんが、プライドの高い人も人から尊敬されたいとか名誉を保ちたいというHAVEにこだわるあまり、その評価自体が自分の存在だと思っています。しかしあくまでもそれはただのHAVEであっその人の存在そのものではありません。自分で自分の存在、つまりBEを認めていないばかりに、HAVEやBEばかりにこだわってしまいます。そしてそういった判断で他人も見てしまいがちですので、地位や名誉をもっている人を啓蒙し、価値があると思ってしまいがちです。逆に地位や名誉のない人を下げすんでみます。なぜそのような反応になるかというとHAVEやDOしか見ていないから、本人そのものに目がいかないのです。つまり自分に向けている目と同じように他人も判断してしまいます。基本的に他人を見る目と自分を見る目は本質的に同じです。


 自分の存在を地位や名誉、お金などで判断してしまう事は、他人に対しても同じように判断してしまいます。例えば地位や名誉、お金などで交流する人を判断してしまいがちです。そりゃあそうですね。自分が名誉があるから自分は立派だと思っている人は相手に対しても名誉があるかどうかで判断します。そんなものを相手に求めてもいつまでたっても本当の安定を得る事はできません。本当に人を認めるときというのは、自分を認めてくれた人を認めるのであって、ただ単なるお金持ちや名誉をもっている人をそれほど大切には実のところ思っていません。それなのに、周囲に認められがたいために必死にDOやHAVEにこだわる。それはなんと寂しいことなんでしょうか。


■BEをもっと感じましょう。そうすれば自然に安心出来ますよ。DOやHAVEのこだわりも減ります。
私たちはもっと自分という存在BEについて知っていく必要がありそうです。それは思いこみをやめて自分自身と向き合っていくしかありません。それは自分自身で行う必要があります。私があなたはこんな人ですと言ったところで、それは私のイメージにしかすぎませんから。


自分でセルフイメージが思いこみだと気づく事ができれば、自分自身で自分と向き合う事ができます。言葉にすることも難しいかもしれません。自分はこうであると言葉にした時点でそれはもうイメージなのです。しかしあなたは息をしているし、動いています。それをただ感じることでしか自分の存在を感じる事はできないのかもしれません。不安になった時呼吸に注意を向けてください。少しづつ呼吸が落ち着いていくのがわかるのでしょう。それだけで人は安心するのです。嘘ではないですよ。今のあなたの呼吸をしっかり感じてみてください。目を閉じてください。吸ったり吐いたりしていますね。何も呼吸を調整する必要はありません。いつもと同じように一分ほど読むのをやめてただただ感じてみてください。・・・そしてどうですか?終わったあとあなたは先ほどよりも落ち着いていませんか?きっとそこにセルフイメージの奥の自分の存在について感じているのだと思います。今ほんの少し自分というイメージも手放すことができたのです。


 もちろん完璧にセルフイメージをなくすのではありません。こだわりを捨ているだけです。なくす必要なんてありません。なくせば動けなくなります。こだわりを捨てればセルフイメージを選ぶことはできます。新しいセルフイメージを発見することもできます。自分のイメージをその時、その時に選ぶ事が可能になるわけです。今まではセルフイメージに振り回されていたものから、使いこなすようになれます。振り回されていた状態から使いこなす状態に変化すれば自分は非常に楽に過ごせますね。この本の後半にうまく使える方法を紹介していきたいと思います。DOやHAVEに振り回されるのではなく、BEというあなた自身を大切にしてください。人それぞれの幸せがあります。だけどBEを大切にしなければ、幸せに近づくことは難しいでしょう。自分BEを大切にしながら、あなたの幸せを見つけてください。


あとこだわりを捨ているためにもう一つ知っておいた方がいいこと。それは過去です。過去とは何か。今度は過去について考えていきましょう。





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